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『美味しんぼ「鼻血問題」に答える』の欺瞞と不徳(その1)

以前から気になっていた本があったので、図書館で借りて読んでみた。


■雁谷哲『美味しんぼ「鼻血問題」に答える』(遊幻舎)

美味しんぼ「鼻血問題」に答える

美味しんぼ「鼻血問題」に答える

マンガ『美味しんぼ』の「鼻血問題」については、ご記憶の方も多いだろう。
2014年4月に『ビッグコミックスピリッツ』に掲載された「福島の真実編」で、
福島を取材した山岡士郎が鼻血を出す、という描写があり、風評被害になるのでは
ないかと大きな問題になった。


原作者の雁谷哲氏は自己のブログで以下のようにコメントしている。

私は鼻血について書く時に、当然ある程度の反発は折り込み済みだったが、
ここまで騒ぎになるとは思わなかった。
で、ここで、私は批判している人たちに反論するべきなのだが、
美味しんぼ」福島篇は、まだ、その23,その24と続く。
その23、特にその24ではもっとはっきりとしたことを言っているので、
鼻血ごときで騒いでいる人たちは、発狂するかも知れない。
(中略)
本格的な反論は、その24が、発行されてからにする。

かなり強気な態度である。
しかも「発狂」という物騒な表現を用いているために、「脱原発派」を含む
震災からの復興を応援する穏健なグループも敵に回してしまった。


しかし、「福島の真実編」が終了した後にブログに反論が掲載されることは
なかった。
ヒートアップした世論が沈静化するまで待ち、本にしてきちんと回答しようという
意図であるようだった。


ちなみに私は『美味しんぼ』のファンではない。
中高生の頃(25年程前)は読みまくっていたが、大人になったらとっとと
見切りを付けた。
ただ、今回の問題は引っかかっていて、雁谷氏がどのようなスタンスで作品を
描いたのか、確認したかったので読んでみた。
そして、確信した。
雁谷氏は、根っからの偽善者である。


●「批判」は「攻撃」だった!?
第1章の冒頭部分で、雁谷氏は作品批判についてこのように述べている。

それは、非難とか批判というものではなく、『美味しんぼ』という作品と
私という人間を否定する攻撃だったと思います。

いきなりの恨み節である。
しかも、人格否定レベルの批判を受けたと書いているが、ネットを除けばそこまでに
到ったメディア報道は存在しないだろう。
中には建設的な批判もあったろうと想像するが、十把一絡げに「攻撃」扱いである。
具体的に、どのような「攻撃」があったのかも明かされていない。


それでも、本書において取材で得たデータを補足して、「鼻血の場面を描いたのは、
こういう根拠に基づく」という論理的な説明があれば納得はできる。
しかし、本書にはそのような記述は、一切存在しない。


●読者の知りたいデータ
今回の「鼻血問題」で問われたのは、「きちんとしたデータが存在するのか」
という一点のみだ。
雁谷氏は線量計を持参して福島を取材したらしいので、以下のデータが明示されて
互いに因果関係が存在することが判明すれば問題はたちどころに解決する。
1. 地域ごとの鼻血の症状が出た人の数
2. 地域ごとの線量
3. 風向きなどの気象条件


3.は少し細かいかもしれないが、1.と2.は絶対に必要だろう。
というか、このデータがなければ鼻血の描写など、堂々と描けないはずだ。
私はこれを知りたくて、本書を手に取ったようなものである。
だから、特定日時の線量分布図や経過図といった資料が掲載されるものだと
思っていた。


それが、ない。
一切、ない。
「地域ごと」どころか、単純な線量データすら、ない。
鼻血に至っては、「鼻血が出た福島県民に出会った」ということ自体、
全く書いていない。
どれだけ本文を読んでも、雁谷氏本人と双葉町町長以外、鼻血の症状に
見舞われた人は出てこない。
つまり、実際に会ってもいないし、取材もしていない。


ほとんどの読者が「ここをはっきりと知りたい」と思う根幹部分が、
この体たらくなのである。
これでよくぞ、鼻血の場面を描こうと考えたな、と驚いてしまう。


●それでも鼻血は出る!?
雁谷氏は大学で物理を専攻していたそうで、放射線についてある程度の専門知識を
持っているようだ。
それらを駆使して、鼻の粘膜に放射性微粒子が付着すると微細血管が傷つけられて
出血することがある、と解説している。


これ自体、雁谷氏の自説なのか、他の専門書に書いてある説の受け売りなのか、
例によって判然としない。
本書には、参考文献が一切明示されていないからだ。


しかし、原理上は、出血の可能性はある、ということらしい。
もっとも、これだけで納得できる読者なぞいない。
やはり実地データが必要となるため、雁谷氏は自分が取材しなかった分、
他者の報告書や著作物から文章を引用し、実例を並べるという手段に出る。


これが相当にとんでもない代物だ。
(イ)(ロ)(ハ)(ニ)と4つの実例が提示されているが、データとしてぎりぎり説得力がある
と言えるのは(イ)だけである。


(イ)は双葉町丸森町の町民健康調査で、「鼻血に関して両地区とも高いオッズ比を
示し」ており、そのオッズ比は3を超えていた、と具体的な数字が書いてある。
オッズ比とは統計学の用語で、2つのデータの因果関係を示す値だ。
(ロ)は伊達市保原小学校の「健康だより」。
「鼻血を出す子が多かった」という文言があるのみ。
小学生が調査対象で、人数も不明。
そもそも「放射能との因果関係はあるのかどうかわかりませんが、」と
本文後半に但し書きが付けられている。
(ハ)をとばして(ニ)。国会で福島の住民(名前は伏せられている)が、
「自分の娘をはじめとして、周囲に鼻血の症状を訴える子供が非常に多かった」と
証言したとのこと。
地域も人数も不明で、分かるのは「子供に鼻血の症状が出ることが多い」という
事実のみ。
(ハ)が最も酷い。
何と、福島ではなく、チェルノブイリ原発事故のデータを引っ張ってきたのだ。
それによると、チェルノブイリ周辺における広範囲かつ長期的な調査で、
避難民の5人に1人に鼻血の症状が見受けられたことが判明した、という。
もちろん、事故の内容や規模、地形、気候、そして人種といったあらゆる条件が
異なるので、そのまま福島に当て嵌めて考えるのは不可能である。


しかし、雁谷氏はこれをもって「原理」と「実地データ」が揃ったとして、
「福島の環境であれば、鼻血は出る」
と結論づけている。


勘の良い方ならばおわかりだろうが、これは「先に結論ありき」の論法なのだ。
自分に都合の良い資料しか収集しておらず、反証という作業を怠っている。
もし、上で提示された双葉町丸森町伊達市「以外」の地域で、鼻血が出た症例が
全く報告されていない、ということがあったとすれば、福島の環境と鼻血の関連性は
一気に低くなる。
統計学的に、鼻血が出た症例の方が「極めて稀なケース」に転落するからだ。
そういう可能性を、雁谷氏は全く想像していない。
自分が出血したから「すなわち、真実」と信じ切ってしまっているのかもしれない。


そもそも、第3章の終盤をよく読むと、

放射性微粒子が粘膜につくことで、どのように鼻血が出るところまでいくのか、
その課程の詳細にはいくつかの説があり、まだこれが決定的といえるものはないと
思われます。

しかし、ここで放射性微粒子と鼻血の関係を正確に解明できたら、
(中略)
医学的に大きな収穫になるでしょう。

と、正確なメカニズムがまだ解明されていないことを、認めている。


つまり、実際に間違いなく確認できているのは、「福島の一部地域で、鼻血の症例が
報告されている」という事実だけなのだ。


放射線が原因であるかどうかについては、「その可能性はある」という程度にしか
述べられない。
何ミリシーベルト以上の被爆線量ならば必ず出血する、という「しきい値」も
不明だし、「しきい値」に依る「確定的影響」なのか、それとも「確率的影響」
なのかも分からない。
加えて、「鼻血の症例」に関連する情報として、報告された地域、そこの線量
および気候といった物理的データ、症状に見舞われた人の数、性別、年齢、
健康状態といった人的データも全く存在しない。


これで「福島の環境であれば、鼻血は出る」という結論など、出せるはずがない。
第一、「福島の環境」ってどの時点、どこの地域を念頭に置いているのだろうか。


雁谷氏は自分なりの「科学はこうあるべき」という理念について書いている。
「従来説では、有り得ない」という現象が出現した場合、
異端と排除するのではなく、議論と実験を何度も重ね合わせて
「これで間違いない」という説が確立して、科学は進歩してきたのだ、という。
つまり、「鼻血の症例」を異端として排除するのではなく、科学的に検証すべし、
と言いたいのだろうが、それとこれとは全く話が違う。
学会において「鼻血の症例」が圧殺されているわけではないのだ。、
そもそも、いまだ「検証中」の説を、さも「定説」であるかのようにマンガに
描くことが許されるのだろうか。


本書は、他にも様々な問題点をはらんでいる。
私が雁谷氏を「偽善者」と指弾した理由など、一回では書ききれないため、
明日以降に持ち越すことにする。