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国民の意識は政治とマスコミに反映される

自宅のネット環境が良くないため、更新が久しぶりとなった。
その間、国会や政局では様々な動きがあり、例によって文章をまとめるのが
追いつかない。
よって、個別のニュースについて取り上げるのはやめておいて、
我々国民が今考えるべきことについて述べてみる。

頽廃した政治家や官僚に憤りを感じる人は多いだろう。
彼らが「公」の仕事や責務を担うに値しない連中であることは明らかだが、
果たして彼らが謝罪して辞任すればそれで事は済むのだろうか?
公共心のかけらもない人間が政治や行政の現場に続出する傾向に
おいて、我々国民は責任を感じないままで良いのだろうか?

例えば、「森友問題」について政府の説明に納得していないと感じる国民は、
世論調査では70%を超えるという。
しかし、同時に安倍内閣の支持率は50%以上なのだ。
安倍晋三や閣僚連中の言動には不満を憶えるが、引き続き支持するから
しっかり職務を全うして欲しい、という意識の国民が多数存在する、
ということ
だろう。

安倍晋三も閣僚連中もそれを承知の上で、強引な政権運営を行っているのだ。
何をやっても支持率が落ちないのだから、そりゃあやりたい放題である。
民進党議員が共謀罪の瑕疵について質問しても、
安倍晋三は「内閣支持率の高さ・民進党支持率の低さ」を引き合いに出して、
世論は我々の側にいるのだから議論の余地などない、といった傲慢さを
表出していた。

ここまで権力者をのぼせ上がらせてしまったのは、国民の責任である。
もちろん、民進党共産党を支持しろ、という話ではない。
権力者を監視し、彼らに緊張感を抱かせるというのは、国民の役目である。
「しっかりやってほしい」と「思う」だけでは駄目なのだ。
世論調査投票行動などにおいて、国の行く末を思案しながら
自分の立場をしっかりと表明していかなければならない。
与党や内閣を支持するということは、権力者が自由に振る舞うための
「論拠」を与えることなのだ、
と意識しておかなければならない。

以前、私は「マスコミが権力を批判しなくなった」という文章を書いた。
その時は、マスコミにはもっとしっかりしてもらわないと困る、という
気持ちがあったのだが、少し認識が変わった。
マスコミ、特にテレビ番組はやはり視聴率の論理からは逃れられない。
民放であれば、なおさらだ。
いかに我々が「安倍昭恵を追及せよ」「共謀罪についてもっと議論せよ」と
言ったとしても、視聴者が関心を寄せなければその報道は続かない。

現状では、分かりやすい「悪役」である中川俊直元経済産業政務官
山本幸三地方創生担当相、今村雅弘元復興相らの不祥事ヒストリーを
扱っていることが多い。
これは政治問題と言うより、スキャンダルネタの一種として認識されて
いるのかもしれない。
だから特に何も考えなくとも、彼らを糾弾しておけばそれでよい、という
ことになる。

しかし、安倍昭恵共謀罪がテーマとなると、色々と考えることが多くなる
という意識があるのだろうか。
タブーとまでは言わないが、どうも腫れ物に触るような扱いになっている
のではないか、という気がする。
本来は大きな議論に繋がるテーマであるはずだが、視聴者がついてこない
のでは、と訝っているのかもしれない。

近年は安倍自民をひたすら礼賛するネトウヨやエセ保守の存在が
取り沙汰されているが、彼らがネットで何を書き散らかそうとも
さほどマスコミが気にするとは思えない。
反応があれば、それ自体が手応えであるからだ。
しかし、怖いのは「無関心」である。
どのような報道を行っても、それに対する反応がないというのは、
作り手としてはやり甲斐を感じられないだろう。

国民の過半数を占めると思われる「政治に無関心な大衆」が、
報道を薄っぺらいものにしてしまい、ひいては政治を私利私欲まみれの
ものにしてしまった。

これは決して、犯人捜しではない。
政治に対する意識の高い国民も、その責任からは逃れられないだろう。
民主主義の基礎は「議論」であり、その「議論」が不活発になって
いるのであればその責任は全員にある。

政治はその国の民度を表す鏡かもしれない。
国民はしっかりしているが政治は堕落している、ということは有り得ない。
日本国民には、韓国の朴槿恵スキャンダルを笑う資格などないだろう。

世論調査について言えば、気に留めていたことがある。
アメリカのトランプ大統領の支持率は低落傾向にあり、現在は46%程度だと
いうことだが、一方で「就任100日で政権について判断するのは早すぎる」
との回答が60%以上に上った
のだ。
NHKの「あさイチ」で有働由美子アナのインタビューに応じたイスラム教徒が
私はトランプ不支持だが、まずは彼にチャンスを与えてやろうと思う。
もっとも、4年後には彼のことをボロクソに言っているかもしれないが」
とコメントしていたのが印象的だった。
アメリカ国民は、「権力者は我々の代表」「だからこそ、何をやるか
我々の目で見届ける・監視する」という意識
が強いのだろう。
大統領選挙が、単なる「人気投票」ではない、という証左かもしれない。

日本国民に、ここまで強い意識が持てるだろうか。
権力者の好き放題を封じるため、自分たちの力で「マスコミや野党に
要求をぶつける」という行動がとれるだろうか。

「他に支持できる政治家がいない・政党が存在しない」という理由だけで
安易に安倍内閣を支持するというのは、単なる「お上に丸投げ」という
態度である。
「丸投げ」しておいて、現在のような不祥事が出来したときだけ当事者に
文句を言う、というのでは単なる駄々っ子・餓鬼である。

国民が大人になれなければ、国家はいつまで経っても未成熟のままである。