『美味しんぼ「鼻血問題」に答える』の欺瞞と不徳(その2)

最初に業務連絡。
「コメント欄」を設けることにした。
やはり、自分の考えをネットで発表する以上は、読んでいただいた方からの
コメントを受ける、というのは一つの礼儀かもしれないと思ったからだ。
ただ、変なコメントがきては困るので、承認制にさせていただく。
以降、ますますのご愛顧の程を。


さて、前回の続き。
雁谷氏は、放射線と鼻血との因果関係については、自らの取材では何も
証明していないことが明らかになった。
にも関わらず、環境省が発表した「放射性物質対策に関する不安の声について」
という文書を以下のように批判している。


●他者に厳しく、自己に甘い

(環境省は)国連科学委員会の報告書の内容を正しいものとして、
(中略)
放射線被ばくが原因で、住民に鼻血が多発しているとは考えられません」
といっています。
(中略)
環境省は自分で調査をしたわけではなく、「国連科学委員会」の報告書だけを
もとにして、「住民に鼻血が多発しているとは『考えられない』」と
いっているのです。
なんという怠慢、なんという無責任。


このような文言もある。

実際に自分で問題に当たらず、他人の報告書を論拠にして「考えられない」とは
何事でしょう。
事実を自分で見ず、代わりに他人の書いた論文で事を済ませてしまおう、
というのです。

言うまでもなく、この批判は雁谷氏本人にもそっくり当て嵌まる。
雁谷氏自身、「他人の書いた」4つの資料を実地データとしただけで、
あらためて福島で取材を敢行することもなかった。
やっていることは同じである。


それに、小学校の「学校だより」や福島県民一人の証言といった漠然とした
データよりも、「国連科学委員会」の報告書の方が資料としてはずっと
優れているだろう、ということは容易に想像がつく。


しかも、当の「国連科学委員会」の報告書については、

議論すると長くなるので、ここではやめておくことにして、

の一言で完全スルーである。
雁谷氏が報告書の本文を読んだかどうかすらも、分からない。


これ、単純に「叩きやすい奴を叩いてる」というだけである。
環境省という「日本の官庁」などは、多少の理不尽があっても
叩けば読者にウケる。
しかし、国連科学委員会という国際的な機関には、下手な戦いを挑まないのだ。
結局、自分のことを棚に上げて、環境省を叩きたいから叩く、という
ネット民と同じようなことをしているに過ぎない。


●「風評」とは?
雁谷氏は福島県の首長や県民から「風評被害」と批判されたことが
よほどショックであったらしい。
そのため、わざわざ「風評」とは何か? と考察するためだけに1つの章を
設けている。
大辞林」および「広辞苑」に掲載されている「風評」の意味を確認した上で、
自分の表現は「風評」ではない、と主張している。
以下の通り。

では、私が『美味しんぼ 福島の真実編』で書いたものに、一つでも真実と
異なるものがあったでしょうか。
私は、自分で鼻血を出しもせずに、鼻血のことを書いたのでしょうか。
私は、異常な疲労感を感じないのに、疲労感について書いたのでしょうか。
私は、自分の体験したこと、見たこと、聞いたことを、そのまま書きました。

これを読むと、「この人、大丈夫か?」と本気で心配したくなる。
自分が体験した「主観的事実」を必死にアピールしている姿は、
STAP細胞はあります! 200回以上作成に成功しています!」と述べていた
小保方晴子氏のそれに重なる。


実際、「鼻血と疲労感」は「STAP細胞」と同じ、と言われても仕方がない。
主観的事実のみで、第三者が合理的な判断をするためのデータが
存在しないのだから。
雁谷氏が嘘を述べているとは思わないが、何らかの「思い違い」から
「思い込み」に囚われている可能性は完全には排除できない。
それこそ、小保方氏も「存在する」と思いこんでいたわけだから、
「主観」に基づいた発言は、あくまで「真実を語っている」つもりだったのだ。


また、雁谷氏は「風評」と「デマ」をごっちゃにしている。
「鼻血と疲労感」が事実だと強調しているが、それは単純に「デマ」ではない、
と言っているにすぎない。
たとえ事実であっても、合理的な根拠が薄弱である場合、それだけで
充分に「風評」になりうるのだ。
例えば、福島産の食品を食べてから何か体調が悪い、と「主観」で感じたことを
喧伝すれば、それは「風評」となる可能性がある。
本人が福島産の食品と自分の体調に因果関係がある、と思いこんでいるだけで、
科学的根拠に乏しい場合があるからだ。
それらが集合体となって何らかの被害が出れば「風評被害」となる。


すなわち、自己の体験だけを根拠にして何らかの因果関係を語るのは、
特にこうした災害に関しては、非常にシビアになるべきである。
そもそも、「風評」であるかどうかは、情報が信頼しうるものかどうかを
見極める「世間」や「第三者」が判断するものであり、
情報発信者本人が「これは風評ではない!」と強弁すること自体、
大いなる矛盾なのだ。


●見苦しい傲岸不遜
本書を読んでいて全体的に漂ってくるのは、雁谷氏の傲慢な態度である。
「自分はこうしてきちんと取材をした上であの作品を創作した。
なのに、何故ここまでバッシングされなければならないのか」という憤りは
あちこちのページで感じられる。


しかし、ここで「自分側に何らかの落ち度がなかったか」と自省をしない。
全てを日本のマスコミや政治家、大衆が悪い、ということにしてしまっている。
発想が西洋かぶれになっているのか、少しでも自分の弱みを見せてはいけない、
と思っているのかもしれない。
しかし、こういう態度は日本では(恐らく西洋でも)傲慢としてでしか
認識されない。


特に物理学という学問に関わる問題であれば、自説を客観視する視点は
絶対に必要だし、「ひょっとしたら誤謬があるかも」という懐疑的かつ
慎重なスタンスも求められる。
何しろ、雁谷氏は放射線の専門家ではないし、そもそも学者ですらない。


そして、以下のような文章を読むと、背筋が寒くなる。

私はこの国の神聖なタブーを破った極悪人扱いを受けたのです。
この国の神聖なタブーとは「原発事故は終息した。福島は今や人が住んでも
安全だし、福島産の食べ物はどれを食べても安全だ、という国家的な認識
に逆らってはいけない」というものです。
「福島に行って鼻血を出した」などと漫画に書いた私は、その神聖なタブーを
破ったというわけです。

ご存じの通り、そんなタブーは存在しない。
情報統制がまかり通ったのは震災直後のみであり(先日、発表された「炉心溶融
禁句問題など)、現在は自由闊達に報道がなされている。
どうあっても雁谷氏は、巨悪たる政府と東京電力が結託して情報統制しており、
マスコミと大衆はそれに盲目的に従っている、という構図を描きたいらしい。
そんな中で、「極悪人」のそしりを受けながら圧力と闘っている、という
「正義の被害者」ぶっている姿は、非常に見苦しい。
これは単純に「自らを省みない傲岸不遜」とコインの表裏一体である。


といったところで、少しずつ雁谷氏の偽善者ぶりを炙り出してきたつもりだが、
看過できないとてつもない大きなネタが一つ残っている。
本書の結末で、雁谷氏は絶対に言ってはいけないことを結論として
述べている。
それを次回で扱って、締めることにしよう。