天皇について知らなさすぎるバカ知識人

天皇陛下が意向を示された「生前退位」の衝撃からくる余波がいまだに
続いている。
テレビのニュースを見ていると、街角インタビューではすべての回答者が
「生前退位に賛成」の意を示している。


……「今まで大変だったと思うし」
……「これからは、ゆっくりされたらいいと思います」
と言った具合。
これが現在の大多数の国民が抱く感覚である。


それと乖離しているのが、政府関係者や保守ぶっている知識人だ。


ある政府関係者は、「皇室典範の改正には、議論に相当な時間がかかる」
とか、「憲法に違反しているとも考えられる」などとコメントしている。
でもまあ、これは「事なかれ主義」に徹するお役人の言葉と解釈する
こともできる。


酷いのは、いわゆる知識人の方だ。
石原慎太郎は、テレビで以下のような発言をしたという。
「私は陛下よりも一つ年が上だが、まだこうして頑張っている。
だから、陛下も生ある限りは頑張っていただきたい」


自分と陛下を比べる、というのもおこがましいが、そもそも石原って
今は何をやってるんだ?
だいたい、石原は都知事時代に一週間に三日しか登庁せず、
それ以外の日は都の職員も所在がわからない状態だったという。
しかも、海外視察と銘打って何千万もの公金で豪華クルージングなどを
楽しんでいた。
舛添など足元にも及ばない公私混同を行っており、ほとんど遊んでいる
だけのような仕事ぶりだった。
挙げ句の果てに、国政に打って出たい、という「私的な理由」で
任期途中で都知事を辞職してしまう。
仮に現在、何らかの政治活動を行っているにしても、こうした自分勝手な
スタンスは変わっていないだろう。


そんな俗物が、「私」を差し置いて国民のために皇室祭祀に努められる
陛下のことをどうこう言える筋合いなどない。
そもそも陛下は「体力的に辛い年齢になったから」のではなく、
「祭祀で間違えることがあった」ために「正しく行事を行うことが
困難になったから」退位の意向を示されているのだ。
私的な「疲れたから」「のんびりしたいから」という理由ではない。
つまり、あくまで国事行為を正しく継承していくことのみを最重要視して
おられる。
前の昭和天皇もそうだったが、「自分の身」はどうなってもよい、という
信念は常に抱いておられる。
万世一系の天皇が、国民のために祭祀を執り行う、ということに
大きな意味があるのだ。


当然、石原はそんなことは分かっちゃいない。
保守のポーズをとっているだけで、単に頭の固いジジイである。


ほかにも、自称保守派には、あくまで男系男子への継承にこだわっている
連中が存在する。
男権主義なのか、家父長制支持なのかよく分からないが、単なる時代錯誤
であって、こんな連中は保守でも何でもない。
歴史上、女系女子の天皇は存在するし、男系男子が一般になっても
それを維持できたのは側室制度が存在したからだ。
だから、男系男子にこだわるのならば、この現代日本において
側室制度の復活を主張しなければならない。
将来的に、悠仁親王殿下のもとに男子が誕生しなければ、
それで皇室は途絶えてしまいかねないのだから。


また、リベラル左翼のサイドもかなり無茶苦茶な発言が目立つ。
毎日新聞には、とある大学の教授が、こんなコメントを寄せていた。
曰く「公務が激務であるのならば、将来的には”公的天皇”と”私的天皇
の両立も視野に入れていかなければならない」。
もはや、何を言っているのか分からない。
「私的天皇」って何だ?
「無私」の存在で、「公」のために祈るのが天皇なのだから、
甚だしい矛盾である。
「私的天皇」だったら、他の国民と同じように「居住・表現・職業選択・
婚姻等々」についての「自由」が憲法の下に保証されるのか?
そんな存在が、国民から敬われるとでも思っているのだろうか。
ここまでトンチンカンな発言をしても大学教授でいられる、というのは
ある意味では恐ろしい。


一方、「生前退位」の自由を認めてしまうと、将来的に「私的な都合」で
簡単に退位できてしまう、という可能性が生じる、という慎重論がある。
可能性の上では確かにそうだが、これ、わざわざ考慮すべき問題なの
だろうか。


上述したように、昭和天皇今上天皇も「公務第一主義」をとられてきた。
自身が心身ともに疲弊しているかどうか、ということは一切関係なく、
「正しく公務を行える状況にあるか」だけを念頭に置いておられた。
だから、国民から敬われるのである。
そういった伝統は、二千年近く継承されている。
実際、長い歴史の中で、天皇と民が対立関係にあったことは一度もない。


例えば、戦国時代において、織田信長室町幕府の将軍を今日から追放し、
石山本願寺一向宗をねじ伏せ、比叡山延暦寺を焼き討ちにしたが、
朝廷に弓を引くことはなかった。
天下統一を成し遂げた豊臣秀吉も、キリスト教を弾圧したり、
明や朝鮮半島に侵攻したが、やはり天皇には頭が上がらなかった。
当然と言えば当然なのだが、「攻めたくても攻められない」のではなく、
そもそも「攻める対象の選択肢に入っていない」というのが事実だろう。
少年時代に暴れ回っていた信長も、百姓出身だった秀吉も、
「世俗の権力」と「神聖なる権威」の区別は、言葉ではなく身体に
自然と身に沁みていたのだ。


明治維新以降も、実際の政治を行うのは首相や内務大臣をはじめとする
内閣であり、天皇はそれらとは一線を画した「神聖不可侵」の存在だった。
だから、政治に直接口出しできない分、失政の責任を問われることも
なかった。
明治天皇から大正天皇昭和天皇までは軍服を着用した写真が
残っているが、これは欧米列強に舐められないために新政府が画策した
イメージ戦略らしい。
単なる「象徴」に過ぎず、発言権など制限されているので、
昭和天皇が軍服を着用して軍議に参加し、軍を直接統帥した、という
事実など存在しない。
当時の国民はそれを知っているから、玉音放送を聞いても
天皇を悪く言う人はいなかったのだ。
昭和天皇戦争責任」という馬鹿げた命題が掲げられたのは、
東京裁判史観やGHQの洗脳が浸透し始めた「戦後レジーム」に
なってからなのだろう。


横道が長くなってしまったが、要は天皇が”私”の概念に堕するという
ことは有り得ない」と主張したいのである。
それをすると、天皇天皇でなくなってしまう。
そして、国民の信頼や畏敬の念は一気に崩れ去る。
ひょっとしたら、日本が日本でなくなってしまう、というレベルかも
しれない。
歴代天皇はそれを熟知していたから、「公」の事情に基づいた場合のみ、
生前退位されていたのだ。
当然、現在の皇室の方々も、それは理解されているだろう。


基本的に、「公」を軸にした信頼関係「のみ」で成立しているのが、
天皇と皇室である。
だから、「天皇が”私的な事情”で退位してしまう可能性」を論じるのは
愚問だろう、と考えるのだが、いかがであろうか。


ただ、こうした基本知識を理解していないような、自称保守や左翼の
知識人らしい人までが「皇室典範改正議論」にまで参加してしまう
のならば、確かにやたらと時間がかかってしまいそうな気はする。
宮内庁が、もうちょっとしっかりと陛下をサポートすべきだろうな、と
個人的には思うが。