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「北の脅威」について考えるは自主防衛

16日放送の「ワイドナショー」に出演していた国際政治学者・三浦瑠璃氏の
コメントが面白かった。
連日マスコミで報道されている北朝鮮情勢について、「何を今になって
騒いでいるのか」と皮肉っていた。
金正恩体制の危うさは以前からずっと続いてきたことであり、
三浦氏は「北は既に核武装している」と既に明言していたそうだ。
つまり、危機的状況の水位が急に著しく高くなったということではない、
という見方であるようだ。

これには非常に納得出来る。
北朝鮮が核実験を行ったりミサイルを発射したりといった軍事行動において、
明確な予兆が見受けられたわけではない。
強いて言えば、国家的な記念日が集中する4月に何らかの動きがあるのでは
ないか、と推測できる程度である。
それ以外の要因、例えばここ数年間の北朝鮮の動きなんかをわざわざ
おさらいしたところで、何かが見えてくるわけではない。
様々な要因が絡んだ上で、ボタンが押されてしまうか、北朝鮮が壊滅するか
の二者択一状態は、今に始まったことではないのだ。

こうした冷静な判断の出来る専門家の見解に基づくものでなければ、
北朝鮮情勢の報道はいたずらに視聴者の不安を煽るだけのものに
なってしまうだろう。
安倍晋三の「サリン搭載ミサイル」発言にいちいち付き合っている場合
ではない。

しかし、現に日本はあらゆるリスクに直面しているのだから、
それを報道する意味はあるだろう、との反論は予想される。
そういった方にお聞きしたいのは、敵についての情報ばかりかき集めて
何になるのか、ということだ。
己の現状についてきちんと認識しているだろうか。

私がこの件で最も知りたいのは、安保法制との兼ね合いがどうなるのか、
ということだ。
アメリカの空母、カール・ビンソンが朝鮮半島に接近しているという。
もし、この空母が北朝鮮から何らかの攻撃を受けた場合、集団的自衛権
行使されることになるのだろうか。

2015年の安保法案国会で安倍晋三は「アメリカのイージス艦が他国から
攻撃された場合、日本国の存立危機事態となって、アメリカの後方支援を
行えるようになる」といった説明をしていたように思う。
カール・ビンソンはイージス艦ではないが、状況は同じ事だろう。
日本の領土は何ら被害を受けていなくても、アメリカ軍が被害を受けた
だけで「日本の存立危機事態」と見なす、という安保法制の大きな矛盾点

一つが現実化するかもしれない。

本来ならば米朝対立だけで済んでいた所に、わざわざ日本が「我々は
アメリカの同盟国なので、自国の秩序を護るためにアメリカに協力して
北朝鮮に対抗する」と宣言して、自衛隊を派遣するのだろうか。
中立の立場をとっていれば、何のリスクを背負うこともなかったかも
しれないのに、敢えて北朝鮮の標的になるような行動に出るのだろうか。

これはあくまで基礎知識だが、国際法上「後方支援」という専門用語は
存在しない。

日本の官僚か学者が造った四字熟語に過ぎず、「後方支援」をしているだけ
だから自衛隊は攻撃対象にならない、ということではない。
弾薬や燃料の供給であっても、それは立派な「戦闘行為」と見なされる。
よって、北朝鮮自衛隊へ攻撃しても、国際法違反には当たらない。
しかし、自衛隊は「攻撃を受けるまでは何も出来ない」という制限が
存在することは留意しておかなければならない。
あと、「存立危機事態」というのも、シンプルに外国語に訳出できない
造語であったような気がする。
要するに、「存立危機事態」なのだから「後方支援」した、といっても
国際的には理解されないのだ。

己の現状、とはこういうことである。
安保法制という大きなリスクを己の内に抱え込んでしまっているのだ。
金正恩もトランプも不安定要素ではあるが、それらに受動的に左右され
なければならない立場に日本を追いやっているのが、安保法制なのである。

マスコミは、この問題についてきちんと報じなければならないのではないか。
2015年にあれだけ安保法制の危険性について議論していたのだから、
想定しうる事態に以上のような視点を組み入れるのは、決して見当違いでは
ないように思う。
「北の脅威」で想像をたくましくするよりも、現実に日本に存在する法に
よってもたらされるリスクについて、今こそしっかりと議論すべきでは
ないのだろうか。

さらに付言すると、左翼がよく展開している「平和憲法9条こそ抑止力論」は
何の説得力もない、ということも今回の件で実感できるはずである。

北朝鮮のような「ならず者国家が、日本には平和憲法があるから
攻撃しないでおこう、という判断を下すとはさすがに誰も思わないだろう。
自国軍を保有して、自主防衛を可能とするように憲法を改正しないと、
こうした矛盾は永続的に続く。

ただし、改憲は真っ当な保守政権の下でなければ駄目である。
もちろん、安倍政権は論外である。
自主防衛はアメリカから日本が独立するためのものだが、安倍はアメリカに
従属することしか考えていない。
アメリカのために自国民を犠牲にする、という事態に陥りかねない。
現在の自民党自体、以前に発表した改憲草案を一切変更するつもりが
ないようだから、任せられない。
憲法とは何か」について、分かっている人間が少なすぎるので、
真っ当な保守ではないのだ。
結局、改憲はずっと先の話になるだろう。

「北の脅威」について考えてみても、私のような一個人でもこれだけの
論点に思い当たるのだ(的外れのものもあるかもしれないが)。
プロの報道記者ならば、取材内容や専門知識を生かしてもっと深く論点を
掘り下げることが出来るだろう。
目先の視聴率などにとらわれることなく、国民に「考えさせる」
「議論させる」報道を切に求める。

そうでなくては、漠然とした不安が横溢した膠着状態の社会は
一向に改善されないのではないだろうか。

権力者の意図を見抜け! さにあらずんば「ドレイ」に堕落するのみ

この一週間程で様々なニュースが飛び込んできたので、文章をまとめる
時間がない。
新聞をしゃぶり尽くすように読み、必要な記事は切り抜いてスクラップに
するのだが、その作業も追いつかない。
3月までは「森友問題」がメインだったが、4月に入ってからいよいよ自民党
共謀罪」の法案提出に本腰を入れ始めたし、天皇陛下の「生前退位」に
ついて議論する「有識者会議」も大詰めを迎えた。
一方で、シリア情勢に関連して北朝鮮の動きが不安視され、米露が近年では
稀に見る程に対立するなど、海外の秩序も乱れつつある。

ここで注意せねばならないこと。
あらゆるゴタゴタを利用して、自民党は「森友問題」をうやむやに
しようと考えている。

世論調査では、過半数有権者が「問題は何も解決していない」
安倍昭恵を証人喚問すべし」と回答しているが、それら全てを無視する
腹づもりだ。

安倍晋三はは先日の国会で、「森友問題」について質問をした民進党
侮辱していた。
NHK世論調査による内閣支持率が何とか50%台を維持していたことに
いい気になり、相変わらず民進党の支持率の低さを揶揄したのだ。
支持率の高低など関係ない。
国会議員であれば、誰しも有権者の代議士として等しく質問し、議論を行う
権利がある。

民主主義の原則である。
安倍はそれを悠々と破ってしまった。

そして自民党は、「森友問題」について質問するということは、議題である
介護保険法改正については理解をしている、と見なして同法改正を
強行採決してしまったのだ。

これでは、与党が提出した法案以外の質問を封じられたも同然である。
与党にとって都合の良い議題だけが取り上げられ、「審議を行った」という
既成事実だけを作り出し、都合の悪い質問に対しては「野党への中傷」で
応じる。
これが日本の国会の現状である。

さらに安倍は北朝鮮サリンを搭載したミサイルを発射してくる
恐れもある」
といった発言もした。
一国の首相ともあろう人間が、このような憶測に基づいた発言を公の場で
行ってよいものなのだろうか。
仮に野党が「根拠はあるのか」と問い質しても、
「可能性がないとは言えない」
「可能性がないことを証明するのは、悪魔の証明と言って不可能である」
などと応戦するような気がする。

最近は、マスコミも揃って「北朝鮮の脅威」について報じている。
こうして海外のニュースばかり取り上げることが、安倍自民にとって
どれだけ都合が良いことなのか、分からないのだろうか。
権力者がやることは、今も昔も同じ。
自分を支える基盤が危うくなったら、国民の関心を内から外へ向けるのだ。

3月の時点でも、ネトウヨ安倍信者は「いつまで「森友問題」について
議論しているのだ。北の脅威など、喫緊の問題があるだろう」と言っていた。
それが、シリアでの化学兵器による空爆北朝鮮のミサイル発射、
そしてアメリカによるシリアでのトマホーク爆撃といった一連の軍事行動で、
「喫緊の問題」が現実味を帯びてしまった。
自民党とその支持者たちは、「ほれ見ろ、言わんこっちゃない」
胸をはって身体をのけぞらせているかもしれない。
内心は「渡りに船」だったのではないか。

自民党が成立を目指す「テロ等準備罪」という名の「共謀罪」も、
「国民の安全を担保する」という大義名分があるため、世界情勢が混沌と
すればするほど説得力を持つようになる。
考えるのが面倒な人間は、「テロも怖いし、戦争も怖い。平和が守られる
ならば、多少は監視されても法律で未然に防いでほしい」などと
妥協してしまいそうだ。
これまた、権力の側にとって非常に都合の良い状況である。

前にも書いたが、権力は監視しなければならない。
妥協を許せば、権力は必ず腐敗する。
性善説など、もってのほかだ。
権力に都合の良い状況を作り出してはならない。

北朝鮮についてガタガタ言う前に、日本の権力がグダグダに堕落している
ことに気付かなければならない。
外圧に対処するのは行政府である。
その行政府がまともな状態ではないのだ。

そもそも、如何に北朝鮮が危険な状態であろうとも、日本政府が出来ること
といえば非常に限られている

何しろ、自主防衛が出来ないので、独自に自衛隊を偵察に出すことすら
出来ない。
結局、アメリカに頼らざるを得ない。
「トランプは何をしでかすか分からないから怖い」と言ったところで、
日本はアメリカには逆らえない。
「護ってもらっている」のだから口出し出来ない。
極端な話、アメリカが北朝鮮で無差別空爆しようとも、核を使用したとしても、
日本はそれを支持するしかない。

既に「核使用禁止条約」に「反対」の意を表明してしまったのだから、
そうでなければ態度が一貫しない。

いっちょまえに「喫緊の問題」について考えてみても、軍事アナリストらが
提示する「最悪のシナリオ」を見て怖がることしか出来ないのだ。
安倍にしたって、現実的にはトランプに電話して終わり、である。
国内向けには、威勢のいい言葉は発するだろうが、具体的な根拠などない。
だから、「サリンミサイル」のような無責任な発言をして平気なのだ。

安倍自民そして周囲の官僚は、そうした構図を理解している。
その上で、この混沌とした世界情勢を「利用」して、国民の内政に対する
不満をそらそうとしている。

国民は、権力者の意図を見抜かなければならない。
権力に盲従してしまっては、最終的に不利益を被るのは国民の方である。
権力が、ここまで必死に「注意を外にそらそうとしている」のは、
内政に注視されると困るからである。
「森友問題」への国民の関心が持続すると、非常に都合が悪いからである。

ブログで書くのも何だが、ネットで満足してはならない。
ワイドショーで満足してもいけない。
権力および権力におもねるメディアや知識人が提供してくる「エサ」を
つっぱねられるか?

自分は「権力の下僕になっている」と客観視できるか?
井の中から飛び出し、世の物事を理性でもって観察する、という
人間本来の営みを忘れてはならない。
「気楽な下僕」は、即ち「ドレイ」でしかない。
「アメとムチ」だけで動く「ドレイ」は、発言する能力を持ち得ない
のである。

会見の場で私憤をぶちまけた今村復興大臣

またまた安倍内閣の閣僚が失態をやらかした。
今村雅弘興大臣が記者会見の場で暴言を吐いた。

福島第一原発事故による自主避難者に対する国からの支援を3月いっぱいで
打ち切るという発表に対し、記者が「国の責任」を強く問い質した。
そして「無責任だ」という追及に今村は、
「無責任じゃないですよ。ちゃんとやってるじゃないですか」
と、逆ギレしてしまったのだ。

今朝の時点では短くカットされた映像が流れていたので、今村の暴言が
際立っていたのだが、昼以降のニュースでロングバージョンの映像が
公開され、事の成り行きを把握することが出来た。

一部で囁かれている、記者が今村を挑発したのではないか、という見方は
当たっているような気はする。
記者は事前に支援打ち切りの情報を得ていただろうから、責任問題を
投げかけるつもりではいただろう。
ただ、大臣ともあろう人間が感情的になってはいけない、挑発に乗っては
ならない、という意見で収束させてはならない。

あの逆ギレで明らかになったことは何か。
興大臣という立場にある今村が、被災地の復興について自分では何も
考えていなかった、
ということだ。

「国の責任」に言及されてから今村の表情は一変。
記者が「無責任だ」となじった時に、今村の目玉が左右にキョロキョロ動き、
明らかに冷静さを失った
と見て取れた。
これは映像を何度も見たから分かった。

つまり今村は、この記者会見で責任問題にまで質問が発展するとは
考えていなかったのだろうと想像できる。
さらに言えば、今村は自身の任務について、政府の方針や見解を記者会見で
喋ればよいだけなのだろう、と軽く考えていたのではないか、
と疑うことも
出来る。
単なる政府の復興関連のスポークスマンということである。
自分自身の意見や見解は持たない。

だから、責任問題で厳しい質問を浴びせられると、
「そんなこと聞かれたって困る。俺の知ったことか。政府が下した判断を
伝えているだけだ。俺が責められるのは理不尽だ」
といった心理
が働き、一気に場を覆そうとして感情的になったのでは
なかろうか。
もちろん、実際の心理が分かるはずもないが、そう思われても仕方のない
言動だった。
今村が自主避難者を含む被災者についての知識に疎いのは、記者に対する
反論で何ら具体的な表現が出てこなかったことから明らかだ。

その後、今村の感情は一旦は鎮まるが、再びヒートアップ。
自ら「ここは公の場だ」と言っておきながら、当の記者に対する口撃を
続けて私憤をぶちまけた。
完全に自己保身の態度である。
記者会見というものは、記者を通じて国民にメッセージを伝える場だという
ことが完全に頭から抜けているのだろう。

普段から復興支援についての意識を強く持っているのであれば、
「国の責任」に無関心でいられるはずがない。
あの程度の挑発的な質問に動じるはずもない。
ましてや、自主避難者について「自己責任」と平気で発言するなど
常識的に考えてありえない。

今村は70歳になってようやく初入閣を果たしたが、もうそれだけで
「自分に箔がついた」と感じて満足してしまったのではないか。
本来は、それが重要な責務を負った「スタート地点」なのだが、
自身のキャリアの成果として「ゴール地点」だと思ってしまった。
無難に務めていれば、興大臣などは楽な仕事だと舐めていたのでは
ないだろうか。

そうしたいい加減な態度が見て取れたのが、謝罪コメントを発したときの
態度である。
表情がやたらスッキリにこやかになっていて、「つい感情的になって
しまった」と述べたのみ。
意訳すると、
「いやあ、大したことではないのに年甲斐もなく声を荒げてしまって
申し訳ない。少し耄碌してしまいましたかな。わっはっは」

といったニュアンス。
事の重大性を認識していない。
なぜ自分が責められたのかを把握していれば、あんなニヤニヤした表情には
ならない。

官房長官は、政府としては今村を罷免させるつもりはないという
認識を表明した。
山本農相、金田法相、稲田防衛相に続く4人目の大臣罷免相当案件である。
弛緩しきった内閣は、あちこちからほころびが出てくる。
後は野党がどれだけしっかりと与党を追い込むかだ。
国民は無関心であってはならない。

拡散せよ! 視て、読む「森友問題」「アッキード疑獄」

「森友問題」――いまや「アッキード疑獄」と言った方がよいのかも
しれないが――について書きたいことが多すぎてなかなかまとまらない。
前回も書いたが、この疑獄は「権力の腐敗」を顕著にしているものなので、
「籠池氏が詐欺師で嘘つきだった」で済む問題ではない。

ただ、籠池氏は証人喚問で訊かれたことについてはひとしきり喋って
しまったので、これ以上新しい情報が入ってこない。
本来ならば、安倍昭恵松井一郎・迫田英明の「当事者トリオ」は
証人喚問で話を聞かなければならない。
その他、籠池氏の元代理人弁護士の酒井康生も対象にしてよい。
とにかく、他方の立場からの「偽証が許されない答弁」が引き出されない
ことには、これ以上何かを追及することが難しい。

自民党は「違法の疑いがない」という一点張りで、安倍昭恵の証人喚問を
頑なに拒んでいる。
松井一郎は、本人が「証人喚問に呼ばれれば行く」と明言しているが、
自民党内部では「協議中」だという。
そうした態度は、要は喋られては困ることがあるという証拠なのだが、
自民党としては安倍夫妻を守るためには手段を選ばないらしい。

新しい情報が出てこないので、ニュースやワイドショーでこの疑獄を
取り上げる時間が少なくなってしまった。
こうして国民の関心が薄れていくのを自民党は狙っている。
意識を保っていなければ、日常生活が忙しい庶民などはこのワナに
嵌ってしまう。

それを危惧しているのが、よしりん先生こと小林よしのり氏である。
公式ブログ『ゴー宣道場』で何度もこの疑獄について書いており、
注意を喚起している。
タッグを組んでいるのが、『ゴー宣道場』師範の一人である木蘭先生こと
作家の泉美木蘭氏だ。
木蘭先生は持ち前の高い情報収集力を駆使して、マスコミでも報じられて
いない資料まで入手した上で、とうとうこの事件に関する年表を作り上げて
しまった。
よしりん先生の直観が木蘭先生によるデータで補強されるかたちで、
自民党や劣化保守の連中が事態を何とか矮小化しようとする動きを
大いに牽制している。

そして先日、お二人による生放送トークが「ニコニコ動画」で行われた。
テレビでは「不適切」ということでなかなか喋ることが出来ない内容を
開けっ広げに暴露していた。
よしりん先生ならではの風刺ジョークが炸裂しており、本来はこの内容を
『ゴー宣』で描きたいけど「SAPIO」がアナクロ寄りだからそれが難しく、
相当に溜め込んでいたものがあったのだな、と想像できた。

ただ、木蘭先生の年表に沿って要所要所を丁寧に解説していたので、
視聴者は楽しみながらこの疑獄の全体像を掴める、といった寸法である。
この動画、『ゴー宣道場』としては拡散してもらうために、見やすいように
編集した後にYouTubeにアップしている。
私も微力ながら拡散に協力できればと思い、こちらに貼り付けておく。
今の自民党について「ちょっとおかしい」と感じる方は、
是非とも視聴していただければと思う。

謎解きアッキード事件~森友学園疑疑獄の真相

なお、本編で紹介されている『文藝春秋』掲載の石井妙子氏の記事
安倍昭恵「家庭内野党」の真実』は、以下より¥100でダウンロードできる。
http://books.bunshun.jp/ud/book/num/1692038600000000000T

私はフリーソフトkindleをインストールして読んだ。
非常に衝撃的な内容であった。
「森友問題」発覚前の2017年1月に行われたインタビューが元になっており、
それだけに安倍昭恵は何のてらいもなく喋りまくっている。
「ピュアでイノセンス」「天真爛漫なお嬢様」「純真な博愛主義者」
「何かを頼まれると断れない性格」
と、自民党御用知識人たちは
安倍昭恵「いい人」ぶりを強調するが、これを読むとイメージは一変する。
確かに「根は悪い人ではない」のかもしれないが、読後に得た感想は
端的に言って「昭恵はバカだ」
ということだった。
内容がまとまり次第、このブログで言及していこう。

この疑獄、こうしたネットで得られるコンテンツが存在しなければ、
自民党の思惑通りに終息していたかもしれない。

その点においては、権力を監視する国民としてはネットサービスに
感謝しなければいけない。
一方で、安倍政権が長期化して権力が腐敗したのは、ネトウヨを始めとする
ネットが生み出した劣化保守、アナクロニズムが要因であったと言える。

時代が移ろう中、己の信じる保守もしくはリベラルを貫くことが出来る
だろうか。
そのためには知識をつけ、勉強せねばならない。
勉強して思想を深めるという行為は、一生終わることがないのである。

権力は信用するものではない、監視するものである

「森友問題」について、一部の自民党議員や自称知識人らが、
「いつまでこの問題に拘泥しているのだ」
「ワイドショーネタで国会を空転させるべきではない」
北朝鮮のミサイル配備やトランプ大統領の動向について議論すべきだ」
……などと言い始めている。
要するに、籠池夫妻に全てをなすりつけて「トカゲのしっぽ切り」を行う
つもりなのだ。

ネトウヨ安倍信者はそれで納得するのだろうが、真っ当な国民はこんな
欺瞞に騙されてはいけない。
「森友問題」は、臆面なく公私混同を押し通してしまう腐敗した権力を
糺す
ということがテーマである。
よって、この腐敗構造を明らかにして、権力への国民の監視をしっかりと
したものに確立しなければ、現状の国会を先に進めることはできない。

官房長官「籠池氏の証言は、我々の主張と相反する。我々の主張が
正しいということはお分かりだと思う。籠池氏は偽証している可能性が
ある」
という旨の発言をした。
「首相を侮辱した」という懲罰的な目的で籠池氏の証人喚問を承認し、
自分たちに不利な発言が相次ぐと「我々の方が正しい」と一方的に主張する。
これが民主主義国家のやる事なのだろうか。

この疑獄、韓国の「朴槿恵問題」と重なる部分がある。
朴槿恵前大統領は収賄罪で逮捕されたが、それ以前に友人の崔順実容疑者を
政権運営に関与させた疑いがもたれている。
まさに「私人」が政府を動かしていたのだ。
安倍晋三は「妻は私人」と主張した上で、それを閣議決定してしまったが、
その「私人」の存在が財務省国交省の役人の判断に影響を与えたという
のであれば大問題である。

私は安倍昭恵は公人だと思っている。
「首相夫人付職員」
などというポストの存在は初めて知ったが、
これは安倍内閣でしか設置されていないものらしい。
第一次安倍内閣が倒れてから一旦廃止された(その時は、名称は少し異なって
いた)が、第二次安倍内閣となってまた復活したのだ。
しかも、首相官邸には「首相夫人専用室」まで設けられているという。
こんな待遇を受けている「私人」など存在しない。

ただ、仮に「私人」であるとするならば、籠池夫妻は「私人」に借地契約の
条件を大幅に変更してもらうように陳情し、谷査恵子氏は財務省からの
回答も含めた経緯を「私人」に報告していたことになる。
これは、安倍昭恵が官僚に一定の影響力を持っているであろう(あるいは
影響を与える窓口となりうるであろう)と籠池夫妻が判断していたからだろう。
そして、谷氏が安倍昭恵に経緯を報告したということは、
安倍昭恵は国家公務員である谷氏の上司である、ということが公式見解である
ことを表している。
つまり、「私人」が「公的権力」に関与していることが明らかであり、
結果的に官僚が思惑通りに動いたのであれば、朴槿恵政権の腐敗ぶりと
同じ様相を呈している
のだ。

韓国国民は大いに憤り、大規模なデモを敢行した。
私としては、必ずしもデモ活動は良いものと短絡的に認めたくはないし、
国民性とも言えるオーバーな感情表現は見ていて複雑な気持ちになるのだが、
少なくとも彼らは怒りの声は上げたのだ。

一方、日本国民はどうなのか。
権力の横暴にあまりにも鈍感すぎないか。
デモでなくとも、様々な言論で権力を批判することは可能である。
しかし、一部のメディアは保守的な高齢者や安倍信者ネトウヨ
こびへつらうためなのか、冒頭に掲げた「政権にとって都合の良い言論」を
支持する始末
である。
国民レベルにまで浸透した「劣化保守」の腐敗が凄まじい。
これでは民主主義国家としてはまだ半人前である韓国の国民の方が、
少なくとも内政に関しての意識が高いのではないか、とさえ思えてしまう。

現代において、江戸時代の「お上の善政」はほぼ潰えてしまった。
「権力」という概念が意識されてからというもの、日本人でも「権力の座」
がもつ魔性の虜になるように変わってしまった。

「権力」や「権力者」に対して、性善説に基づいて接してはいけない。
特に戦前あたりからの日本の権力者は、事実を言い換え、捻じ曲げ、
果てはなかったことにするという行為を繰り返してきた。
日本人はそれを意識しなければならない。

基本的に「権力」や「権力者」は、恐ろしい存在なのである。
簡単に信用してよいものではない、ということは強調しておきたい。

「森友問題」真相究明の幕が切って落とされた

籠池氏の証人喚問が無事終了した。
私は、ほぼ満額回答だったのではないか、と思っている。
3種類の建築見積書についてのみ「刑事訴追の恐れがあるので回答を控える」
と述べたので「ほぼ」が付くが、それ以外は百点満点だろう。


一部のワイドショーは「籠池氏に振り回されている」「問題が矮小化されて
いる」として、本来の国有地払い下げ問題に焦点を当てろ、と言っている。
それはその通りだが、籠池氏が述べる主観的事実だけで真実が解明される
はずがない。
安倍昭恵松井一郎、迫田英明らを証人喚問の場に立たせることによって、
初めて客観的事実が浮かび上がるのである。


籠池氏は、すっかり心が入れ替わってしまったように見える。
証人喚問の冒頭発言で、以下のように述べている。

「幼児教育の現場で指導の行き過ぎなど不行き届きが生じた。
至らなさを認め、反省すべき点は反省し、謝りたい
今後は行政の指導を受けて適切に改善を行ってまいる」

自分の教育方針が、世間の常識と照らし合わせて不適切であったと認めた
ともとれる発言だ。
3月10日に息子を伴って行った記者会見の時とは、全く異なる態度である。


その上で、実際の払い下げの経緯については、以下のように述べている。

大阪府松井一郎知事や府に力添えをいただくようお願いした。
ただ、その後の府の中でのやり取りは知らない
松井知事から話を聞いて、国会や府議会で真相を究明していただきたい

「最終的に土地価格は8億円も値引きされ、1億3400万円あまりになった。
想定外の大幅な値下げに当時はちょっとびっくりした。
値引きの根拠などは財務省近畿理財局、当時の理財局長にお聞き
いただきたい

「佐川宣寿理財局長の命で「10日間隠れていて」と顧問弁護士に
伝えられたことも不思議だった

「私の妻に昭恵夫人から(中略)口止めとも取れるメールが届いた。
「考え方に共鳴している」とか「森友学園の先生の熱意は素晴らしいという
話を聞いている」と首相も言っていたのに、どうしてなのか割り切れない
思いだ

「大幅な値引きなど一連の真相を明らかにするためにも、私だけに
「トカゲのしっぽ切り」で罪をかぶせるのではなく、関係者の方々を国会に
呼んで、
真相究明を進めていただくよう心からお願いする


その後の「神風が吹いた」発言も含め、籠池氏はどのような力が働いて
大幅な値引きに至ったのか、知らないのである。
「忖度があっただろう」とは述べているが、もちろん断言はしていない。
当たり前だ。
財務省国交省の役人と直接交渉したわけではないのだから、
籠池氏の主観で「忖度」や「口利き」の存在は証明できない。


籠池氏は、松井知事や鴻池議員、安倍昭恵らに「働きかけ」を行った
だけである。
それ自体は褒められた行為ではないし、鴻池議員への「コンニャク」などは
賄賂申込罪に問われる可能性がある。
ただ、そうした「働きかけ」により、ブラックボックスから「認可適当」
「8億円値引き」という「結果」が出てきたのだ。
籠池氏は、ブラックボックスの中身の詳細を知りようがない。
だから「神風」「天からの配剤」としか表現できないのだ。


自民党や維新の議員、安倍晋三御用ジャーナリストらは、籠池氏の証言を
そのまま信用することはできない、
と強弁している。
見積書を3種類も作成しただけでなく、自己の経歴や中学校推薦枠、
天皇陛下森友学園に来られた旨など、ホームページに虚偽の記載を
していた事実を挙げて、「こういう嘘つきなのだから、嘘の証言をしている
可能性がある」というのだ。


それらはもちろん看過できない不正であるが、いずれも「過去のこと」であり、
見積書以外の項目については証人喚問できちんと弁明している。
また、これらの不正は、小学校設立のため、あるいは森友学園の誇大広告の
ためであり、具体的なメリットが存在する。
一方、証人喚問で籠池氏が嘘を述べるという行為には、デメリットしかない。
当然ながら偽証罪に問われる恐れがあるし、そもそもそのようなリスクを
背負ってまで「守るもの」が、籠池氏側にはもう無いのだ。

小学校設置認可申請は取り下げ、それに伴って15億は下らないと思われる
負債を背負うことになる。
証言の内容によって、負債が減じるわけではない。
この期に及んで、偽証する必然性がないのだ。


そもそもこうした不正は、「そこまで調べる奴はおらんやろ」と軽い気持ちで
嘘を表記したという程度のものである。
だから、実際に調べればすぐにバレる。
こうしたチンケな嘘こそ「籠池クオリティ」である。
しかし、「百万円の寄付金」や「借地契約についての安倍昭恵への陳情」
などは、内容のレベルが全く異なる。
安倍昭恵が人払いをして、「一人でさせてすいません」と言って
百万円を渡した、という込み入ったエピソードを、籠池氏が創作できるとは
思えない
のだ。


上述したように、籠池氏はブラックボックスの中の動きについて
ほとんど知らない。
大物政治家から寄付金を受け取る際に、先方が人払いをする習慣があるのか
どうかさえ、知らないのではないか。
また、陳情を行うにしても、安倍昭恵に電話したら留守電だったからといって、
ダイレクトに谷査恵子氏(首相夫人付職員)に連絡したとも考えにくい。
籠池夫人と安倍昭恵の仲だからこそ成立する話であり、だからこそまずは
安倍昭恵の耳に入れておかなければならない
、と考えるのが「籠池クオリティ」
である。
谷氏にどれだけの権限があるのか、谷氏に頼んで財務省に話を上げて
くれるのか、籠池側には全く分からないはずだ。


以上は私の推測でしかない。
籠池氏は「日本会議」を始めとする「劣化保守」の連中(かつての仲間)
から手のひら返しを受けた
ため、世間一般の側に戻りつつある、と
私は思っている。
昨日の『報道特集』の籠池氏単独インタビュー(証人喚問後)を見て、
その印象は強くした。
何かに取りつかれていたかのような3月10日の記者会見とは打って変わって、
表情が穏やかなものに見えた。


真相を究明するには、安倍昭恵松井一郎、迫田英明らの証人喚問は
必須である。
自民党「首相を侮辱した」という理由で籠池氏の証人喚問に応じ、
思惑が外れると籠池氏を嘘つき呼ばわりし、そしてその他関係者の
証人喚問には応じない。

真相を闇に葬ろうという不誠実な態度である。
もちろん、証人喚問は「私人」にも適用されるし、「罪に問われるか否か」は
全く関係がない。


「籠池劇場」などと言って冷めている場合ではない。
巨悪を追及する幕がようやく上がったばかりなのである。

責任を全うするつもりがない雁屋哲

福島第一原発事故で思い出すのが、『美味しんぼ』の「鼻血問題」だ。
以前、原作者・雁屋哲が書いた自説批判への反論本
美味しんぼ「鼻血問題」に答える』を読んでみたことがある。
あまりに自己中心的な内容であったことに憤り、このブログで3回に渡って
批判した。
今になってその部分を読み返すと、少しズレた記述もあって赤面するが、
「この時、自分はこう思っていた」という記録なので、そのままにしている。


それにしても、当の「鼻血問題」が2014年、反論本出版が2015年で、
随分と月日が流れたが、『美味しんぼ』の連載が再開されたという話は
聞かない。
雁屋哲は今、何をしているのか、公式ブログで確認してみた。


やはりファンから「連載再開はいつになるのか」という問い合わせが
来ているらしい。
しかし、雁屋は「自分の一存では決められないので、もう少し待って
ほしい」と答えていたのみだった。
そもそも連載休止した理由が不明であり、その後も『美味しんぼ』の
ための取材を敢行した形跡もない。
もうやめたがっているのではないか!? とも思うが、少なくとも
応援してくれているファンにはきちんと説明したほうがよいのでは
なかろうか。


そこはまあ雁屋の個人的問題として深く追及しないが、
『~「鼻血問題」に答える』であれだけ放射能汚染の危険性を強調し、
福島の食に対する並々ならぬ愛情を綴っておきながら、
ここ数年間、被災地への取材を全く行っていないというのは解せない。


震災発生当時、雁屋はブログで以下のような文章を書いていた。

「今政府は、半径10キロ以内の住民の避難を勧告しているが、
10キロどころで収まる訳がない
福島原発の数10キロ四方の土地はこれから、数千年、数万年人が近寄れない
土地になる
だろう。周辺の魚も全部食べられなくなる」
(「ウィキペディア」記事より引用)


「鼻血問題」も含め、主観が強すぎるのではないか、風評被害を助長する
のではないか、という懸念が生じる。
実際、当時はワイドショーでも取り上げられるほどの問題となった。


しかし、雁屋はそういった世間からの批判に対し、
『~「鼻血問題」に答える』という不十分な反論を行ったのみであり、
その後は完全に原発問題から撤収してしまったのだ
ブログを見る限り、現在は福沢諭吉批判本の出版とそれに関連する
講演活動で大忙しのようである。


こういう態度を、世間一般的には「無責任」という。


雁屋哲は、その創作活動や発言内容が世間に一定の影響を与えるのだから、
れっきとした「公人」である。
「公人」が自身の見解を著作物やブログというかたちで「公共の場」に
発表したのだから、その始末はつけなければならない。

理性的な批判があれば、真摯に受け止め、自身の思考過程に誤りがないか
再検証
する。
説明不足を感じたのであれば、可能な限りで情報公開すればよい。
「常識」を持った大人であれば、当たり前の行動である。


しかし、雁屋はこれが出来ない。
自説を疑う、ということが出来ない。
「絶対に正しい自分」を批判する奴らは何もわかっていない、
間違っている
、という尊大な態度が、『美味しんぼ』連載当時から
ずっと続いている。
よって、「自分を批判する日本人」はおかしいのであり、
そのような日本人によって構成されている日本社会は狂っている

という理屈になる。
「自分は日本社会になじめない」と勝手に判断して海外に飛び出し、
海外からネチネチと日本社会批判をする勘違い国際人と同じような
論理だ。


「公人」が「公共の場」に自説を発表したのならば、説明責任が
発生するのは当然のことである。

言論の自由」が認められる裏側には、求められれば当人はその言論について
説明する責任を負う、ということであり、批判されればその言論について
検証する義務がある、ということである。
憲法でそこまで明文化されてはいないが、当たり前ではないか。
際限なく認められる自由など、存在しない。
よって、雁屋がよく用いるフレーズ「日本には言論の自由はない」は
誤りである。
責任も義務も負わない人間が、自由を謳歌できるわけがない。


少し話がそれてしまったが、雁屋は放射能の影響において誇大表現を
用いた「疑い」があるのだから、その後の経過を調査する取材を行う
責任がある

福島の食文化に対する愛着が強いのであれば、なおさらだろう。
震災から6年経過して、農業や水産業の現状がどのようなものであるか、
取材したいと考えるのが普通である。


しかし、雁屋はそういった「公的な責任」「個人的な愛着」
放り出してしまった。
「何故、今?」と首をかしげたくなる福沢諭吉批判本にかかりっきり
なのだから、単なるジコチューと言われても仕方がない。

主にネットでは、雁屋哲は「反日左翼」として批判にさらされてきた。
しかし、私はそういった私的なイデオロギーには関心がない。
所詮は漫画原作者に過ぎず、学者でも思想家でもジャーナリストでもない
のだから、放っておいてよいと思っていた。
ただし、こうした「ジコチュー=エゴイズム」と感じられる態度には
大きな憤りを感じる。

それ自体は、前述したように『美味しんぼ』連載当初からそのような
雰囲気が詰まっていたのだ。
機会があれば、『美味しんぼ』批判というかたちで書いてみようかと
思う。