民主主義国家アメリカの戦争犯罪

日本人であれば、8月6日と8月9日という日付は忘れてはならない、と思う。


本日は、朝ドラが15分前倒しの編成となり、午前8時から広島の平和記念公園
催された平和記念式典の生中継だった。
見入ってしまった。
そして、8時15分には自室で起立して1分間の黙祷を行った。
実は、恥ずかしながら、初めてである。


「子ども代表」として、小学校6年生の男子と女子が、原稿を全く見ずに
スピーチしていた。
それだけ気持ちが強かったのだろう。


今年度になってから、広島や長崎を訪れる外国人観光客も増えたという。
70年近く経ってから、ようやく核の現実に向き合えるようになった外国人も
多いのかもしれない。


そこで考える。
アメリカの原爆投下は、民間人も含めた無差別な虐殺という意味で
立派な戦争犯罪である。

しかも、アメリカは大統領を擁立している民主主義国家だった。
原爆投下を指示したのは、当時のトルーマン大統領である。
ここまで大規模な戦争犯罪を、民主主義国家が犯した、という例は
他に見受けられないのではあるまいか。


ヒトラー率いるナチが犯したホロコースト中国共産党によるウイグルチベット
の一方的な侵略、ポル・ポト政権の大虐殺といった残酷極まりない事件が
20世紀には発生したが、いずれも独裁政権下である。
だから許される、ということでは、もちろんない。
ただ、アメリカだけが民主主義の名の下に民間人を虐殺した。
これは、その後のヴェトナム戦争イラク戦争にも引き継がれてしまう
「アメリカなりの正義」である。


戦後のドイツ国民は、ヒトラー率いるナチが「絶対悪」だった、という認識で
贖罪しようとしているようだ(もちろん、当時のドイツ国民は熱狂的に
ナチを支持していた)。
しかし、アメリカ国民は「原爆投下は終戦に必要だった」という考え方を
持ち出して、一生懸命に「アメリカに罪はない」と自らに
言い聞かせている。
ただ、この「原爆必要論」は大いなる欺瞞である。


マンハッタン計画」に端を発する原爆は、7月16日には実験を終えていた。
トルーマンが原爆投下命令を下したのは7月25日であり、
それはポツダム宣言が日本に突きつけられる前日だった。
つまり、日本が即座にポツダム宣言を受諾しようがしまいが、
投下は既定路線だったのだ。


しかも、トルーマンポツダム宣言に「日本の天皇および皇室を排除すること」
という文言を敢えて盛り込んだ。
日本には、簡単には受け入れられない条項である。。
要するに、時間稼ぎだった。
回答が遅れることにより、「日本は、原爆投下されても仕方がない」という
状況を作り出そうとしていた。


結果的に、広島と長崎に原爆を投下したという行為は、実は人体実験だった。
アメリカは既に「その当時の敵」であった日本などはどうでもよく、
戦後に発生するであろう共産主義国家との対立を念頭に置いていた。
だから、実際に都市や居住地区に投下した実験結果を欲していた。
当時のソ連が、被爆した広島の街並みを動画撮影していたことが最近判明したが、
それも偵察という意味合いだったのだろう。


アメリカとしては、敵国のドイツに投下するという発想は最初からなかった。
同じ白人、という仲間意識があったのかもしれない。
その点、有色人種の国家である日本に投下することには、何のためらいも
なかった。

もちろん、民族差別という意識である。


その後、アメリカは民主主義の名の下に、泥沼としか言えないような戦争に
繰り出していく。


朝鮮戦争の経緯は、よく知らない。
結果的に、北朝鮮という犯罪国家が誕生してしまった。
ヴェトナム戦争も大儀は対共だったが、地上戦で民間人を虐殺および強姦した上、
枯葉剤散布による後世に渡る惨禍を残した。
湾岸戦争以降は、言わずもがなである。
イラクフセイン独裁政権を打倒し、強引に民主主義を植え付けようとした。
もちろん失敗し、現在のイラク国内は治安が悪化した混乱状態である。
フセイン政権が倒れた年の12月に、ISが「建国宣言」を発しているので、
ISの活動の活発化はアメリカがもたらした、という見方もある。


過去に王政や帝政を経験しなかった「民主主義国家アメリカ」が、
ここまで暴走している。
「自由」や「平等」を標榜しながら、明白に有色人種を差別している。
国際協調の点においても、京都議定書にもCTBTにも条約批准していない。


結局は、原住民を排除して建国された人工国家である、ということなのかも
しれない。
そういう意味では、個人としての「アメリカ人」と仲良くしたり、
「アメリカ文化」に親しむことはあっても、国家としての「アメリカ」が下す
政策や方針は信用してはならない。
トランプやクリントンのどちらが大統領になっても同様だ。


日本人であれば、8月6日と8月9日には(8月15日も含めてもよいかもしれないが)、
「民主主義国家アメリカ」の多大な暴力性はあらためて脳内に刻むべきだろう
と思うのである。