小林よしのり・泉美木蘭の生放送

山尾志桜里議員と倉持麟太郎弁護士の「W不倫疑惑」報道、
そして主に山尾議員が執拗に叩かれている世相について、
小林よしのりが怒りの声を上げた。
そして、作家の泉美木蘭氏と二人で緊急生放送を行った。
生放送では視聴できなかったが、スタッフが即座に動画をYouTube
アップしたので、そちらで視聴した。

よしりん・もくれんのオドレら正気か?
山尾志桜里議員叩きは民主主義の破壊だ!』
www.youtube.com


これは非常に面白かった。
民主主義と格差社会で醸成された「嫉妬」と「不寛容」、そして日本に
いまだ根強くはびこる「男尊女卑」のドグマが問題の根本に存在している、
という主張。
こうした深刻な問題を、ここまでギャグを交えて語れるというのはスゴイ。

個人的には、やはり山尾・倉持両氏は脇が甘かったと思うし、
これによって山尾議員の幹事長抜擢がおじゃんになり、民進党離党という
最悪の流れになってしまったのは非常に残念に思っていた。
その後も続いたマスコミの「山尾叩き」報道はやりすぎだとも感じた。
だから、今回の生放送は溜飲が下がる思いだった。
ただ、「嫉妬」「男尊女卑」の感情が起因だとまでは見抜いていなかったし、
民主主義が本来的にはらんでいる「大衆のルサンチマンも関係している、
という主張は目からウロコだった。

やはり、日本の民主主義は、まだまだ遅れている。
「政党と政治家は国民が育てるもの」という意識が、国民の中には薄い。
「公」のために「個」を確立することが出来ていない。
だから、今回のように、公人の「私」の領域を糾弾する、という
ヨーロッパでは有り得ない事態
が発生してしまうのだ。

小林は「保守」として、「公」と「私」の区別、そのための「個」の重要性
についてよく論じている。
また、「価値の序列化」という視点も保持しているため、
今井絵理子のような「何も出来ない人間」はいくらでもイジってよいが、
山尾議員のような「能力のある人間」は守るべき、という結論になる。
小林のスタンスは一貫して変わっていないので、『ゴー宣』の読者ならば
今回の主張はすんなりと受け入れられるのだ。

しかし、ネトウヨは相変わらず反発している。
小林が安倍晋三自民党を批判するため、「アンチ小林」化してしまって
いるから、端から聞く耳を持たないのだろう。
それにしても、コメント欄には思わず吹き出してしまう書き込みが
見受けられたので、少し引用してみる。

「著書のファン立っただけにかなりショックです。
論拠なし、論点ずらしで著書のような納得できる部分は皆無でした。
あと自分に否定的な人のネトウヨ呼ばわりも如何かと思いました。
本当に残念です」
原文ママ
納得できない、ということは、これまでの著作の内容も理解できていなかった
のだろう。
ネトウヨ呼ばわりについても、小林のネトウヨ批判、ネット民批判は昔から
のもの
なので、本当にファンだったのか? と思ってしまう。

「不倫叩き自体は小林よしのり氏も自民議員にはしてるんですけどね
結局ダブルスタンダードガバガバおじさんに成り下がってしまった」

全編見ていないのだろうな。
「格が違う」ときちんと説明している。
「格=価値」によって、マスコミや国民の対処は異なって当然、という
「保守」としての主張にすぎない。
「人」によって変えることなく、平等に叩くべき、という考えは、
悪平等に囚われた左翼のもの
だろう。

「じゃあ、安倍や麻生が優秀だったら何しても認めないといけないじゃん」
安倍晋三の「森友」と「加計」は、「私」の感情で「公」の行政をゆがめた
もの
だから、完全に「私」だけの問題である不倫とは別である。
その他の安倍の膨大な失政は、完全に「公」の領域における不手際なので、
そのような公人を認めるわけにはいかない。
麻生太郎にしても、先日の「ヒトラー発言」も含めて「公」の領域で
問題を撒き散らしている。

小林よしのりが不倫やら道徳を語るのは、泥棒が「有能な人なら物を盗んでもいいんですよ」って言っているようなもん」
物を盗むのは窃盗罪なので、有能かどうかという以前に、「公」たる社会で
許されてはいない。

不倫は犯罪ではなく、「私」たる当事者同士の問題にすぎない。
小林の女遊びにしても、妻は黙認しているというのだから、「私」の領域では
問題が発生しておらず、
それを我々がどうこう言える筋合いではない。
問題のレベルの違いがまるで分かっていない。

「... 聞き役の女性って、要りますか?
自分の主張に相槌を打ってくれる同意者が居ないと、持論に自信をもてない
のかな?・・・と、思ってしまう」

聞き手がいるから、笑える内容として盛り上がっているということが
分からんのかな。
小林は喋りのプロではないし、お気に入りの女性(愛人ではなく)から
エネルギーをもらっている、ということは『ゴー宣』でも書いている。
竹田恒泰とか桜井誠のように、一人で延々と語るタイプではないし、
そんなものを視聴してもつまらんだろう、ということが分かり切っている。
何とかして、この放送にケチをつけたいが、こういう部分にしか突っ込めない
という無力さ
を感じる。

これぐらいにしておこう。
後は似たり寄ったりで、放送内容を理解できていないということが顕著である。
「昔のゴーマニズムは良かったのに、どうしちゃったんだ?」という論調が
多いが、結局は『ゴー宣』の基本を理解していなかった、単に左翼を批判して
いたのが当時は気持ちよかった、というネトウヨばかり
だ。

しかも、多くは「自民党議員の不倫は批判していたのに、山尾は擁護する。
ダブスタだ」という表面的な反論。
根本的な「嫉妬」や「男尊女卑」、「ルサンチマン」について語れる奴が
誰一人いない。
「嫉妬」のような私情にはまり込んでいる状態は、自分では気付くことが
できない
のだろう。
「男尊女卑」も無意識のうちに囚われているドグマだから、何が問題なのか
分からないだろうし、「ルサンチマン」に到ってはそれが何なのかも
理解できていないのかもしれない。

唯一の頼みの綱である「ダブスタ」は、放送の中でいわば公然と小林は
それを認めている。
「格の違い」で「序列化」が必要だ、という「保守」としての態度を
貫いているだけなのだ。

そういう意味では、我々良識ある国民としては、「個」として「公」の
あるべき姿
を見据えなければならない。
「マス(大衆)」になってしまっては、民主主義は腐敗するのだ。