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権力は信用するものではない、監視するものである

「森友問題」について、一部の自民党議員や自称知識人らが、
「いつまでこの問題に拘泥しているのだ」
「ワイドショーネタで国会を空転させるべきではない」
北朝鮮のミサイル配備やトランプ大統領の動向について議論すべきだ」
……などと言い始めている。
要するに、籠池夫妻に全てをなすりつけて「トカゲのしっぽ切り」を行う
つもりなのだ。

ネトウヨ安倍信者はそれで納得するのだろうが、真っ当な国民はこんな
欺瞞に騙されてはいけない。
「森友問題」は、臆面なく公私混同を押し通してしまう腐敗した権力を
糺す
ということがテーマである。
よって、この腐敗構造を明らかにして、権力への国民の監視をしっかりと
したものに確立しなければ、現状の国会を先に進めることはできない。

官房長官「籠池氏の証言は、我々の主張と相反する。我々の主張が
正しいということはお分かりだと思う。籠池氏は偽証している可能性が
ある」
という旨の発言をした。
「首相を侮辱した」という懲罰的な目的で籠池氏の証人喚問を承認し、
自分たちに不利な発言が相次ぐと「我々の方が正しい」と一方的に主張する。
これが民主主義国家のやる事なのだろうか。

この疑獄、韓国の「朴槿恵問題」と重なる部分がある。
朴槿恵前大統領は収賄罪で逮捕されたが、それ以前に友人の崔順実容疑者を
政権運営に関与させた疑いがもたれている。
まさに「私人」が政府を動かしていたのだ。
安倍晋三は「妻は私人」と主張した上で、それを閣議決定してしまったが、
その「私人」の存在が財務省国交省の役人の判断に影響を与えたという
のであれば大問題である。

私は安倍昭恵は公人だと思っている。
「首相夫人付職員」
などというポストの存在は初めて知ったが、
これは安倍内閣でしか設置されていないものらしい。
第一次安倍内閣が倒れてから一旦廃止された(その時は、名称は少し異なって
いた)が、第二次安倍内閣となってまた復活したのだ。
しかも、首相官邸には「首相夫人専用室」まで設けられているという。
こんな待遇を受けている「私人」など存在しない。

ただ、仮に「私人」であるとするならば、籠池夫妻は「私人」に借地契約の
条件を大幅に変更してもらうように陳情し、谷査恵子氏は財務省からの
回答も含めた経緯を「私人」に報告していたことになる。
これは、安倍昭恵が官僚に一定の影響力を持っているであろう(あるいは
影響を与える窓口となりうるであろう)と籠池夫妻が判断していたからだろう。
そして、谷氏が安倍昭恵に経緯を報告したということは、
安倍昭恵は国家公務員である谷氏の上司である、ということが公式見解である
ことを表している。
つまり、「私人」が「公的権力」に関与していることが明らかであり、
結果的に官僚が思惑通りに動いたのであれば、朴槿恵政権の腐敗ぶりと
同じ様相を呈している
のだ。

韓国国民は大いに憤り、大規模なデモを敢行した。
私としては、必ずしもデモ活動は良いものと短絡的に認めたくはないし、
国民性とも言えるオーバーな感情表現は見ていて複雑な気持ちになるのだが、
少なくとも彼らは怒りの声は上げたのだ。

一方、日本国民はどうなのか。
権力の横暴にあまりにも鈍感すぎないか。
デモでなくとも、様々な言論で権力を批判することは可能である。
しかし、一部のメディアは保守的な高齢者や安倍信者ネトウヨ
こびへつらうためなのか、冒頭に掲げた「政権にとって都合の良い言論」を
支持する始末
である。
国民レベルにまで浸透した「劣化保守」の腐敗が凄まじい。
これでは民主主義国家としてはまだ半人前である韓国の国民の方が、
少なくとも内政に関しての意識が高いのではないか、とさえ思えてしまう。

現代において、江戸時代の「お上の善政」はほぼ潰えてしまった。
「権力」という概念が意識されてからというもの、日本人でも「権力の座」
がもつ魔性の虜になるように変わってしまった。

「権力」や「権力者」に対して、性善説に基づいて接してはいけない。
特に戦前あたりからの日本の権力者は、事実を言い換え、捻じ曲げ、
果てはなかったことにするという行為を繰り返してきた。
日本人はそれを意識しなければならない。

基本的に「権力」や「権力者」は、恐ろしい存在なのである。
簡単に信用してよいものではない、ということは強調しておきたい。