グダグダな「戦後外交の総決算」

北方領土の返還に向けて、日露外交が始まった。
安倍晋三は「戦後外交の総決算」と息巻いている。
生前、ソ連との問題に力を注いでいた父親・安倍晋太郎の墓参りをして、
「領土返還実現」を誓ったらしい。
これらはもちろん、「やってる感」を出すための相変わらずの
パフォーマンスである。
実際には、4島どころか2島返還も難しい。
分かっていて、「困難に立ち向かう総理大臣」の姿を演出している
だけである。


北方領土の返還交渉が頓挫する、と考える理由は以下の通り。

1)2016年にプーチン大統領が来日した時、ロシア側が交渉に意欲的
という雰囲気をチラ見せした結果、気の緩みにつけ込まれた日本は
「経済協力」としてロシアに3000億円支払う約束を取り付けられ、
何の成果も得られない、という大失態
を演じた。
安倍政権にはその反省が全く見られないため、今回もうまくやりこめられる
可能性が高い。


2)2018年の日露首脳会談で、安倍晋三は今後の交渉において
「日ソ共同宣言」を基本とする、と明言した。
これは歴代政権が粘り強く交渉して、やっと勝ち得た「東京宣言」の
内容を蔑ろにするスタンスである。
4島返還から、わざわざ2島返還へと、日本の方で自分で後退させて
いるのだ。

ロシアにとっては渡りに船であるし、安倍晋三北方領土の交渉に
ついて全くの無知であることが露呈されたということでもある。
最初からハンディ戦なのだ。


3)ロシアが2島返還に難色を示している根拠が、在日米軍の存在である。
2島に米軍が基地を建設しない、という約束を文書で取り交わすことが
できなければ、ロシアは返還に応じない。
しかし、それは事実上不可能である。
日本には主権がなく、基地の建設を決める主体はアメリカである。
現在、基地建設の予定がなくても、恒久的にアメリカに「2島に基地を
建設しないで欲しい」と要求することが出来ない。
それは、日本が自主防衛できないからだ。
9条が改正され、それに伴って日米地位協定も改正されない限り、
ロシアの要求に応えられない。

(以上)


マスコミは、おざなりに「交渉は平行線」「ロシアは強硬な態度を崩さず」
と報じるばかりで、上で述べた「日本側の問題」に言及しようとしない。
1)2)のような安倍政権の失態については、「なかったかのよう」に
触れられない。

厚労省の勤務実態調査の不正については、強く切り込むくせに(といっても
一部で「不適切調査」という表現が用いられているのは、私としては
不満である。「不適切」ではなく「不正」である)、安倍政権には何故
ここまで及び腰なのだろうか。
官僚を叩くのは支持されやすいけど、政権批判はリスクが伴う、
ということか。
単なるポピュリズムではないか。


そして、3)で述べた9条の本質的な問題については、ほとんどの
マスコミがスルー
である。
まるで、そこに触れれば「改憲派保守系」と見られるのを
避けるかのように。
一応あらためて言っておくが、安倍改憲案では何の解決にもならない。
安倍改憲案は現状を悪化させることにしかならない。


こういう状況で、立憲民主党が説得力のある批判を繰り出せれば
よいのだが、厚労省問題の方に首ったけのようで、何とも情けない。
「叩きやすいところを叩く」だけでは、アピールにならない。
「立憲」を冠するだけあって、立憲主義に則った政権批判をしてこそ
有権者の心に響くというものである。


主権がなければ、まともな外交などできない。
それに加えて、交渉の基本もままならない無知な人間が、国のトップで
あれば、保守すべき領土も保守できない。
ロシアが北方領土をかすめ取り、実効支配を続けてきたという行為は
日本人としては許しがたいが、その回復を主張できる状況からは
あまりにも遠い。


マスコミはロシアの強硬ぶりを強調するだけに
終始してはいけない。
日本が抱えている問題に、国民を直視させなければ
ならない。

公共交通機関は公共性を重視すべし

JR東日本が、山手線の新しい駅の名前を「高輪ゲートウェイ」とした
ことに多数の反発があり、署名活動にまで発展している。
一方、大阪メトロは一部の駅構内のデザインを改装するとして、
森ノ宮」「心斎橋」「堺筋本町」3駅のデザインを発表したが、
「悪趣味」として反対意見が相次ぎ、やはり署名活動が行われた。
https://mainichi.jp/articles/20181227/k00/00m/040/206000c
大阪万博開催に合わせ、イメージを一新しようとしたらしいが、
通勤通学で日常的に駅を利用する市民にとっては、「疲れるから
落ち着いたデザインにして欲しい」という意見が圧倒的であるようだ。


JR東日本も大阪メトロも、民営化された会社ではあるが、
どちらも公共交通機関を担っている。
つまり、「公共性」を第一義に重視する義務がある。
「一部の人間の嗜好」に合わせて利益を追求する、という民間企業の
やり方をとってはならない。


「高輪ゲートウェイ」に関しては、駅名を一般公募したにも関わらず、
1位の「高輪」が採用されず、130位の「高輪ゲートウェイ」を採用する、
という不透明さが批判されている。
これでは、何らかの利権が絡んでいるのではないか、と疑われても
仕方がない。
特定の人物や団体のみの利益になるような行為は、公共交通機関
慎まなければならない。


大阪メトロは前回書いたように、大阪市がその株式の100%を保有している。
よって、今回の改装案は市の意向である可能性が高い。
しかし、その市政が公共性から大きく離れている、という状況がある。
1000億円超を投じて夢洲にタワービルを建設する、という計画など
その最たるものだ。
市政、府政合わせて、「大阪万博・地下鉄延伸・タワービル建設・
駅構内改装」という計画をワンセットで考えていたのではないか、と
疑う余地は充分にある。

そのための大阪市営地下鉄の民営化であったのかもしれない。


というのは、民営化の張本人、橋下徹ツイッターでこんなことを
発言しているからだ。
「民営化した大阪メトロの駅リニューアル案が批判を浴びて話題に
なっている。
これぞ民営化効果やね。
大阪市交通局のときは、これだけ批判を浴びる案など絶対に出せなかった。
これまでの慣行や概念をぶち破れ。
東京と同じスタイルにする必要なし。
都市格、品格など気にするな。」

完全に狂っている。
橋下徹は、民間と公共の区別が付いていない。
というより、公共の価値を重んじていない。
恐らく、何でも競争させて市場に判断させるのが最適、と考えている
新自由主義の信奉者なのだろう。
ゴリゴリの左翼ではないか。


そもそも、公共交通機関は「批判を浴びる案」など「出さない」のだ。
公共性を第一に考えるのであれば、そのような案は事前の議論で
弾かれるのが当たり前である。
それを何のてらいもなく世に出すというのは、市民から「こいつら、
信用していいのか?」と疑われ、信用が失われるということである。
橋下徹は、公共交通機関は信用を失うリスクを冒してでも、
「批判を浴びる案」を世に出せ、と言っているのだ。


「これまでの慣行や概念」は、良いものは継承し、悪いものや時代に
そぐわないものは改善する、というだけのことである。
「破る」ことこそが最善ではない。
まるで革命論者である。

破っても市民の反発を喰らったのでは、意味がない。


「東京と同じスタイル」というのは、意味が分からない。
「東京=無難」というイメージなのだろうか。
大多数の市民は、公共の場は無難であって欲しいと感じている。
「大阪らしさ」をアピールするにしても、うるさくない程度であって
ほしいと感じるのが常識的な感覚だ。
そもそも、「大阪らしさ」は街行く人や街の風景などが合わさって、
放っておいてもその雰囲気が醸し出されるものである。
行政が主導するものではない。
「公共の場は無難であれ」というのは、東京のスタイルではない。
全国共通の常識的な感覚である。


「都市格、品格など気にするな」には仰天してしまう。
民営化による利益追求のためには、「都市格・品格」を失ってもよい、
というのだ。
「大阪らしさ」と「都市格・品格」は両立しうる(すべき)ものである。
「格」を失った都市には魅力がない。公共性もない。
橋下徹大阪府・市を民営化したいのだろう。
「公」の概念を持たず、「自分の言うことが全て正しい」とエゴイズムを
貫き通す態度は、ホリエモンと共通するところがある。
橋下徹は経営者や投資家になればよかったのだ。
政治家とは最も遠い所にいる。


何でも民間に任せる方がよい、という「官」の否定は、多くの場合は
失敗に終わっている、という状況が既に生まれている。
日本では水道事業の民間参入が可能になったが、ヨーロッパでは
その失敗を受けて再公営化が進んでいる。
鉄道にしても、JRの赤字ローカル線が次々と廃線を迎えているのは
民営化されているからだ。
数少ない乗客の日常の足を担う、という鉄道事業は、民間では当然ながら
もたない。
公営でなければ、安全を担保しながらの持続的な営業は不可能だ。
そして、日本郵便の窮状についてご存じの方も多いことだろう。


確かに「お役所仕事」が批判されていた時代には、民営化という方策は
魅力的に映った。
しかし、それは極端な変革だった。
あくまで「官」を維持した上で、杓子定規的な「お役所仕事」を
改善すれば良かっただけだったのだ。
市民のための公共サービスと「官」は、本来は矛盾しない。
「官」が公共に尽くしているかどうか、市民が監視していればよい。
その手続きが面倒であっても、それが一番の近道だからだ。


市民は今、公共交通機関が公共に反しているのではないか、と
監視し批判している。
民営化の効果でも何でもない。
「高輪ゲートウェイ」という名称は廃案にすべきだ。
「ネタになるし、まあいいっか」と許してしまえば、今後どんどん
そういう駅名が増えるかもしれない。
そして、大阪府民は橋下徹様はこのようにおっしゃって
おられるゥゥゥ!」
などと崇め奉ってはいけない。
自分たちの街の公共性は、自分たちがしっかりと守るという意識で、
監視と批判の精神を忘れてはいけない。

驕る維新が暴走し続ける

大阪万博開催が決定してからというもの、強気になった維新の会の
暴走が止まらない。

松井一郎太陽の塔世界遺産に」
大阪府知事松井一郎は、11月28日の定例記者会見で、1970年大阪万博
シンボル「太陽の塔」を、次の万博開催となる2025年に世界遺産登録を
目指す考えを明らかにした。
「70年から55年経って(次の)万博を開催する年に世界遺産に登録
されたらストーリーがあって夢がある」

と発言している。

太陽の塔」のような、完成してまだ50年程度しか経っていない
現代アートが、世界遺産というカテゴリに相応しいのかどうか、
という点は、ここでは問わないことにする。
それよりも、太陽の塔」は1970年大阪万博の「人類に進歩と調和」
というテーマに「NO」を突きつけた「反体制」を体現した作品である、

という事実を突きつけておきたい。

岡本太郎は以下のように語っている。

「人類は進歩 なんかしていない。いまの人間にラスコーの壁画が描けるか。
調和? 皆が互いの顔を立てて60点で満足する調和なんて卑しい」
「ぼくはいつも日本の近代主義に腹が立っている。
万博も進歩主義一辺倒だ。だからこそ、そのど真ん中に、どかーんと
まったく正反対のものをぶつけたわけです」
「反博? なに言ってんだい。一番の反博は『太陽の塔』だよ。」
(反体制
の学生や芸術家が「反博」を掲げて岡本太郎を批判したのに応えて)

これを読めば、松井一郎が「太陽の塔」や1970年大阪万博について
何も理解していないのだ
ということがよく分かる。
太陽の塔」は、行政主導の万博とは正反対の位置に立っているのだ。

また、岡本太郎は世界各地の民族などに伝わる仮面や彫像を集め、
万博で展示するという試みを行った。
特筆すべきは、それらをガラスケースなどの中に収納するのではなく、
生で展示したということだ。
本来的に宿っている生命エネルギーや息吹が、ガラスケースの中では
「死んでしまう」と岡本太郎は考えた。
太陽の塔」は、縄文時代土偶から影響を受けたと言われており、
そういった人類のエネルギーの集約的存在である。
そういった経緯を知っているならば、「太陽の塔」を世界遺産
登録しようなどとは思わない。
それはまさしく、太陽の塔」をガラスケースの中に入れてしまうような
野蛮な行為
だからだ。

人間を理解しない権力が、いかに野蛮なものになりうるか、我々は
歴史を通じて学んでいるはずである。

■地下鉄延伸工事費をIR事業者に
大阪万博開催予定地である夢洲まで、地下鉄が延伸されることに
なっている。
その工事費の一部200億円を、やはり夢洲で開業予定であるIR事業の
事業者に負担させる、という方針を、大阪市長の吉村洋文が明らかにした。

総事業費は540億円。
全てを自前で調達できる見込みがないということなのだろうか。
だからといって、事業者に負担を求める、などという話はあまり
聞いたことがない。
200億円をポンと出せる事業者など、限られているだろう。
思っていた通り、ラスベガス・サンズのCEOと松井一郎が仲良く
登壇する姿が見られるようになった。

ラスベガス・サンズシンガポールのカジノ「マリーナベイ」を
経営していることで有名だが、「マリーナベイ」は年々来場者数が
減少している。
シンガポールに見切りを付けたラスベガス・サンズが、次の乗換先として
大阪を選び、そして旨味を得た後に捨てられる、という将来が見える。

■大阪メトロ「夢洲にタワービル 1000億円超」
大阪メトロは、地下鉄延伸による2024年の夢洲駅開業に合わせて、
ホテルやオフィス、商業施設が入るタワービルを建設すると
発表した。
総工費は1000億円超だという。
いまだ大阪市内には、夢洲以外にもいくつもの「負の遺産」が
残っているが、さらなる「負の遺産」候補となりそうな建築物を
建てるらしい。

大阪メトロ自体は、今年の4月に大阪市営地下鉄が民営化されたもの
ではあるが、株式の100%を大阪市保有していることから、
「運営は民間・経営方針は行政」という状態だと言ってよいのだろう。
だから、この事業計画も即座に発表できたのだ。
こうなると、地下鉄民営化という政策も、カジノや大阪万博の開催を
織り込んだ上で考えられていたのだ、ということが想像できる。
もし、このタワービル事業が悲惨な失敗に終わっても、責任は全て
大阪メトロに押しつけて、大阪市は知らんぷりを決め込むのかも
しれない。

そもそも、梅田界隈に充分すぎるほどの商業施設が存在している
というのに、わざわざ夢洲くんだりまで地下鉄に乗って買い物に
行くわけがない。

賑わうのはせいぜい万博開催期間中だけであり、たったそれだけのために
1000億円超も投じるというのだからクレイジーにも程がある。

■「都構想」実現のために出直し選検討
松井一郎と吉村洋文は、「大阪都構想」実現のため、任期途中で
府知事と市長の職を辞し、来年4月の統一地方選との同日でダブル選を
検討していることを認めた。
元々は来年夏の参院選と同日で、「都構想」についての住民投票
行う方針を公明党と協議していたが、合意に到らなかったという。

大阪府議会・市議会においては、自民党は維新と対立しており、
「都構想」に反対、住民投票にも反対している。
ただ、公明党は前回の住民投票には賛成したため、維新としては
公明党を取り込みたかったらしい。
しかし、公明党が前回に賛成したのは、橋下徹「賛成しないと、
公明党候補が立候補する選挙区に、維新の候補を立てる」

脅したからである。
その橋下徹が政界を引退したため、公明党は気兼ねなく住民投票
「難色を示す」ことができたのだ。
とはいっても、参院選に専念したいから、その後ではどうか、と
提案したのみである。

松井一郎
「受け止めることが出来ないビーンボールを返された。
時間切れ終了に追い詰めていこうというのが見え見えだ」

と、吐き捨てるように語った。
元を辿れば、ビーンボールを投げてきたのは橋下徹である。
そして、「時間切れ」も何も、「都構想」は住民投票で一旦否決されて
いるのだから、既に制限時間は終了しているのだ。

にも関わらず、任期途中でダブル選に臨むというのは、経費の無駄である。
「無駄をなくす」という名目であるはずの「都構想」の実現に、
ゴリ押しで無駄遣いを強行しようとしている。

<まとめ>
維新の会は安倍自民の腰巾着である。
安倍自民が得意とする強硬手段への憧憬がある。
そこへ大阪万博開催決定が舞い込み、自分たちにも箔が付いた。
表舞台に立ち、レガシーを残せるようになった。
マスコミも大阪万博を批判しないようになった。
完全に調子に乗り、押せる時に押し切ってやろう、と考えるようになった。
驕り高ぶった権力は腐敗するだけである。

拝金集団「維新の会」のバクチとレガシー作り

大阪万博の開催が決定してしまった。
私は大阪府民であるが、全く歓迎していない。
インバウンドは現在で既に充分発生している。
以前は京都へ行く途中に大阪に寄っていく、というイメージだったが、
今では大阪単独で魅力的な観光地としてアピールできている。
USJ大阪城のみならず、黒門市場、道頓堀、心斎橋、日本橋といった
庶民の暮らしや街の雰囲気が、そのまま魅力につながっているのだ。
平成29年度の訪日外国人数は2800万人超を記録したが、
そのうち1000万人以上が大阪を訪れたのだという。


府民の感覚としては、現状で充分である。
これ以上観光客が押し寄せるとなると、宿泊施設を増やさなければ
ならないし、繁華街の人混みはさらに酷くなる。
民泊や飲食店でのトラブルや犯罪も増加するだろうし、それを防止する
対策に時間や金が費やされる。
現在でも小売店や飲食店は大変だろうと思うが、開催期間中はカオス
そのものの状態に陥るのではないか。
そして、閉幕するとズーーーンと経済が落ち込むのだ。
増やした宿泊施設は不要となる。
訪日外国人数が現状程度に戻ればよいが、「大阪は満喫したから、
しばらくは行かなくていいか」となれば、今より下回る可能性がある。
オリンピック・パラリンピック程ではないかもしれないが、
特需の後に不景気が訪れる。
もし、会場跡地が有効活用できないとなれば最悪である。
建物も延伸した鉄道路線も、全て無駄になる。
負の遺産」がさらに増えるのだ。


万博開催の決定前に、毎日新聞「誘致活動に36億円」との報道があった。
https://mainichi.jp/articles/20181120/k00/00m/040/182000c
誘致のためのプレゼンや会合のために、国は26億円、大阪府・市は4億円も
負担していたのだ。
これに対して松井一郎は、
「2兆円の経済波及効果を実現するための必要経費だ」
と言っている。
この発言が、全てを物語っている。
松井一郎は、
大阪万博開催は、経済波及効果の発生が目的だ」
と認めたのだ。
大阪の魅力を世界に伝えるとか、「いのち輝く未来社会のデザイン」という
メッセージ発信といった、文化的社会的な意義など二の次。
とにかくカネである、2兆円儲かるんだから億レベルの経費など
何てことない、
と言っているのだ。
庶民感覚からかけ離れた金銭感覚を持つ為政者の姿が、ここにある。


結果的に開催決定にこぎ着けたわけだが、もし大阪が選ばれなかった
とすれば、36億円は灰燼に帰すことになっていた。
2兆円のために36億円を投じ、決まりさえすれば元は取れるんだから、
と言い張る姿は、まるでギャンブラーである。

こんなバクチのような事業に税金が費やされていたことを、
国民は承知できるのだろうか。
松井一郎は、負の遺産」と呼ばれる夢洲を有効活用したい、
言っている。
んなもん、大阪府・市の都合ではないか。
他の都道府県民にとっては知ったこっちゃないことなのに、
国の税金を投入するのはお門違いではないか。
府民としても、時間がかかってもいいから、もっと着実な財政再建
してほしいと考えるのが当然のところである。
誰もバクチに手を出せなどと思っていない。
そもそも、本来のテーマである「いのち輝く未来社会のデザイン」は
どこへ行った?


当然ながら、これから工事が始まる。
総工事費が1250億円と目されており、国、大阪府・市、経済界で
3分の1ずつ負担する。
さらに関連事業費もかかり、大阪市長の吉村洋文はさっそく140億円を
予算に組み込む意向を示した。
単純計算で、大阪府・市の負担はトータルで600億円前後という
ことになる。
それで収まるかどうかはともかくとして、府民の感覚としては
「そんなに出せる金があったのか!」
である。
だったら、他にもあちこちに残っている「負の遺産」を処分する事だって
出来るだろう。
https://matome.naver.jp/odai/2140724430757486701
そもそも、大阪府と市による「二重行政」のムダを訴えているのは
「維新の会」ではないか。

それを解消するために「都構想」をぶち上げ、住民投票で否決されても
なお「さらなる挑戦」にこだわっている。


つまり、「都構想」も、橋下徹が府知事時代に画策した文楽などへの
補助金カット計画も、こうしたバクチ事業に金をつぎ込みたかったから
ではないのか!?
大阪が地盤沈下している、東京に比肩する都市へ、と府民の「東京への
対抗心」を煽り、一大レガシーを作り上げたいだけなのだ。

橋下徹松井一郎も、「大阪の救世主」として後世に名を残したい
だけなのだ。


「維新の会」は表向き「保守」を装っているが、実体は伝統を軽視
する拝金集団だということがはっきりと分かった。

もし、これだけの金が使える状態で、府政を担う「保守」が
今やるべき事は、9月の台風被害からの復興であり、防災対策である。
中でも、壊滅的な被害を受けた府内の銭湯の復興を
後押しすることは急務である。

ここでは詳細を語らないが、大阪の銭湯は戦前から続く伝統文化である。
それが災害のために、失われようとしているのだ。


伝統よりも、防災よりも、目先のカネ。
これが「維新の会」である。

「改正入管法」は人権侵害国家への道

「改正入管法」が衆議院を通過した。
「議論が生煮え」「審議時間17時間」と拙速な審議が取り沙汰されて
いるが、議論以前の問題だろう。
議論のための材料を政府が用意できておらず、日程が詰まっているから
とりあえず法案成立を、とゴリ押ししているだけだからだ。

野党は「これは移民政策だ」と指摘するが、与党は「移民ではない」と
言い張る。
共謀罪」を「テロ等準備罪」に言い換えた方便に似ているが、
今回の方があからさまに酷い。
現行の「技能実習制度」は、原則最大で3年間の在留資格を得られるが、
「改正入管法」では「特定技能1号」で5年、「特定技能2号」でさらなる
更新が可能となり、家族帯同も認められるようになる。
年数が延長され、技能が習熟すればそのまま働き続けられて、
家族も呼び寄せることが可能になるが、それでも「移民ではない」
のだという。

まるで駄々っ子である。

また、与党は、今回の制度は従来の「技能実習制度」とは一線を画す
全く新しいものだ、と言い張る。
だからなのか、法務省による失踪技能実習生調査が極めて杜撰で、
データの誤りが指摘された。
正確に精査する意識がなかったのだろう。
しかし、政府は「特定技能1号」には技能実習生からの移行が55%~59%、
5年間で約45%と想定している。
経産省所管の3業種にいたっては初年度ほぼ100%、建設業も9割超と
見込まれており、「技能実習制度」と不可分であることは明白だ。

ならば、その制度で現状において発生している問題は、きちんと解決策を
考えておかなければ、施行する目処が立つはずもない。

技能実習制度」において、大きく取り沙汰されている問題は
失踪である。
その理由は「低賃金」「パワハラ」「長時間労働」といったものが
ほとんどであるらしい。
要するに、民主主義国家では当然守られてしかるべき人権が、
全く蔑ろにされている劣悪な労働環境
が要因である。
しかし、政府は「より高収入を求めて失踪している」と言い換えている。
実際には最低賃金すら保障されていない状況が多いのに、
あたかも「さらに大きく稼ごうとしている」というイメージを強めて、
現状を糊塗しようとしている。

この問題について議論せず、というよりも問題が存在することすら
認めようともせず
、このままなし崩し的に「改正入管法」を成立させる
のは許しがたい。
これは人権問題である。
国連の人権委員会から勧告を受けても仕方がない問題ではなかろうか。
与党が何と言おうと、国際的には「移民政策」以外の何物でもない。
日本は、移民を劣悪な環境で働かせ、用済みになったら本国へ送還する
人権侵害国家だ、と諸外国から非難されるようになるかもしれない。

今回の法案審議について、ネット世論が気になったので、
実に久しぶりにYahoo!ニュースを覗いてみた。
すると、以外にもコメント欄には、
「移民は怖い」
「審議をもっと慎重に」
「野党に期待はしていないが、この法案には反対」
という意見が並んでいた。
中には法案賛成の意見も合ったが、それらには軒並み「そう思う」を
大きく上回る「そう思わない」のクリック数が記録されていた。
ネトウヨは、単に忌み嫌う中国人が増えるのを嫌がっているだけなのかも
しれないが、どうやら「移民政策」は必ずしも支持されているとは
言えないようだ。

やはり、根本的に考える必要がある。
そもそも、移民を受け入れるべきなのか?
国民はそれに賛成なのか、反対なのか?
どうもマスコミも専門家も、この点に触れることを避けているような
気がする。

「議論が拙速」というプロセスの部分だけを批判していて、
「そもそも論」の議題を提起することを怠っているのではないか、と
感じる。
それは即ち、移民を否定する=トランプ流「排外主義」、という図式に
囚われているということではないか。
「多様性」「共生」を容認する社会、というものを看板に掲げる以上、
移民を拒みにくいのではないか。
しかし、事はそう単純なものではないだろう。
アメリカと日本はそれぞれ国柄は全く異なるし、
「トランプ流否定=移民容認」という極端な話でもない。
その間にあるものを、国ごとにじっくりと考えていけばよいだけの
ことなのだ。

「移民、是か非か」という議論を避けてはいけない。
そこで硬直してはいけない。
それでは「人手不足だから、今だけ」という経済界の思うツボである。
結果的に、日本が人権侵害国家と糾弾される道を歩んでしまうのでは、
「多様性」もへったくれもないではないか!

沖縄に不誠実な政府・嘘でごまかす菅義偉

毎日新聞のオピニオン欄で、「普天間移設 管官房長官の発言」と題して、
三森輝久記者(熊本支局・元那覇支局)が菅義偉の発言を批判している。
菅義偉の言葉は、やはり毎日新聞のオピニオン欄(10月25日)に掲載された
ものだが、三森記者は
「管氏の説明をそのまま信じれば「移設を巡り、沖縄の側が政府との合意を
翻した」と誤解するだろう」
と書いている。

以下が、菅義偉の発言である。
「22年前(1996年)のSACO(日米特別行動委員会)合意で普天間飛行場
全面返還が決まり、地元の市長と知事の合意を得て辺野古への移設を
閣議決定した
という経緯があるわけです」
「これはもともと地元と話して決めたことじゃないですか。日米合意以来、
沖縄や政府の関係者が努力を重ねてきた。辺野古の工事も、地元知事の
埋め立て承認をいただいて決まったことをやってきたわけです」

これを読めば、一度決まったことを「反対派」が無理を通して覆そうと
している、受け取ってしまう。
しかし、三森記者によると、この説明は正確性を欠いているという。

「管氏が言う閣議決定した」計画は、V字形2本の滑走路を備えた
現行計画ではなく、その前身、辺野古沖2.2キロの海上を埋め立てて滑走路を
造る計画のこと。この二つは似て非なるものだ

つまり、現行計画については閣議決定は行われていないのだ。
しかも、「地元と話して決めたこと」でもなく、政府が一方的に
アメリカと合意したものだという。

「05年、世界規模で米軍配備の再編を進めていた米国と協議し、
辺野古の米軍キャンプ・シュワブ陸上部を造成し、あわせて沿岸部を
埋め立てて1本の滑走路を整備する計画に変更した。
(中略)
この時、政府は沖縄県や名護市に相談せず、了解を得ないまま米政府と
合意した。そして15年使用期限などの7条件も雲散霧消した

7条件というのは、当初計画の時点で、当時の稲嶺恵一知事や
岸本建男名護市市長が、「苦渋の選択」で提示した条件である。
この条件を遵守するのであれば移設を容認する、という決断であり、
菅義偉が言う「閣議決定」はこの条件を受け入れた上で実行された
ものである。

ところが、政府は沖縄に何の相談もせずに、勝手に計画を変更し、
7条件も反故にしておきながら、「閣議決定」という事実だけを
振りかざしているのである。

さらに三森記者は、政府の「変更」に対して、選挙を通して
民意の承認を得られた例がない、
という。
変更案は「米軍再編中間報告」というかたちで、事実上の事後承認が
地元に突きつけられた格好となった。
そして06年に、中間報告案は政府と名護市が協議して、現行計画に
修正された。

「だが、当時の島袋吉和市長は岸本元市長の7条件を無視して容認したため
支持市議の離反を招き、次期市長選での落選につながった。
地元の納得を得たとは言えない合意だった。
稲嶺知事も計画を容認しないまま退任している」

「埋め立て承認は13年、次の知事だった仲井真弘多氏によるものだが、
仲井真氏はその3年前の知事選で「県外移設」を公約に当選し、
埋め立てを承認するまで現行計画を容認するとはただの一度も
言わなかった
。県民の信任はなかったのだ」

つまり、現行計画容認を公約として当選した知事や市長は、
ただの一人もいないのだ。

安倍晋三はいまだに、民主党政権時代の鳩山由紀夫が「最低でも県外
と発言していたことに言及し、翁長前知事が「自民党時代は移設容認派
だった」という過去をほじくり返しているが、仲井真弘多が「県外移設」を
公約にしていたことを知る人は少ないのではないか。
当初の約束を反故にし、公約も覆してしまう卑怯なことをやっているのは、
政府と移設容認派の方ではないか。

しかも、政府は実に強引な手法で、移設工事を再開させてしまった。
本来は国民が「権力に対して、自己の権利を救済する」という目的で
制定されたはずの行政不服審査法を、防衛省国交省に請求するという
茶番まで演じたのだ。

元より現行計画に正当性が存在しないのに、あたかも自分たちに大義がある
と押し通そうとするから、どんどん無理が生じてしまう。
仕方がないので、過去の情報の中で都合の良いものを、断片的に拾い集めて
アピールするしかなくなっている。

沖縄米軍基地の問題は、日米安保日米地位協定、そして憲法9条が
大きく関わるもので、日本の対米従属についても考える必要があるのだが、
それについては今回は触れない。
官房長官の地位にある人間が、過去をごまかす発言をしたこと、
現行計画においては政府は沖縄に丁寧に説明をした経緯はなく、
民意は現行計画を容認していないであろうこと(これは県民投票の結果で
大勢が判明する)を述べておきたかった。

安田純平氏を叩くのは弱虫の奴隷

ネット上で安田純平氏へのバッシングが、いまだに続いているらしい。
安田氏は会見で「プロだから自己責任」と言っているし、
妻に「身代金の要求には応じるな」とメッセージを発していた。
拘束されたのは「自分の凡ミス」と認めてもいる。
つまり、自分のミスで拘束されたわけであり、そのせいで命を落としても
それは自分の責任である、身代金は武装集団の利益になるだけだから
その手段で助かろうとは思わない、
と言っているのだ。
これで何故、批判されなければならないのか、全く分からない。

人一人を救出するために、どれだけ多くの人間が尽力したと思っているのか、
というバッシングもあるようだが、実にバカバカしい。
台風の日に敢えてサーフィンに繰り出したバカと一緒にしているのでは
ないだろうか。
安田氏はプロとして紛争地域の取材に乗り込んだわけであり、
プライベートの趣味で旅行していたわけではないし、違法行為に手を
染めていたわけでもない。
国民が「勤労の義務」を果たしているのだから、そこで危険にさらされた
以上は、国家がその救出に乗り出すのは当然である。

それが「社会契約論」の考え方であり、民主主義の原則である。

羽鳥慎一モーニンショー』で、玉川徹氏が
「ヨーロッパのような民主主義や個人主義が成熟している国々では、
戦場ジャーナリストが拘束されても批判されない。
日本で批判が巻き起こるのは、日本がまだムラ社会だからだ。
村の掟を破った者だから、村八分にしようとしているのだ」

と述べていた。
全くその通りだと思う。
実際、フランスでは解放された戦場ジャーナリストを当時のシラク大統領が
出迎えた、イギリスでは戦場ジャーナリストを批判するという発想そのものが
存在しない、という実例が番組で紹介されていた。

安田氏を叩いているのは、いわゆるネトウヨとは限らないのだろう。
ネットに依存して、何者かを叩きたくて仕方がないぐらいに感情が劣化した
集団
なのだと思う。
彼らは「自己責任論」を掲げているようだが、プロであれば自己責任という
のは当たり前のことだ。

自分のミスが周囲に迷惑をかけたり、あるいは自分自身を危険な状況に
陥らせたりする可能性は、常に存在する。
その際に自分でどれだけ始末を付けられるか、ということは意識しておく
べきだし、最悪の状況においては「公」を優先させるべし、ということも
念頭に置いているだろう。
こんなことは昔から当たり前のことだったから、「自己責任」などという
言葉はそもそも用いられていなかったのだ。

「自己責任論」で安田氏を叩いている人間は、そういう自分たちも
多少の差はあれ、責任を負っているのだということを、意識していない
のかもしれない。

言われたことだけやっていれば、とりあえず食い扶持は稼げる、という
レベルの仕事しかやっていないのだろう。
そんな人間は、AIの活用が本格化したら、真っ先に職を奪われて
放逐されるだろうが、それもまた自己責任である。

ひょっとしたら、命懸けの仕事なのだったら、殉じる道を選べばよかった
ではないか、何をのうのうと「助けて下さい」というボードを掲げていたのか、
などという事を言い出す人間もいるのかもしれない。
これまたちょっと考えれば分かるのだが、生きて帰って、自分が見聞した
ことを記事にすることが戦場ジャーナリストの使命なのだ。
チンケな命乞いをしていたのではなく、何とか解放されるまで粘ることが
重要だったわけだが、身代金の支払いには応じるな、ときちんと釘を刺して
いたのだ。
至極真っ当なことしかやっていない。

さらに言えば、今後安田氏が執筆するであろう記事やルポルタージュが、
国内外で注目され、ひょっとしたら高い評価を得る可能性
もある。
そうなった場合、安田氏を叩いていた集団は、手のひらを返したように
「評価されたんなら、OK」
と納得するのだろうか。
自分の中で整合性がとれるのだろうか。

これはあくまで極端な例ではあるが、日本人でも戦場や紛争地域に
赴いて大きな功績を残した人物が存在する。
戦場カメラマンの沢田教一だ。
ヴェトナム戦争の実状を撮影した「安全への逃避」という作品で、
ハーグ第9回世界報道写真コンテスト大賞、アメリカ海外記者クラブ賞、
ピューリッツァー賞を受賞している(Wikipediaより)。
沢田教一のことを誇りに感じる日本人は多いだろうが、
言うまでもなく自己責任でヴェトナム戦争を取材し、
結果として数々の賞を受賞するに到ったのだ。

よもや沢田教一に対して、賞を貰ったから良かったようなものの、と
言う日本人はいないだろう。
ちなみに沢田教一は、カンボジアの紛争地域を取材している際に、
何者かに襲撃されて亡くなっている。

では、「賞」という実績を得たり、高い評価をされた人間は偉いから、
戦場に繰り出してもよい、ということなのか?
違うだろう。
それでは「成果主義」になってしまう。
成果を得られるかどうかは分からないが、「公」のために取材を敢行するのが
ジャーナリストである。

橋下徹は「100%の安全のためにガイドラインを作れ」「ジャーナリスト同士
でフォローしあうような組織を作れ」などと言っているが、それでは
功名心だけが高いブン屋と同じ扱いになってしまう。
ジャーナリズムは「賞」を獲るためのビジネスではないのだ。

ついでに言えば、ジャーナリストではないが、戦時に国の命令に反して
人道主義を貫いた日本人として、杉原千畝という人がいた。
当時としては、日本の同盟国であるドイツの方針に楯突くようなことを
やっていたのだから、「国に迷惑をかけた人物」である。
もちろん、杉原千畝は、後にユダヤ人に感謝されたいからあのような行為に
及んだわけではない。
私的な「功」を追求したのではなく、「個」として人道的な選択肢を
とったにすぎない。

この行為が世界的に称賛されているのも、今となっては結果的に、という
ことではないか。
「命のビザ」という呼称が、自己責任で行ったことだ、という事実を
表している。

少し飛躍した例になってしまった感もあるが、安田氏がそこまでの
評価を得られるのかどうかはともかくとしても、バッシングしている人間は
個人主義とか、プロ意識とか、無私の精神といったものを全く理解できて
いないのだろう。
組織に寄りかかって、庇護してもらいながらでなければ、生きていけない
情けない弱虫ばかりなのだ。
弱虫同士で慰撫しながら生きているだけに、公然とリスクに立ち向かう
個人に対して、猛烈に腹が立ってしまうのだろう。

でも、評価というかたちの「権威」(特に海外からの評価)がつけば、
へへーと頭を垂れるのに違いない。
ムラ社会極まれり。
あるいは、奴隷根性。