小林よしのりからの影響

さて、本日以降は基本的に常体(「だ・である」調)で文章を統一する。
別に偉ぶっているわけではなく、こちらの方が書きやすいのだ。


そして、最初にはっきりさせておいた方がよいと思うので、書いておこう。
私は小林よしのり氏のファンである。
昨今のネット界では、このように書くとすぐに「信者」呼ばわりされてしまうが、
特定の知識人にシンパシーを感じることは決して悪いことではない。
むしろ、無頼派を気取ってネット記事しか読まない連中の方が、
よほどタチが悪い。


私は小林氏の著書に接して、自らの価値観を180度転換させられたという体験が、
これまでに2度あった。


1度目は大学卒業後まもない頃だった。
いわゆる従軍慰安婦問題に際して、それまでの自虐史観を覆し、
戦前の日本を再評価する動きを作ってくれた。
私はがっつりと「戦後民主主義」の教育に洗脳されていたので、
「日本って、悪い国じゃなかったんだ!」と気付いただけでも衝撃的だった。


2度目はつい1ヶ月ほど前だ。
ネット依存の愚かしさを認識して、書き手の顔が見える本や雑誌を読んで
情報を収集していた頃だった。
小林氏の『民主主義という病い』(幻冬舎)という本が出版された。
この内容については後日、きちんとレビューしようと思うが、
その中で「戦後民主主義」の悪影響についてじっくりと論じられていた。
読後、「では、戦時中や戦後って、どういう状況だったんだ?」という
疑問が浮上したため、20年ほど前に読んだ『戦争論』(幻冬舎)を再読。
おかげで、GHQによる洗脳政策について知ることができた。


つまり、日本人に深く植え付けられた「洗脳」を突破することができたのだ。


小林氏の凄さは、この2冊の大作を読んだだけでも充分に窺い知れる。
何しろ、20年の月日を経ても、小林氏のスタンスには全くブレがないのだ。
『民主主義の病い』では「公」と「個」の概念の重要性を提唱し、
「私」に拘ると民衆は堕落する、と主張しているのだが、
この理論は『戦争論』の時点で既に完成していたのだから驚きだ。


実際のところ、『戦争論』が出版されたときは「小林よしのりは右派だ」と
批判され、近年ではネトウヨから「小林よしのりは左に転じた」
「もう役目は終わった」などと揶揄されている。
しかし、著書を読んで「公」と「個」の概念を理解すると、
そもそも小林氏が右とか左とかいった枠組みとは別次元の世界に位置している
ことが分かる。


こういった知識人は、非常に少ない。
何しろ、読者や世間に迎合するつもりなどさらさらないのだから、
従来の「左右枠組み」に囚われている人間であればあるほど、
著書を読んでも理解できないか、猛烈に反発したくなるだけだからだ。
小林氏自身が語るように、劇薬なのである。
しかし、洗脳から脱却するには、劇薬しかないのも事実である。


ちなみに、小林氏のファンだと書いたが、公式ブログ『ゴー宣道場』の
内容などには、少し首を傾げたくなることもある。
でも、小林氏の立場は一貫しているので、「確かに、こういう見方になるかな」
と納得はできるのだ。


また、小林氏は著書に必ず参考文献を掲載しているので、それらを自分で
読んでみる、ということも行っている。
小林氏を幹にして、枝葉が広がるように読書の範囲が大きくなっていくのだ。


というわけで、小林氏の著書がなければ今の私は存在しない、と言ってもよい程に
影響を受けている。
「自分で読んで、自分の頭で考える」という事を学んだのだ。