公共心なき「腹心の友」

ブログの更新を停滞させていたのは、やはり怠慢であったと言わざるを得ない。
忙しく仕事に集中していたが、残念ながら退職の運びとなり、転職活動を
行いつつも、将来の進む道として考えている「就農」に向けて座学講座に
通っていた。
だから、ブログ更新を休むのは仕方がないと考えていた。
しかし、甘かった。
日本を取り巻く事情は、待ったなしだった。
問題意識を持っていて、発言できる人間は、どんどん自分の意見を公表して
いかないと、現在の悪夢のような安倍政権を倒せない。
忙しくても、スッポンやブルドッグのように、ズボンの裾にでも噛みつき続ける
態度が必要だ。

ところで、私は高槻市民である。
よって、このたびの北大阪地震で、少々ではあるが不自由な生活を強いられた。
とはいっても、家屋の目立った損傷はなかったし、家族や近所の人間は無事で、
数日間ガスの供給が停止しただけだったので、「被災者」を名乗るのは
おこがましいレベルだ。
ただ、やはり人生は、いつ何時何が起こるのかが分からない、ということを
実感した。
だから、何かを「残す」「主張する」というのは、出来る時にやっておかねば
ならない、
と思った。
いずれじっくりと文章をまとめてブログを再開、という考えは、あまりにも
悠長すぎるのだ。
それぐらい、事態は切迫している。
決して、このブログの注目度は高いとは言えないが、記録として残しておく
必要があるし、誰かの目に止まった結果、何らかの変化が生じればそれでよい
と思う。

前置きが長くなった。
この地震の最中に、こっそりと記者会見を行い、既成事実だけを取り付けた
人物がいる。
加計学園の理事長である加計孝太郎だ。
安倍晋三の「獣医学部新設という考えはいいね」という発言について、
加計孝太郎本人は「記憶にも記録にもない」と否定した上で、
学園の職員が「先走って虚偽の報告を記した」という従来の説明を踏襲して、
形式的な謝罪コメントを発した。

とんだ茶番である。
これまでマスコミから散々逃げ回っていたくせに、地震が発生したという
タイミングで急遽会見を敢行。

この会見、マスコミに告知したのは開始2時間前だったため、全国放送の
マスコミは間に合わなかったという(場所はもちろん岡山)。
テレ朝の記者が急行したが、シャットダウンされた、との報告もある。
最初から、地元マスコミしか相手にしないつもりだったのだ。
しかも、会見時間はたったの25分間。
事の大きさに比して、あまりにも短い。
記者からの質問を遮るかたちで、会見は強引に打ち切られてしまった。

誰が見ても、地震のどさくさに紛れて、会見を大きく報道されたくない、
という意図があったのは明らかである。

地震の被害を受けて、「困った時はお互い様」という公共心が発揮され、
被災地で助け合いの動きが見られる中、加計孝太郎はこの災害を利己的な
私心のために利用したのだ。

災害に配慮して、結婚発表を遅らせた宮里藍とは大きな違いである。
こんな我利我利亡者が、学校法人のトップなのだ。
蔑ろにされたマスコミは、この点を徹底追及すべきである。

私はこの会見の映像を見て、怒りを通り越して吐き気を催した。
全く悪びれることなく、後ろめたさのかけらも見せずに、
「すいません」と傲慢極まりない態度で「謝罪」をした加計孝太郎。
理屈からくる「怒り」よりも、生理的嫌悪感からくる「吐き気」
を催したのは、余震の恐怖が払拭されていない時に見たので、
本能が鋭敏になっていたからなのかもしれない。
安倍晋三にも同じものを感じるが、権力の亡者に共通する「醜悪さ」を
たたえもっている。

ただし、一つ指摘しておきたい点がある。
今回の一件、もし学園側の説明通り、職員が「先走って虚偽の報告を
上げた」ということであるならば、安倍晋三と加計孝太郎は被害者で
あるはずだ。

ところが、安倍晋三も加計孝太郎も、全く怒りを露わにしていない。
加計孝太郎にしてみれば、部下の勝手な行動が、「腹心の友」である
一国の首相の信頼を大きく傷つけ、学園も補助金詐欺と追及されても
仕方のない事態を招いたのだから、あんなに平静でいられるはずがない
ところが、処分は減給という極めて軽いものだった。
つまりは、全てが「予定調和」で終始している、ということを
物語っている。

この心理は、安倍晋三も同じである。

これではっきりした。
公共心のかけらもない人間が、被災者を尻目に私的な都合で
自己保身に走り、権力者と口裏を合わせたのである。
国民は、傍若無人な権力に問題意識を持つべきである。
「公」の意識のない権力は、国民を守らない。
私的に縁のある人間しか守らないのだ。