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SEALDsについて考えること

終戦記念日である8月15日付で、あのSEALDsが解散を表明した。
今後は、主なメンバーが個人的な活動を続けていくのだという。


私は昨年の段階では、安保法案には賛成の立場だった。
その後、自分の認識が甘かったことに気づき、今年になってから反対に転じた。
ただ、安保法案に対する賛否と関わらず、昨年のSEALDsの活動は見ていて
不気味な感覚があった。


代表である奥田愛基氏が「戦争法案、絶対反対!」とラップ調で叫ぶのは
まあいい。
ただ、参加者が主旨をどこまで理解しているのかが分からず、
「とりあえず何もやらないよりは、何かやる方がまし」とばかりに
登壇者のシュピレヒコールに合わせて叫んでいる図は、ちょっと怖かった。


いよいよ法案可決か、といった段階になると集団でデモ行進を行うのだが、
そのときに掲げられていたプラカードの文句にも大きな違和感を抱いた。
「WAR IS OVER」「#本当に止める」「とりま廃案」……。
いかにもネット民が書きそうなフレーズが多く、またそれらが世間一般に
アピールすると信じ込んでいるあたりが、何とも痛々しかった。


しかし、マスコミ――特に朝日や毎日系のメディア――には寵愛された。
「若者が自分の言葉でメッセージを発信している」
「ラップを用いたシュピレヒコールは斬新」
SNSを利用して参加者を募ったのは現代風の活動」……等々。
マスコミだけではなく、左翼系の野党もSEALDsに取り入り始めた。
これですっかりSEALDsの連中は舞い上がってしまったようだ。


実は、SEALDsの方法論そのものは、決して新しいものでも何でもない。
1990年代の薬害エイズ問題に端を発する「HIV訴訟を支える会」が行った
デモとそっくりである。
会の代表を引き受けた小林よしのり氏は、従来型の組織運動と一線を画すため、
自らの作品において、あるいはメディアに出演することによって、
若者に霞ヶ関に集まるように呼びかけていた。
ラップを用いたのは、自発的に参加した若者たちだったそうだ。
「個の連帯」というキャッチフレーズまで、まるで同じである。


そして皮肉なことに、一定の目標が達成されて「運動は終結」という状態に
なったにも関わらず、一部の参加者が「正義を叫ぶ」ことによって
「社会を動かす」あるいは「社会から寵愛される」という状態に
酔いしれてしまった顛末まで同じだ。


小林氏は、運動終結後にしきりに「日常に回帰せよ」と主張していたが、
川田龍平氏をはじめとする「運動を続けたい派」からは裏切り者呼ばわり
されてしまったという。


要するに、そういった連中には「個」なんか確立されていなかったのだ。
漠然と日常生活を送っているから、他人からの客観的評価を得ることが少ない。
自分のやっていることが正しいのかどうかも、自分ではよく分からない。
だから、「正義を叫ぶ」ことに飛びつく。


そういう意味では、ヘイトスピーチを行っている連中と根っこは同じである。
連中も「自分達なりの正義」を叫んでいるわけであり、参加者はやはりネットを
利用して募っている。
ラップは行わないし、極右というかネトウヨという立場ではあるが、
方法論や思考回路は同じだ。
「個」として自分なりの主義主張を確立することは放棄してしまい、
ひたすら「正義と見なしている集団」に属することだけに喜びを感じている。


こういった連中が世に登場するのは、単純に彼らが学生やニートだからだろう。
就職して社会に参加している、という立場にない。
小林氏の言葉を借りれば、「生産機能を有していない」。
目の前のものを消費するだけなのだ。
もし、仕事をしていて何かを生産する立場にあれば、それについて必ず
何らかの評価が与えられる。
そこで初めて、社会の中の自分というものが見えてくる。
昨今はブラック企業やブラックバイトというものも存在するが、
そうした社会の理不尽さに触れる(触れさせられる)という不幸も含めて
社会とは、その中の個人とは、について考えさせられる。
「正義」を模索する暇もないし、その必要もない。


恐らく大多数の大人はそれが分かっていたから、安保法案反対派の人でも
SEALDsは無視していたのだろう。
それが一般的感覚というものである。
寵愛していたのは、左翼系メディアと政治家、そしてかつての全共闘世代
だけである。
イデオロギーに彩られた連中だけが、若い世代に自分達の仲間が出てきた、と
無駄に喜んでいたのだ。


朝日新聞は、SEALDsの登場で野党への支持が拡大した、と報じている。
確かに共産党の支持率は微増したかもしれないが、後は軒並み下落傾向である。
特にSEALDsにべったりしてしまった民主党(当時)のダメージは大きい。
しかも、岡田代表は奥田氏に言われるがままに野党共闘の道を選び、
よりにもよって共産党と手を組んで参院選で惨敗した。
党の代表が、政治の「せ」の字も知らないような素人の言いなりに
なったのだから、従来からの支持層から見放されても仕方がないだろう。


あと一つ、SEALDsについて感じることがある。
冒頭に書いたように、今後は主なメンバーは個人的な活動を続けていくらしい。
つまり、大学は卒業しているが、大学院に進むわけでもなく、就職するわけでも
ないということだ。
これはあくまで私の想像なのだが、こんなモラトリアムが許されるのは、
連中が高等遊民だからなのではあるまいか。
つまり、生活費を必死に稼ぐ必要がなく、ブラブラしていても生活に困らない
家庭に育っているのではないだろうか。


日本も貧富の格差が広がっているから、安保法案やら改憲やらに色々と
考えるところはあってもまずは仕事をせねば、という若者は多い。
ブラック企業非正規雇用での就業に苦労している割合も増えているのだろう。
そういった現実と闘っているグループからすると、同年代の若者が
のうのうと「政治活動」を続けている状況を見て共感できるだろうか。
いちいち腹を立てるのも無駄なので、「お好きにどうぞ」と鼻で笑うのが
本当のところかもしれない。


実際、SEALDsの福田和香子というメンバーは、ネットで「将来は物書きに
なりたい」と表明していた。
何でも、活動していた中で日本の男尊女卑社会という問題に突き当たり、
現状を訴えていきたいのだという。
その思いを否定するつもりはさらさらないが、当のネットの文章がズタボロな
内容だったので思わず笑ってしまった。
どうやら、元SEALDsの自分は「特別な存在」であり、そんな自分が書く文章には
商品価値が発生するはずだ、と思いこんでいるらしい。
いまだにブログでぐだぐだと文章を書いて、自分をフォローするツイートだけを
貼り付けて悦に入っているが、本気で男女問題を訴える物書きになりたいのなら、
現物の原稿を出版社に持ち込むべきだろう。
そこで初めて、元SEALDsという肩書きなど何の価値もない、ということに
気づかされるのだろうと思う。


結局のところ、世間一般の意識というものを知る、ということに尽きる。
国会前にあれだけのデモ集団が集結したから、大半の国民が自分達を支持して
くれている、と勘違いしてしまったのだろう。
確かに世論調査で、「今国会で安保法案を可決すべきではない」と回答した
有権者は5割を超えていた。
しかし一方で、反安保法案のデモ活動に参加したことのある有権者
全体の7.4%程度だった、というデータも存在する。
法案には反対でもSEALDsなどのデモ集団には冷ややかな眼差しを送っていた
有権者はかなり多かったと想像できる。


もし、「SEALDs現象」に何らかのプラスを見出すとするならば、
こういう集団が世を席巻しないように、現実を見据えた知識を付けて
自身の「個」を確立していく必要性を感じることが出来た、ということに
なるだろうか。