「裸の王様」の印象は、やはり「バカ」

安倍晋三が国会で何度も何度も使用した「印象操作」という言葉。
何でも野党が、
「やってもいないことを、あたかも私がやったかのように印象操作を
している」

のだそうだ。
この答弁に前々から違和感を抱いていたのだが、やはり語法の誤りだった。

今朝の毎日新聞の2面「時代の風」というコラム欄で、作家の中島京子氏が
同様の違和感について書いていた。
氏によると、広辞苑には「印象操作」の意味は以下のように定義されて
いるという。

「他者に与える自分の印象を、言葉や服装などによって操作すること」

なるほど。胸のつかえが取れた。
つまり、「印象操作」とは自分で「他者が感じる自分の印象」を操作する
ことであり、他者が勝手に操作するものではなかったのだ。

小林よしのり氏は自身のブログで、以下のように書いている。

「印象操作」と「批判」は違う。
自分に対する間違った「批判」や「誤解」は、公の場で堂々と正せば
いいのである。

証人喚問は、嘘をつけば罰せられるから、「批判」や「誤解」を
正す最高の舞台である。
安倍首相は「批判」を「印象操作」と言い換えて逃げているが、
「批判」が不当なら、証人喚問を受けて、説明すればいい。

「森友疑獄」「加計疑獄」についての追及が「印象操作」だというのなら、
国会では何も質問できないことになる。
議論のためのきっかけとして、野党は質問しているのだから、
それに答えないのは国会を無視しているだけなのだ。

「自称・反省謝罪」記者会見で安倍は、
「丁寧に説明をしていかなければならない」
と言っていた。
このフレーズを使うのは、何度目のことだろう。
特定秘密保護法案や安保法制が成立したときも同じフレーズを用いていたが、
その後に丁寧な説明が行われた覚えはない。

上に挙げたコラムで中島氏は、首相が自身の印象操作に失敗している
のではないか、
と皮肉っている。

それにしても、安倍晋三は国語力が低いようだ。
記憶に新しいものだけでも、以下のような言い間違いや語法の誤りがある。

「訂正云々」を「ていせいでんでん」と読んでしまった。
そもそも」は「基本的に」という意味も持っており、それは自分で
辞書で確認した、
と強弁した。

後者に関しては、毎日新聞校閲担当者があらゆる辞書を調べたが、
「基本的に」という意味を記している辞書は見つからなかった。
にも関わらず、「基本的に」という意味はある、と何と閣議決定して
しまった
のだ。

その他、国語力とは関係ないが、
「私は立法府の長です」
という認識の誤りや、
「間違ってはいないと思いますよ。何しろ私は、総理大臣なのですから」
という非常識極まりない発言も飛び出している。

いずれ文章がまとまったらこのブログで紹介しようと思っているが、
ジャーナリストの青木理氏が著した『安倍三代』というルポによると、
安倍晋三の学生時代の学力はボンクラそのものだったという。
小学校から大学まで、エスカレーター式で成蹊学園に通い続けていて、
高校時代の同級生の証言によると、
「東大はおろか、早稲田や慶応も無理だったろう」
という成績だった。
しかも、成蹊大学時代にゼミで安倍を指導していた教官は、
「(安倍の)印象がない。ゼミで発言したり質問したりといったことが
全くなかった」

と証言している。
少人数のゼミで、しかも安倍家三代目のサラブレッドであるにも関わらず、
「印象がない」というのはよほど「何もしていなかった」のだろう。

安倍は昨日、神戸で講演をして、
獣医学部新設の規制緩和を全国的に展開していく」
と言っていた。
加計学園」のケースは特別な計らいではない、とアピールしたいのだろうが、
ここまで見え透いた嘘をつかれると、腹立ちを通り越して滑稽に思えてくる。

やはり、安部はバカだったのだ。
そういえば、安部昭恵エスカレーター式の学校に通っていたが、
それでもあまりに勉強ができなかったために大学に進めず、
やむなく専門学校に通ったのだという。
お似合いのバカ夫婦だったのだ。

安部が昭恵の証人喚問を頑なに拒むのは、そんなことをすれば愛する妻の
バカぶりが全国に晒されるからなのだろう。
安部には昭恵が絶対に必要である。
バカにはバカを認めてくれるバカがいなくては、生きていけないのだ。
そんなバカ夫婦を担ぐ自民党もバカ揃いであり、良識ある官僚は
「バカの忖度などやってられん」とばかりに「反乱」を起こしたのだろう。

もちろん、学力があれば良い政治家になれるとは限らないが(豊田真由子
典型例)、「公」のための政治を貫こうとするならば、自然と知識は
深まっていくはず
である。
私利私欲しか考えない連中が、あのように堕落していくのだ。