ネット民は「知の貧困層」である

前回のブログ記事にコメントをいただいた。
「ネットリテラシーの大切さ」について触れておられたので、
「ネットリテラシーはネットと距離を置かなければ身につかない」と
コメントをお返しした。
非常に重要なポイントだと思うので、あらためて本文で取り上げておきたい。


ネット世論に流されやすい、ネットリテラシーがない人間は、
ネット記事しか読んでいない。
ネット記事は玉石混淆であるが、その中でも石コロばかり追いかけている
のがネット民である。
だから、「本物の情報」と「ネット世論」を区別できないのだ。
「芸能人格付けチェック」というバラエティ番組で、1000円ワインと
10万円ワインを見極められるか、というような企画をやっているが、
1000円ワインばかり飲んでいる人間が確実にそれらを区別することは
不可能である。
日頃から10万円ワインやその他の一流品に接しているGACKTのような
人間でなければ、10万円ワインを「美味しい」と感じることは出来ても、
両者を見極めることは出来ない。

同様に、「ネット世論」ばかりに接していては、それが石コロである
ことにすら気付かないのだ。


ネット民は、テレビや新聞は「オワコン」だという。
私からすれば、「ワインは1000円で充分。万単位のワインなどオワコン」と
言っているに過ぎないように感じる。
それはそれとして、テレビや新聞は「本物の情報」に接するための
窓口である。
だからテレビや新聞に目を通さない人間は、「ネット世論」に流される
リテラシーがないネット民に堕落してしまうことになる。


いやいや、テレビや新聞は事業者によって内容に偏りがあるではないか、
自分でソースを選べるネットの方が必要な情報を得やすいではないか、
と言う方がおられるだろう。
ごもっともであり、昔の私もそのように思っていた。
しかし、偏りがあり、時に必ずしも自分が必要とはしていない情報も
流れるからこそ、テレビや新聞には価値があるのだ。
理由がお分かりだろうか。


「偏り」に関しては、自分の頭で考える余地が生じる、という良さが
ある。
そもそもネット記事だって偏っているのだが、圧倒的に情報量が少ない。
記事の主張や結論について、きちんと論理的な根拠が示されているものは、
仮にそれが左や右に偏っていようと、読む価値がある内容ということになる。
自分と異なる立場の思考回路が分かるからだ。

それを受けて自分の考えを振り返り、必要であれば微調整していけばよい。
その作業を死ぬまでずっと継続していくのが「保守」の本分である。


「必要とはしていない情報」に関しては、今回の池袋の事件に即して
指摘できることがある。
主にテレビのローカルニュースでは、一週間に2~3回は交通事故が
取り上げられている。
あれを見ていれば、特に興味がなくとも、警察がその都度どのような
対応をしているのか、漠然と理解出来る。
「上級国民」などでなくとも、被疑者が重傷で病院に搬送されていれば
逮捕に到らないケースが存在するということは、ニュースを見ている
人間にとっては常識中の常識なのだ。
つまり、「必要とはしていない情報」であっても、漠然と頭の中に
取り込んでいくことで、世の中の常識というものが身につくのである。

そもそも、自分にとって「この情報は不要」などと、そう簡単に
自分で判断できるはずがないではないか。
やっぱり必要だった、と思い直しても、それで石コロだらけのネットを
検索し、フェイクをつかまされるのでは目も当てられない。


この世の中、どんな情報が役立つのかなど、ピンポイントで指摘できる
はずがない。
これは情報化社会だからということではなく、遙か昔からそういうもの
だったと思う。
だから先人は、自身の知的好奇心のおもむくままに、書物と見聞で
知識を深めてきたのだ。

ネット界は、「これが今、役に立つ情報だよ」という分かりやすいエサが
あちこちにぶら下げられている環境である。
検索関連ワードやハッシュタグというものが普及してから、その傾向が
顕著になった。
これらに飛びついているだけの状況が、如何にバカバカしい、ひいては
危険な状態であるか、想像できるだろうか。
極論すれば、全てを分かっている「勝ち組事業者」が池に投げ込む麩を、
夢中でパクついている鯉
のようなものだ。
ネット民は麩で満足している貧困層なのだ。


このブログのタイトルは、かつてネトウヨであった自分を戒め、
きちんと勉強して「知の富裕層」へと駆け上がらなければならない、
という意識でつけたものだ。
同時に、多くのネット民も意識をあらためて「知の富裕層」を目指す
ようになってほしい、という願望の意味も込められている。
だから、このブログを読んで何かを感じとっていただいたのであれば、
即座にネットと距離を置いて、テレビ・新聞・本の世界へ回帰して
いただきたい。
このブログに依存するようなことは、絶対に避けていただきたい。

私がブログを更新しているのは、自己承認欲求などのためではなく、
よってアクセス数も全く気にしていない。
むしろ、このブログがもはや不要になるぐらい、自分の頭で物事を
考えられる人間が増え、「ネット世論」が陳腐化する世の中になることを
望んでいる。

そもそも私にとっては仕事の方がはるかに大事なので、ブログを更新
せずに済むのならばそれに越したことはないのだ。
出来ることならば、やめてしまいたい、とさえ思っている。
しかし、それでも続けようと考えているのは、ネトウヨとして
こじらせていた失敗を伝えておきたいと考えるからである。
それが私にとっての、せめてもの罪滅ぼしなのだ。