「東日本大震災避難者の会」展示&座談会

3月10日、つまり「3.11」の前日、大阪・梅田で「東日本大震災避難者の会」
による「避難者あるある川柳」の展示会が催されていたので、足を運んだ。
三番街(梅田地下街)の一角に、思っていたよりも小さなスペースが
設けられており、川柳の他に会の活動報告や関連イベント告知などの
展示物が並んでいた。

「あるある川柳」というと、何だか「笑ってしまうユーモラスな内容」
なのかと思ってしまいそうだが、そういうものではない。
国や東京電力原発を推進する学者共に対する、まさしく心の叫びである。
場内撮影可能だったので、以下に作品を掲示しておく。
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言うまでもなく「避難者」とは原発事故のために他府県への避難を
余儀なくされた人たちである。
しかし、被災地で何とか生活を続ける人たちとは異なり、マスコミが
避難者の生活に目を向けたことはこれまで少なかった。
よって、昨年の夏か秋頃に報じられた「神奈川県の避難者小学生への
いじめ」には衝撃を受けた。
しかもそれは氷山の一角でしかなく、他府県でも同様のいじめが
報告されており、しかも大人が職場や生活空間で嫌がらせを受けるケースも
多いという。

ある避難者は、引っ越しした際に近隣の家に粗品としてタオルを
贈って回ったが、後に町会長がその全てを回収して突き返されたという。
放射能がうつると困る」ということだった。
いい歳をした大人がこんな迷信に囚われ、人間としてあり得ないような
失礼かつ侮辱的行為を平気で行っているのだ。

大阪に移った避難者は、
補助金もろたん? いくら?」
と聞かれたという。
同じ大阪人として恥ずかしく感じる。

会場に足を運んだ時、ちょうどイベントとして座談会が催されていた。
会のメンバーと私のような外からの来場者がそれぞれ意見を述べ合う、
というものだったが、会場の雰囲気が少しぴりぴりしていた。
よく耳を傾けてみると、外からの来場者らしいオッサンが、こともあろうに
原発安全論をぶちかましていた。
そして、「安全なのに、何故避難するのか」と会の代表者を追及していた。

オッサンは言う。
大和川が氾濫しても、復旧が進めば元の土地に戻ってくる」
「○○先生の論文を読めば、原発が安全であることは明白」
「汚染水は安全。何なら、飲んで見せたってよい」

私は呆れてしまった。
天災と人災の区別がつかず、自分と同じ立場の学者の文章しか読まず、
状況的に実践不可能なことを約束して威圧するような人間が、
何の用があってこの会場に来たのか。

会の代表者は非常に冷静かつ理性的に対応していた。
「避難者の会」という立場上、感情的になって無下に相手の言論を
否定することはよくない、と心得ておられるのだろう。
オッサンに丁寧に応答している内容を聞くと、原発放射線についての
専門知識を相当に勉強されているのだ、ということがよく分かった。

自分たちが置かれた境遇が、どのような「科学的」メカニズムにおいて
生み出されたのか、きちんと知っておく必要がある。
実に真摯な態度だと思った。

オッサンの発言を聞いていると、完全に「原発推進」というイデオロギー
虜になっているということがありありと理解できた。
原発推進・再稼働容認」という結論ありきでしか語らない・考えないので、
どうしようもない。
いい加減、腹が立ったので、私は発言の機会を得て、このように問うた。

原発のようなものを後世に残して、子孫に顔向けが
できるのですか? YESかNOでお答えください」

オッサンは一瞬返答に詰まり、YESやNO以外の言葉ではぐらかせた。
エゴイストであることが明らかになった瞬間だった。

こうした議論の場合、我々のような庶民は専門知識の点ではオッサンの
ような「マニア」には及ばない。
よって、庶民が当たり前に備えている「常識」に基づいた「情」の観点で
語るしかない。

常識的に考えて、あのような大事故を引き起こし、地域共同体を破壊した
原発のような代物を後世に残すというのは、心情的に許せない。

次世代の人間に「一応、安全だから」などと言えるはずがない。
あのような大事故を経験しても「脱原発」が遂行されていないというのは、
平成の世の人間は何をやっていたのか? と問われれば、顔を上げられない。

「理屈」ではない。
「情」や「常識」で判断する。

オッサンは、自分の「理屈」の正しさを知らしめるためだけに、
わざわざ「避難者の会」のイベントにやって来たのだ。
避難者に一泡吹かせようと思ったのかもしれない。
要は自尊心や自己満足だけが動機だから、私情の塊である。
自分の事しか考えていない我利我利亡者だから、「公」の事を念頭に置いた
私からの質問には答えられない。
全く想定していないし、考えたこともないからだ。
いい歳して、本当に情けない。

ただ、こうしたエゴイストが紛れ込んでいるというのが「世の現実」である。
その理不尽さを生で体験できたというのは、よい勉強になった。

とにかく我々は、必要な知識は少しずつでも取り入れていかなければ
ならない。
おかしな扇動に惑わされないためには、それしかないのだ。
ネットの知識だけで満足していてはいけない

ちなみに、座談会の後、アンケート提出と引き換えに『3.11避難者の声
当事者自身がアーカイブという』冊子をいただいた。
会の皆さんが、避難先で感じた苦労や不満などがリアルに綴られている。
まさに、「生の情報」である。
「もう6年」が経ったけど、「まだ」何も解決していない、ということを
心に留めながら、ゆっくり精読しようと思う。