読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

拡散せよ! 視て、読む「森友問題」「アッキード疑獄」

「森友問題」――いまや「アッキード疑獄」と言った方がよいのかも
しれないが――について書きたいことが多すぎてなかなかまとまらない。
前回も書いたが、この疑獄は「権力の腐敗」を顕著にしているものなので、
「籠池氏が詐欺師で嘘つきだった」で済む問題ではない。

ただ、籠池氏は証人喚問で訊かれたことについてはひとしきり喋って
しまったので、これ以上新しい情報が入ってこない。
本来ならば、安倍昭恵松井一郎・迫田英明の「当事者トリオ」は
証人喚問で話を聞かなければならない。
その他、籠池氏の元代理人弁護士の酒井康生も対象にしてよい。
とにかく、他方の立場からの「偽証が許されない答弁」が引き出されない
ことには、これ以上何かを追及することが難しい。

自民党は「違法の疑いがない」という一点張りで、安倍昭恵の証人喚問を
頑なに拒んでいる。
松井一郎は、本人が「証人喚問に呼ばれれば行く」と明言しているが、
自民党内部では「協議中」だという。
そうした態度は、要は喋られては困ることがあるという証拠なのだが、
自民党としては安倍夫妻を守るためには手段を選ばないらしい。

新しい情報が出てこないので、ニュースやワイドショーでこの疑獄を
取り上げる時間が少なくなってしまった。
こうして国民の関心が薄れていくのを自民党は狙っている。
意識を保っていなければ、日常生活が忙しい庶民などはこのワナに
嵌ってしまう。

それを危惧しているのが、よしりん先生こと小林よしのり氏である。
公式ブログ『ゴー宣道場』で何度もこの疑獄について書いており、
注意を喚起している。
タッグを組んでいるのが、『ゴー宣道場』師範の一人である木蘭先生こと
作家の泉美木蘭氏だ。
木蘭先生は持ち前の高い情報収集力を駆使して、マスコミでも報じられて
いない資料まで入手した上で、とうとうこの事件に関する年表を作り上げて
しまった。
よしりん先生の直観が木蘭先生によるデータで補強されるかたちで、
自民党や劣化保守の連中が事態を何とか矮小化しようとする動きを
大いに牽制している。

そして先日、お二人による生放送トークが「ニコニコ動画」で行われた。
テレビでは「不適切」ということでなかなか喋ることが出来ない内容を
開けっ広げに暴露していた。
よしりん先生ならではの風刺ジョークが炸裂しており、本来はこの内容を
『ゴー宣』で描きたいけど「SAPIO」がアナクロ寄りだからそれが難しく、
相当に溜め込んでいたものがあったのだな、と想像できた。

ただ、木蘭先生の年表に沿って要所要所を丁寧に解説していたので、
視聴者は楽しみながらこの疑獄の全体像を掴める、といった寸法である。
この動画、『ゴー宣道場』としては拡散してもらうために、見やすいように
編集した後にYouTubeにアップしている。
私も微力ながら拡散に協力できればと思い、こちらに貼り付けておく。
今の自民党について「ちょっとおかしい」と感じる方は、
是非とも視聴していただければと思う。

謎解きアッキード事件~森友学園疑疑獄の真相

なお、本編で紹介されている『文藝春秋』掲載の石井妙子氏の記事
安倍昭恵「家庭内野党」の真実』は、以下より¥100でダウンロードできる。
http://books.bunshun.jp/ud/book/num/1692038600000000000T

私はフリーソフトkindleをインストールして読んだ。
非常に衝撃的な内容であった。
「森友問題」発覚前の2017年1月に行われたインタビューが元になっており、
それだけに安倍昭恵は何のてらいもなく喋りまくっている。
「ピュアでイノセンス」「天真爛漫なお嬢様」「純真な博愛主義者」
「何かを頼まれると断れない性格」
と、自民党御用知識人たちは
安倍昭恵「いい人」ぶりを強調するが、これを読むとイメージは一変する。
確かに「根は悪い人ではない」のかもしれないが、読後に得た感想は
端的に言って「昭恵はバカだ」
ということだった。
内容がまとまり次第、このブログで言及していこう。

この疑獄、こうしたネットで得られるコンテンツが存在しなければ、
自民党の思惑通りに終息していたかもしれない。

その点においては、権力を監視する国民としてはネットサービスに
感謝しなければいけない。
一方で、安倍政権が長期化して権力が腐敗したのは、ネトウヨを始めとする
ネットが生み出した劣化保守、アナクロニズムが要因であったと言える。

時代が移ろう中、己の信じる保守もしくはリベラルを貫くことが出来る
だろうか。
そのためには知識をつけ、勉強せねばならない。
勉強して思想を深めるという行為は、一生終わることがないのである。

権力は信用するものではない、監視するものである

「森友問題」について、一部の自民党議員や自称知識人らが、
「いつまでこの問題に拘泥しているのだ」
「ワイドショーネタで国会を空転させるべきではない」
北朝鮮のミサイル配備やトランプ大統領の動向について議論すべきだ」
……などと言い始めている。
要するに、籠池夫妻に全てをなすりつけて「トカゲのしっぽ切り」を行う
つもりなのだ。

ネトウヨ安倍信者はそれで納得するのだろうが、真っ当な国民はこんな
欺瞞に騙されてはいけない。
「森友問題」は、臆面なく公私混同を押し通してしまう腐敗した権力を
糺す
ということがテーマである。
よって、この腐敗構造を明らかにして、権力への国民の監視をしっかりと
したものに確立しなければ、現状の国会を先に進めることはできない。

官房長官「籠池氏の証言は、我々の主張と相反する。我々の主張が
正しいということはお分かりだと思う。籠池氏は偽証している可能性が
ある」
という旨の発言をした。
「首相を侮辱した」という懲罰的な目的で籠池氏の証人喚問を承認し、
自分たちに不利な発言が相次ぐと「我々の方が正しい」と一方的に主張する。
これが民主主義国家のやる事なのだろうか。

この疑獄、韓国の「朴槿恵問題」と重なる部分がある。
朴槿恵前大統領は収賄罪で逮捕されたが、それ以前に友人の崔順実容疑者を
政権運営に関与させた疑いがもたれている。
まさに「私人」が政府を動かしていたのだ。
安倍晋三は「妻は私人」と主張した上で、それを閣議決定してしまったが、
その「私人」の存在が財務省国交省の役人の判断に影響を与えたという
のであれば大問題である。

私は安倍昭恵は公人だと思っている。
「首相夫人付職員」
などというポストの存在は初めて知ったが、
これは安倍内閣でしか設置されていないものらしい。
第一次安倍内閣が倒れてから一旦廃止された(その時は、名称は少し異なって
いた)が、第二次安倍内閣となってまた復活したのだ。
しかも、首相官邸には「首相夫人専用室」まで設けられているという。
こんな待遇を受けている「私人」など存在しない。

ただ、仮に「私人」であるとするならば、籠池夫妻は「私人」に借地契約の
条件を大幅に変更してもらうように陳情し、谷査恵子氏は財務省からの
回答も含めた経緯を「私人」に報告していたことになる。
これは、安倍昭恵が官僚に一定の影響力を持っているであろう(あるいは
影響を与える窓口となりうるであろう)と籠池夫妻が判断していたからだろう。
そして、谷氏が安倍昭恵に経緯を報告したということは、
安倍昭恵は国家公務員である谷氏の上司である、ということが公式見解である
ことを表している。
つまり、「私人」が「公的権力」に関与していることが明らかであり、
結果的に官僚が思惑通りに動いたのであれば、朴槿恵政権の腐敗ぶりと
同じ様相を呈している
のだ。

韓国国民は大いに憤り、大規模なデモを敢行した。
私としては、必ずしもデモ活動は良いものと短絡的に認めたくはないし、
国民性とも言えるオーバーな感情表現は見ていて複雑な気持ちになるのだが、
少なくとも彼らは怒りの声は上げたのだ。

一方、日本国民はどうなのか。
権力の横暴にあまりにも鈍感すぎないか。
デモでなくとも、様々な言論で権力を批判することは可能である。
しかし、一部のメディアは保守的な高齢者や安倍信者ネトウヨ
こびへつらうためなのか、冒頭に掲げた「政権にとって都合の良い言論」を
支持する始末
である。
国民レベルにまで浸透した「劣化保守」の腐敗が凄まじい。
これでは民主主義国家としてはまだ半人前である韓国の国民の方が、
少なくとも内政に関しての意識が高いのではないか、とさえ思えてしまう。

現代において、江戸時代の「お上の善政」はほぼ潰えてしまった。
「権力」という概念が意識されてからというもの、日本人でも「権力の座」
がもつ魔性の虜になるように変わってしまった。

「権力」や「権力者」に対して、性善説に基づいて接してはいけない。
特に戦前あたりからの日本の権力者は、事実を言い換え、捻じ曲げ、
果てはなかったことにするという行為を繰り返してきた。
日本人はそれを意識しなければならない。

基本的に「権力」や「権力者」は、恐ろしい存在なのである。
簡単に信用してよいものではない、ということは強調しておきたい。

「森友問題」真相究明の幕が切って落とされた

籠池氏の証人喚問が無事終了した。
私は、ほぼ満額回答だったのではないか、と思っている。
3種類の建築見積書についてのみ「刑事訴追の恐れがあるので回答を控える」
と述べたので「ほぼ」が付くが、それ以外は百点満点だろう。


一部のワイドショーは「籠池氏に振り回されている」「問題が矮小化されて
いる」として、本来の国有地払い下げ問題に焦点を当てろ、と言っている。
それはその通りだが、籠池氏が述べる主観的事実だけで真実が解明される
はずがない。
安倍昭恵松井一郎、迫田英明らを証人喚問の場に立たせることによって、
初めて客観的事実が浮かび上がるのである。


籠池氏は、すっかり心が入れ替わってしまったように見える。
証人喚問の冒頭発言で、以下のように述べている。

「幼児教育の現場で指導の行き過ぎなど不行き届きが生じた。
至らなさを認め、反省すべき点は反省し、謝りたい
今後は行政の指導を受けて適切に改善を行ってまいる」

自分の教育方針が、世間の常識と照らし合わせて不適切であったと認めた
ともとれる発言だ。
3月10日に息子を伴って行った記者会見の時とは、全く異なる態度である。


その上で、実際の払い下げの経緯については、以下のように述べている。

大阪府松井一郎知事や府に力添えをいただくようお願いした。
ただ、その後の府の中でのやり取りは知らない
松井知事から話を聞いて、国会や府議会で真相を究明していただきたい

「最終的に土地価格は8億円も値引きされ、1億3400万円あまりになった。
想定外の大幅な値下げに当時はちょっとびっくりした。
値引きの根拠などは財務省近畿理財局、当時の理財局長にお聞き
いただきたい

「佐川宣寿理財局長の命で「10日間隠れていて」と顧問弁護士に
伝えられたことも不思議だった

「私の妻に昭恵夫人から(中略)口止めとも取れるメールが届いた。
「考え方に共鳴している」とか「森友学園の先生の熱意は素晴らしいという
話を聞いている」と首相も言っていたのに、どうしてなのか割り切れない
思いだ

「大幅な値引きなど一連の真相を明らかにするためにも、私だけに
「トカゲのしっぽ切り」で罪をかぶせるのではなく、関係者の方々を国会に
呼んで、
真相究明を進めていただくよう心からお願いする


その後の「神風が吹いた」発言も含め、籠池氏はどのような力が働いて
大幅な値引きに至ったのか、知らないのである。
「忖度があっただろう」とは述べているが、もちろん断言はしていない。
当たり前だ。
財務省国交省の役人と直接交渉したわけではないのだから、
籠池氏の主観で「忖度」や「口利き」の存在は証明できない。


籠池氏は、松井知事や鴻池議員、安倍昭恵らに「働きかけ」を行った
だけである。
それ自体は褒められた行為ではないし、鴻池議員への「コンニャク」などは
賄賂申込罪に問われる可能性がある。
ただ、そうした「働きかけ」により、ブラックボックスから「認可適当」
「8億円値引き」という「結果」が出てきたのだ。
籠池氏は、ブラックボックスの中身の詳細を知りようがない。
だから「神風」「天からの配剤」としか表現できないのだ。


自民党や維新の議員、安倍晋三御用ジャーナリストらは、籠池氏の証言を
そのまま信用することはできない、
と強弁している。
見積書を3種類も作成しただけでなく、自己の経歴や中学校推薦枠、
天皇陛下森友学園に来られた旨など、ホームページに虚偽の記載を
していた事実を挙げて、「こういう嘘つきなのだから、嘘の証言をしている
可能性がある」というのだ。


それらはもちろん看過できない不正であるが、いずれも「過去のこと」であり、
見積書以外の項目については証人喚問できちんと弁明している。
また、これらの不正は、小学校設立のため、あるいは森友学園の誇大広告の
ためであり、具体的なメリットが存在する。
一方、証人喚問で籠池氏が嘘を述べるという行為には、デメリットしかない。
当然ながら偽証罪に問われる恐れがあるし、そもそもそのようなリスクを
背負ってまで「守るもの」が、籠池氏側にはもう無いのだ。

小学校設置認可申請は取り下げ、それに伴って15億は下らないと思われる
負債を背負うことになる。
証言の内容によって、負債が減じるわけではない。
この期に及んで、偽証する必然性がないのだ。


そもそもこうした不正は、「そこまで調べる奴はおらんやろ」と軽い気持ちで
嘘を表記したという程度のものである。
だから、実際に調べればすぐにバレる。
こうしたチンケな嘘こそ「籠池クオリティ」である。
しかし、「百万円の寄付金」や「借地契約についての安倍昭恵への陳情」
などは、内容のレベルが全く異なる。
安倍昭恵が人払いをして、「一人でさせてすいません」と言って
百万円を渡した、という込み入ったエピソードを、籠池氏が創作できるとは
思えない
のだ。


上述したように、籠池氏はブラックボックスの中の動きについて
ほとんど知らない。
大物政治家から寄付金を受け取る際に、先方が人払いをする習慣があるのか
どうかさえ、知らないのではないか。
また、陳情を行うにしても、安倍昭恵に電話したら留守電だったからといって、
ダイレクトに谷査恵子氏(首相夫人付職員)に連絡したとも考えにくい。
籠池夫人と安倍昭恵の仲だからこそ成立する話であり、だからこそまずは
安倍昭恵の耳に入れておかなければならない
、と考えるのが「籠池クオリティ」
である。
谷氏にどれだけの権限があるのか、谷氏に頼んで財務省に話を上げて
くれるのか、籠池側には全く分からないはずだ。


以上は私の推測でしかない。
籠池氏は「日本会議」を始めとする「劣化保守」の連中(かつての仲間)
から手のひら返しを受けた
ため、世間一般の側に戻りつつある、と
私は思っている。
昨日の『報道特集』の籠池氏単独インタビュー(証人喚問後)を見て、
その印象は強くした。
何かに取りつかれていたかのような3月10日の記者会見とは打って変わって、
表情が穏やかなものに見えた。


真相を究明するには、安倍昭恵松井一郎、迫田英明らの証人喚問は
必須である。
自民党「首相を侮辱した」という理由で籠池氏の証人喚問に応じ、
思惑が外れると籠池氏を嘘つき呼ばわりし、そしてその他関係者の
証人喚問には応じない。

真相を闇に葬ろうという不誠実な態度である。
もちろん、証人喚問は「私人」にも適用されるし、「罪に問われるか否か」は
全く関係がない。


「籠池劇場」などと言って冷めている場合ではない。
巨悪を追及する幕がようやく上がったばかりなのである。

責任を全うするつもりがない雁屋哲

福島第一原発事故で思い出すのが、『美味しんぼ』の「鼻血問題」だ。
以前、原作者・雁屋哲が書いた自説批判への反論本
美味しんぼ「鼻血問題」に答える』を読んでみたことがある。
あまりに自己中心的な内容であったことに憤り、このブログで3回に渡って
批判した。
今になってその部分を読み返すと、少しズレた記述もあって赤面するが、
「この時、自分はこう思っていた」という記録なので、そのままにしている。


それにしても、当の「鼻血問題」が2014年、反論本出版が2015年で、
随分と月日が流れたが、『美味しんぼ』の連載が再開されたという話は
聞かない。
雁屋哲は今、何をしているのか、公式ブログで確認してみた。


やはりファンから「連載再開はいつになるのか」という問い合わせが
来ているらしい。
しかし、雁屋は「自分の一存では決められないので、もう少し待って
ほしい」と答えていたのみだった。
そもそも連載休止した理由が不明であり、その後も『美味しんぼ』の
ための取材を敢行した形跡もない。
もうやめたがっているのではないか!? とも思うが、少なくとも
応援してくれているファンにはきちんと説明したほうがよいのでは
なかろうか。


そこはまあ雁屋の個人的問題として深く追及しないが、
『~「鼻血問題」に答える』であれだけ放射能汚染の危険性を強調し、
福島の食に対する並々ならぬ愛情を綴っておきながら、
ここ数年間、被災地への取材を全く行っていないというのは解せない。


震災発生当時、雁屋はブログで以下のような文章を書いていた。

「今政府は、半径10キロ以内の住民の避難を勧告しているが、
10キロどころで収まる訳がない
福島原発の数10キロ四方の土地はこれから、数千年、数万年人が近寄れない
土地になる
だろう。周辺の魚も全部食べられなくなる」
(「ウィキペディア」記事より引用)


「鼻血問題」も含め、主観が強すぎるのではないか、風評被害を助長する
のではないか、という懸念が生じる。
実際、当時はワイドショーでも取り上げられるほどの問題となった。


しかし、雁屋はそういった世間からの批判に対し、
『~「鼻血問題」に答える』という不十分な反論を行ったのみであり、
その後は完全に原発問題から撤収してしまったのだ
ブログを見る限り、現在は福沢諭吉批判本の出版とそれに関連する
講演活動で大忙しのようである。


こういう態度を、世間一般的には「無責任」という。


雁屋哲は、その創作活動や発言内容が世間に一定の影響を与えるのだから、
れっきとした「公人」である。
「公人」が自身の見解を著作物やブログというかたちで「公共の場」に
発表したのだから、その始末はつけなければならない。

理性的な批判があれば、真摯に受け止め、自身の思考過程に誤りがないか
再検証
する。
説明不足を感じたのであれば、可能な限りで情報公開すればよい。
「常識」を持った大人であれば、当たり前の行動である。


しかし、雁屋はこれが出来ない。
自説を疑う、ということが出来ない。
「絶対に正しい自分」を批判する奴らは何もわかっていない、
間違っている
、という尊大な態度が、『美味しんぼ』連載当時から
ずっと続いている。
よって、「自分を批判する日本人」はおかしいのであり、
そのような日本人によって構成されている日本社会は狂っている

という理屈になる。
「自分は日本社会になじめない」と勝手に判断して海外に飛び出し、
海外からネチネチと日本社会批判をする勘違い国際人と同じような
論理だ。


「公人」が「公共の場」に自説を発表したのならば、説明責任が
発生するのは当然のことである。

言論の自由」が認められる裏側には、求められれば当人はその言論について
説明する責任を負う、ということであり、批判されればその言論について
検証する義務がある、ということである。
憲法でそこまで明文化されてはいないが、当たり前ではないか。
際限なく認められる自由など、存在しない。
よって、雁屋がよく用いるフレーズ「日本には言論の自由はない」は
誤りである。
責任も義務も負わない人間が、自由を謳歌できるわけがない。


少し話がそれてしまったが、雁屋は放射能の影響において誇大表現を
用いた「疑い」があるのだから、その後の経過を調査する取材を行う
責任がある

福島の食文化に対する愛着が強いのであれば、なおさらだろう。
震災から6年経過して、農業や水産業の現状がどのようなものであるか、
取材したいと考えるのが普通である。


しかし、雁屋はそういった「公的な責任」「個人的な愛着」
放り出してしまった。
「何故、今?」と首をかしげたくなる福沢諭吉批判本にかかりっきり
なのだから、単なるジコチューと言われても仕方がない。

主にネットでは、雁屋哲は「反日左翼」として批判にさらされてきた。
しかし、私はそういった私的なイデオロギーには関心がない。
所詮は漫画原作者に過ぎず、学者でも思想家でもジャーナリストでもない
のだから、放っておいてよいと思っていた。
ただし、こうした「ジコチュー=エゴイズム」と感じられる態度には
大きな憤りを感じる。

それ自体は、前述したように『美味しんぼ』連載当初からそのような
雰囲気が詰まっていたのだ。
機会があれば、『美味しんぼ』批判というかたちで書いてみようかと
思う。

「東日本大震災避難者の会」展示&座談会

3月10日、つまり「3.11」の前日、大阪・梅田で「東日本大震災避難者の会」
による「避難者あるある川柳」の展示会が催されていたので、足を運んだ。
三番街(梅田地下街)の一角に、思っていたよりも小さなスペースが
設けられており、川柳の他に会の活動報告や関連イベント告知などの
展示物が並んでいた。

「あるある川柳」というと、何だか「笑ってしまうユーモラスな内容」
なのかと思ってしまいそうだが、そういうものではない。
国や東京電力原発を推進する学者共に対する、まさしく心の叫びである。
場内撮影可能だったので、以下に作品を掲示しておく。
f:id:bictree:20170321095031j:plain
f:id:bictree:20170321095058j:plain
f:id:bictree:20170321095117j:plain
f:id:bictree:20170321095144j:plain

言うまでもなく「避難者」とは原発事故のために他府県への避難を
余儀なくされた人たちである。
しかし、被災地で何とか生活を続ける人たちとは異なり、マスコミが
避難者の生活に目を向けたことはこれまで少なかった。
よって、昨年の夏か秋頃に報じられた「神奈川県の避難者小学生への
いじめ」には衝撃を受けた。
しかもそれは氷山の一角でしかなく、他府県でも同様のいじめが
報告されており、しかも大人が職場や生活空間で嫌がらせを受けるケースも
多いという。

ある避難者は、引っ越しした際に近隣の家に粗品としてタオルを
贈って回ったが、後に町会長がその全てを回収して突き返されたという。
放射能がうつると困る」ということだった。
いい歳をした大人がこんな迷信に囚われ、人間としてあり得ないような
失礼かつ侮辱的行為を平気で行っているのだ。

大阪に移った避難者は、
補助金もろたん? いくら?」
と聞かれたという。
同じ大阪人として恥ずかしく感じる。

会場に足を運んだ時、ちょうどイベントとして座談会が催されていた。
会のメンバーと私のような外からの来場者がそれぞれ意見を述べ合う、
というものだったが、会場の雰囲気が少しぴりぴりしていた。
よく耳を傾けてみると、外からの来場者らしいオッサンが、こともあろうに
原発安全論をぶちかましていた。
そして、「安全なのに、何故避難するのか」と会の代表者を追及していた。

オッサンは言う。
大和川が氾濫しても、復旧が進めば元の土地に戻ってくる」
「○○先生の論文を読めば、原発が安全であることは明白」
「汚染水は安全。何なら、飲んで見せたってよい」

私は呆れてしまった。
天災と人災の区別がつかず、自分と同じ立場の学者の文章しか読まず、
状況的に実践不可能なことを約束して威圧するような人間が、
何の用があってこの会場に来たのか。

会の代表者は非常に冷静かつ理性的に対応していた。
「避難者の会」という立場上、感情的になって無下に相手の言論を
否定することはよくない、と心得ておられるのだろう。
オッサンに丁寧に応答している内容を聞くと、原発放射線についての
専門知識を相当に勉強されているのだ、ということがよく分かった。

自分たちが置かれた境遇が、どのような「科学的」メカニズムにおいて
生み出されたのか、きちんと知っておく必要がある。
実に真摯な態度だと思った。

オッサンの発言を聞いていると、完全に「原発推進」というイデオロギー
虜になっているということがありありと理解できた。
原発推進・再稼働容認」という結論ありきでしか語らない・考えないので、
どうしようもない。
いい加減、腹が立ったので、私は発言の機会を得て、このように問うた。

原発のようなものを後世に残して、子孫に顔向けが
できるのですか? YESかNOでお答えください」

オッサンは一瞬返答に詰まり、YESやNO以外の言葉ではぐらかせた。
エゴイストであることが明らかになった瞬間だった。

こうした議論の場合、我々のような庶民は専門知識の点ではオッサンの
ような「マニア」には及ばない。
よって、庶民が当たり前に備えている「常識」に基づいた「情」の観点で
語るしかない。

常識的に考えて、あのような大事故を引き起こし、地域共同体を破壊した
原発のような代物を後世に残すというのは、心情的に許せない。

次世代の人間に「一応、安全だから」などと言えるはずがない。
あのような大事故を経験しても「脱原発」が遂行されていないというのは、
平成の世の人間は何をやっていたのか? と問われれば、顔を上げられない。

「理屈」ではない。
「情」や「常識」で判断する。

オッサンは、自分の「理屈」の正しさを知らしめるためだけに、
わざわざ「避難者の会」のイベントにやって来たのだ。
避難者に一泡吹かせようと思ったのかもしれない。
要は自尊心や自己満足だけが動機だから、私情の塊である。
自分の事しか考えていない我利我利亡者だから、「公」の事を念頭に置いた
私からの質問には答えられない。
全く想定していないし、考えたこともないからだ。
いい歳して、本当に情けない。

ただ、こうしたエゴイストが紛れ込んでいるというのが「世の現実」である。
その理不尽さを生で体験できたというのは、よい勉強になった。

とにかく我々は、必要な知識は少しずつでも取り入れていかなければ
ならない。
おかしな扇動に惑わされないためには、それしかないのだ。
ネットの知識だけで満足していてはいけない

ちなみに、座談会の後、アンケート提出と引き換えに『3.11避難者の声
当事者自身がアーカイブという』冊子をいただいた。
会の皆さんが、避難先で感じた苦労や不満などがリアルに綴られている。
まさに、「生の情報」である。
「もう6年」が経ったけど、「まだ」何も解決していない、ということを
心に留めながら、ゆっくり精読しようと思う。

尊皇心を貫く戦いはまだ続く

毎日新聞の報道に不信感を抱いていた私であったが、天皇陛下の退位に
関する全体会議の記事は真実であったようだ。
残念ながら共産党社民党が与党案に賛意を示してしまい、民進党
ほぼ孤立状態となった。
結局、野田佳彦幹事長は「皇室典範に、特例法を典範同等の法律として
扱う旨の付則を加える」という条件のもと、特例法を「第二の皇室典範
として認めざるを得なくなった。


言うまでもなく、恒久法による退位を望む国民世論と逆行している。
せっかく民進党を応援していたのに、ここで折れてしまうから支持できない、
いつまで経っても万年野党なのだ、という嘆息が聞こえてきそうだ。
今回の全体会議で、「特例法は矛盾している」とはっきり反対の意を
表明したのは自由党代表・小沢一郎だけだった。


しかし、風向きを変えたという意味において罪が大きいのは、共産党では
ないか
と思う。
小池晃書記長は、1月か2月に放映された『日曜討論』では皇室典範改正
こそが本道。そうでなければ、憲法の精神が失われる」
と発言しており、
自民党高村正彦副総裁と明確に対立していた。
ついでに社民党は、「天皇の人権を尊重すべし」という立場から、
やはり典範改正に賛成していた。
この両者の態度が一転したのは、付則の追加によって「憲法と矛盾しない」
ということが裏書されたから
だろう。


やはり、イデオロギーに基づいて行動する連中は信用できない
我々尊皇派からすると、典範改正と特例法とでは天と地ほどの違いが
あるのに、共産党社民党にとっては、それぞれの「護憲」「人権擁護」
というイデオロギーさえ順守されれば結果はどうだっていいのである
元より左翼政党だから、「天皇性」の存続や皇室の安定的継承には
興味がないのだろう。


民進党は不意を突かれたかもしれない。
野田幹事長も前述の『日曜討論』に出演していたが、何しろ人が好い御仁
なので、共産党社民党の発言を聞いて「共闘できる」と判断した
可能性はある。
それが突然の手のひら返しに遭ってしまった。
ひょっとしたら、一旦は意見の統一を見た民進党議員の中で動揺が
走ったかもしれない

まさに思案のしどころ。


私としては、今国会の質疑や小林よしのり氏との対談の内容で判断する限り、
野田幹事長は真っ当な尊皇派としてブレていないと思う。
それは2月の『ゴー宣道場』に参加した細野豪志議員と山尾志桜里議員も
同様
だ。
ただし、党運営の方向性は見極める必要がある。
蓮舫代表が未熟であることは否定できず、舵取りを誤ると保守とリベラル
あるいは左翼とで分裂しかねない。
よって野田幹事長は、言葉を選んで慎重な発言に終始しているのだろう、
と推測する

細野議員が「交渉は幹事長に一任している」と発言しているのも、
決して思考停止しているわけではなく、「党の公式見解」を一元化して
おくためだろう。


左翼も右翼も私情を差し挟むばかりだが、保守はそうはいかない。
「公」の存在である天皇陛下と皇室のために奮闘するわけだから、
自身の言動も「公」に徹する必要がある。

陛下の「お気持ち」に応えるためには、目先の支持率などに惑わされている
場合ではない。
今こそが、生涯で一度きり行える「陛下への恩返し」を実行できる
最大最後の機会なのだ。

我々国民も、それを意識して成り行きを見守り、可能な限り協力していく
必要がある。
「万年野党」と野次っている場合ではないのだ。


一応、与党は「合意」に達した法案を5月の大型連休明けに国会に提出する
予定らしい。
ただし!
「森友問題」で国会の紛糾が続けば、予定通りに実現するかどうかは
全く分からない。

極端な場合、4月頃に解散総選挙の運びとなる可能性だってあるのだ。


「エセ保守」の成れの果てである「アナクロニズム」に端を発した
ゲスなスキャンダルで、退位にまつわる議論の流れが変わるというのは
何とも複雑な心境だが、それでゲスな権力者が放逐されるのならば
それも天の配剤
なのかもしれない。

権力を批判しなくなった毎日新聞

自宅では毎日新聞を購読しているのだが、昨年末あたりから様子が
おかしい。
あからさまに安倍政権にすり寄り、提灯記事としか思えない内容が
目立つ
ようになった。
本来は左派新聞であり、それでなくとも権力を監視して批判するのが
マスコミの務めであるはず
なのに、全く逆のスタンスに陥っている。


「IR法案」の時は、IRによるインバウンドの増加が日本経済の一助に
なると信じ込み、ギャンブル依存症や治安維持といった課題を
克服しさえすれば未来が開けるような書き方がなされていた。


ただ、はっきりと潮目が変わったのは今年に入ってから。
「平成」の元号は「平成30年」まで、という政府の方針が発表
されると、目の色を変えて「元号を変える手続き」「過去に挙がった
元号の候補」といった記事を掲載。
昨年までは「考・皇室」という連載で天皇陛下や皇室についての
歴史や基礎知識を丁寧に解説しており、尊王心を感じさせる紙面づくり
だったのが、一転してしまった。
皇室典範改正派だと思っていたのだが、「とりあえず退位が実現すれば
それでよい」という立場に後退してしまった。

これは安倍政権と同じ考えである。


今日の朝刊では、「民進 典範改正を強調 退位全体会議 孤立化に
危機感も」という見出しで、このように書いている。

(前略)
与党が主張する特別立法に共産党も柔軟姿勢を示すなか、民進党
孤立しつつある。
(中略)
民進党は全体会議で退位について「天皇の意思」など3要件を典範に
盛り込むよう求めたが、自民党は「退位の具体的な要件を定めることは
困難」と賛同せず、共産党も「天皇の意思は退位を認める根拠では
ない」と突き放した。
民進党の孤立感は際立ちつつあり、自民党幹部は「自民も共産も
歩み寄っているのに民進は全然変わらない」と皮肉った。

(後略)


あくまで典範改正を主張し続ける民進党が、悪者扱いである。
陛下のお気持ちを忖度すれば典範改正しか道はないのに、
与党に妥協して速やかに退位を実現させろ、と言っている。
「柔軟姿勢」を示す共産党を見習え、と言っている。
「考・皇室」で皇室典範について解説していたのは、何だったのか。
与党の勝ち馬の尻に乗りながら野党を批判する、というスタンスは
メディアとしていかがなものなのか。


さらに3月6日(月)には「森友学園問題」について、山田孝男という
筆者(記者なのか解説委員なのかは知らない)が、驚くべき記述を
している。

(前略)
首相は森友優遇の意図はないという。当然だ。
首相が目指す<保守政治>の理想は、学園が振り付けるような浅薄、
非常識なものではないと、もっと力強く言ってもらいたい。


何と、この期に及んで安倍晋三を擁護している。
森友のアナクロ全体主義こそが悪いのであり、安倍の「保守政治」は
別物だ、と言っている。

安倍の「私と妻は被害者」という主張を丸呑みしてしまっている。
「教育方針に私も共鳴した」という安倍晋三の国会答弁、「主人も
大変に教育熱心な方だと言っている」
という安倍昭恵の講演における
発言を忘れてしまっているのだろうか。


そもそも毎日新聞は「森友学園問題」の報道において、政治の関与を
追及する矛先が非常に鈍い。
学校設立の認可・不認可、建築費用の虚偽報告など、行政手続きの
不備や瑕疵について社会面で報じているが、政治面での扱いは小さい
安倍晋三の国会での醜態、籠池理事長の参考人招致の与党断固拒否、
といったフォーカスすべき内容を、ことごとく目立たないように
掲載している


「そんなつもりはない」と毎日新聞の政治部は言うのかもしれないが、
実際に紙面を読んでそのように感じるのだから仕方がない。
ちなみに、問題発覚してから3週間余りが経過しているが、その間に
社説でこの問題を取り上げたのはたったの2回である。
一面トップに取り上げた回数も、他紙に比べて極めて少ない。


毎日新聞の幹部は、自民党執行部と通じているのか?
安倍晋三の食事会に招待されたことがあるのか?
あるいは、民進党は支持率が低いから「叩けば読者に受ける」
「購読者数が増える」とでも思っているのか?
ネトウヨや自称保守に媚びているのではあるまいな?

どの新聞を購読するかという決定権は私の親が持っているので、
ひとまずは静観しておく。
反面教師として、毎日新聞の退廃ぶりを眺めるのも一興である。
しかし、現状を打破できないのであれば、自浄作用を失った
利己的な組織に堕落した
、と見なすしかない。
毎日新聞は、メディアとして瀕死状態である。