読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

「劣悪保守」百田尚樹の狂った発言: 天皇問題

5月26日(金)の深夜に放映された『朝まで生テレビ!』を録画して見た。
非常に興味深い内容だった。
安倍晋三を必死に支持している「劣悪保守」の酷さが際立った内容だった。

酷かったのが、初出演だという百田尚樹である。
同じ関西人としてまことに恥ずかしい。
今回は、百田批判で終始することになると思う。

最初に「女性宮家の創設」が議題となったが、田原総一朗氏が百田に
天皇陛下の「おことば」を聞いたかと尋ねると、悪びれもせずに
「聞いてない」
と答えたのだ。
仰天発言である。
尊皇派ならば居ずまいを正して聞くはずだし、物理的にリアルタイムで
聞くことが不可能でもニュース映像やネット映像に接することは可能だ。
陛下が何をおっしゃるのか、無関心でいられるはずがない。
そんな人間が、よくあの場にいけしゃあしゃあと出られたな、と
呆れてしまった。

そして予想通りに「男系固執を主張。
天皇家は古代より男系継承がずっと続いているから」というのが根拠である。
ただし、百田は圧倒的に知識不足だった。
恐らく「男系継承」というイデオロギーに魅せられているだけなのだろう。
よって、具体的な知識に基づいて批判されると、まともな反論が出来ない。

田原総一朗氏は、皇祖神が天照大神であることを述べて、古代においては
「男系継承」の概念などなかった、と主張。
小林よしのり氏は、天皇」という称号が初めて用いられたのは
女性の推古天皇の時代だった、
と主張。
井上達夫氏は、皇室のしきたりは一貫して不変のものではなく、
明治時代に「皇室制度」は大幅に改正されている、と主張。
百田は「明治の改正」は些細なものでしかなかった、と反論するのが
やっとであった。

小林氏は他にも古代の天皇の名前をすらすら出しており、さすがに神道学者の
高森明勅氏と共闘されているだけのことはある。
弁護士の萩谷麻衣子氏も、昨年よりかなり天皇について勉強していたらしく、
「象徴天皇」についての深い見識を示していた。

百田は「天皇制」について何も分かっていない。
皇室典範改正について、
「なんで、制度を変えなあかんの?」
と、子供のような疑問を投げかける。
「制度」ではなく「法律」なので、これを改正しなければ「女性宮家」も
「女性・女系天皇」も実現しない、ということは今や国民の常識である。

さらに百田は、
天皇は制度を改正して欲しいなどとは、一言も言っていない」
と平気で言ってのける。
これにはお仲間の「劣悪保守」も驚きだったろう。
そもそも、天皇は政治的機能を有しない、と憲法に規定されているので、
「~して欲しい」という要望は公には出せない。
それを曲解して、あのビデオメッセージ自体が憲法違反だ、と騒ぐ
知識人も存在するぐらいだ。
しかし、百田の認識はそれ以下だった。
新聞を読んでいるのだろうか。

また、毎日新聞がスクープとして報じた「陛下がショックを受けられた」
という記事についても、
宮内庁関係者というのでは、真偽の程が分からへん。週刊誌記事と同じ」
と切り捨ててしまう。
新聞だろうが週刊誌だろうが、事情によって個人の名前を出せないけれども
ニュースバリューは高いのでそのまま報じる、
というスタイルは、
今に始まったことではない。
特に陛下の「生のお声」を報じるというのは、先述した憲法の規定もあって
非常にシビアな問題である。
だから「宮内庁関係者」とだけ表記しているのだ。
やはり、新聞を読んでいるのだろうか、という疑問が絶えない。

恐ろしいのは、
「なんで、そこまでして天皇の意思を忖度せなあかんのです」
という主張。
発言が制限されているからこそ、我々国民が陛下の意思を忖度していく
ことにより、天皇と国民が共に尊重し合う関係を構築することができるのだ。
陛下に対する忖度を拒否し、安倍晋三に対する忖度を容認するというのは異常である。

素人の私が、作家の百田尚樹のコメントを論破できてしまった。
というか、あまりにも低レベルすぎて、こうしてわざわざ書かねばならない
ことなのだろうか、と思い悩んでしまった。

これで、はっきりした。
百田尚樹天皇に楯突く逆賊である。
左翼陣営である田原総一郎氏、井上達夫氏、佐高信氏らの方が、
よほど天皇陛下や皇族のことを考えている。

実際、天皇の問題を前にすると、左翼や右翼というポジションはほとんど
無関係
になる。
尊皇心があるか、ないか、である。
尊皇心がない人間は、いかに「2000年以上も続く皇統の素晴らしさ」を
訴えていても、反天皇論者である。
自分の「認識」や「感覚」の方が、陛下の知識やそこから生まれる思いよりも
優先する、
と思い込んでいるエゴイストであるからだ。
天皇と皇室はこうあるべき」というエゴを叫んでいるだけにすぎない。

エゴイストという点においては、極右も極左も根っこは同じである。
百田は極右であり、極左でもある。
まあ、言論が劣化しているので、どちらでもよいが。
ただ、現在は「右翼バブル」なので、「右翼」の看板を掲げている百田が
ネトウヨに持てはやされているだけに過ぎない。
「右翼バブル」がはじけたら、この男はどうするつもりなのだろう。
バブルに乗って好き放題発言してきた内容に、責任をとれるのだろうか。

天皇の問題だけでこれだけの分量になってしまったので、今回はここまで。
一回でまとめられると思っていたら、甘かった。
この後に「共謀罪」「憲法9条改正」「加計学園問題」の議論が続いたので、
そこでの百田の妄言も拾い上げていく。

安倍内閣打倒に向けたプレリュード

この5月はあまりにも色々なことが起こりすぎた。
新聞記事をせっせと切り抜いているが、スクラップ作業が追いつかない。
まさか5月1日から8日までの一週間余りだけで、スクラップブックを
一冊使い切ることになるとは思いもよらなかった。
もちろん、ほとんどが安倍政権の悪行三昧に関する記事である。

書きたいテーマが次から次へと増えていくが、なかなかまとまらない。
読書もしているので、書く時間を確保できない。
しかし、ここのブログ主が更新が面倒になって書くのを放棄してしまった、
と思われてしまうのも良くないので、報告がてらプチ更新をさせていただく。

実は先週の5月20日と21日の2日間、今までになかったほどのアクセス数を
記録した。
実に一日で200超である。
これまでは一日に20程度でしかなかった。
また、はてなユーザーの方がこのブログの「読者登録」をしてくださった。
時期的に見て、5月19日に「共謀罪」が法務委員会を通過した、という
ニュースで、安倍政権の民主主義破壊に危機意識を抱いた方が増えたのだろう
と思っている。

加計学園問題」でようやくマスコミも安倍政権に批判の目を向けるように
なったが、相変わらず「民進党がだらしない」というステレオタイプの
コメントが聞かれる。
言っておくが、民進党の奮闘ぶりを過小評価してはいけない。
もし、民進党がここまで頑張っていなければ、「共謀罪」はとっくに
成立してしまい、「森友問題」も「加計学園問題」も闇に葬られてしまった
だろう。
共産党は自分たちのことしか考えていないので、全く信用できない。
社民党も同様だ。
自由党は「反対」の意を出すだけで、積極的に審議に参加しない。

独裁政治を防ぐために、力のある野党は絶対に必要である。
それは我々国民が見守り、育てていかなくてはならない。
「どうせ民進党に投票しても死に票になる。支持したって何も変わらない」
ニヒリズムに陥ってはならない。
戦時の全体主義は、政党政治が崩壊したところから始まったのだから。

漫画家の小林よしのり氏は、有料メルマガ『小林よしのりライジング』で
現在、安倍晋三自民党およびそのシンパの悪政、問題発言などを
リストアップしている。
第2次政権のみに限定した上で、2回ほどで完了すると思っていたそうだが、
先週の3回目でようやく2015年にさしかかったところである。
安保法制も伊勢志摩サミットも消費税増税延期もまだ残っている。
民主党政権よりもマシ」「他に適した人材がいない」というネット世論
反発するかたちで始めた作業だが、これを延々と続けても読者がうんざりする
のではないか、と気を揉んでいる。

ただ、こうして安倍政権の酷さを分かりやすく明記する作業は、意義がある
ものだと思った。
小林氏がこの作業を一旦中断する可能性もあるので、僭越ながらこのブログで
2017年に入ってからのリストを自分なりに作成して発表しようかと思っている。
記事をスクラップで保存しておいたのが功を奏した。
前川喜平前文科省事務次官の勇気ある記者会見を見て、刺激を受けた。
「個」として言論を続けていかなくてはならない。

現在の日本は、極めて幼稚な独裁政治に陥りつつある。
幼稚であっても、国民の「考える力」を奪い、戦意喪失させる効果はある。
戦後最悪の内閣を打倒せねばならない。
このブログが、国民の「考える力」を醸成するのに微力でも役立てば
幸いである。

安倍晋三による民主主義の破壊行為

連休が明け、国会で集中審議が始まった。
安倍晋三は相当に驕り高ぶっているのだろう、という態度だった。
恐らく北朝鮮危機で内閣支持率が高止まりしていることが要因なのだろう。

民進党は、籠池氏(前理事長)が財務省の田村室長と交渉を行った時の
音声データを受け取った上で、籠池氏に対してヒアリングを敢行した。
それらで得た情報を元に、「森友問題」について反撃ののろしを
再び上げた。
しかし、安倍は「いつまでこの問題にこだわるのか」というスタンスで
まともに答弁しようとしない。

顕著だったのは「昭恵夫人森友学園とずぶずぶの関係だった」と
指摘されて、「ずぶずぶなどという品のない表現を使わない方が良い。
そんなことだから民進党の支持率は低い」と、得意の民進党ディスり答弁
展開した。

今更言うまでもないことだが、国会という言論の府において党の支持率など
関係ない。

選挙で国民の代表として選ばれた代議士である以上、その言葉は国民の声を
代弁していると見なす
必要がある。
支持率の低い政党であろうと少数政党であろうと、その原理は同じである。
党そのものの悪口を言うのは、政党政治の原則を無視している。
恐らくこの手の発言がネトウヨに受けているので、調子に乗って続けて
いるのだろう。

「ずぶずぶ」は確かに品のない表現ではあるだろうが、いずれにせよ安倍は
自身および昭恵と森友学園との関係について説明責任を果たさなければ
ならない。

昭恵はFacebookで、誰が書いたか分からない釈明文を掲載した後、
沈黙を続けている。
民進党は記者会見、参考人招致、証人喚問を要求しているが、
自民党は一貫して拒否。
昨日は籠池氏の参考人招致自民党は認めなかった。

籠池氏はヒアリングにおいて、財務省と交渉していた時期に昭恵に対して
「その都度報告していた」
と答えている。
籠池夫人は特に昭恵と昵懇の仲で、電話で長時間の会話に及ぶことも
しょっちゅうだった
という。
昭恵は森友学園の教育方針に感激していたので、小学校設立の計画に際して
「何かできることはありませんか」と自ら積極的に関与しようとしていた
節がある。

安倍は一貫して籠池氏を嘘つき呼ばわりしているが、籠池氏が提供した
音声データは「本物」と財務省は認めた
ので、無視し続けるのは無理がある。
籠池氏サイドからこれだけの証言が出ているのだから、それを受けて
昭恵や迫田秀明(当時の財務省理財局長)の証言を聞く必要があるのは
当然ではないか。
この二人を証人喚問で問い質せば、関与の有無はたちどころに明らかになる。
悪魔の証明」と言って逃げ回ることはできなくなる。

さらに安倍晋三の傲慢ぶりが表れたのが、「読売新聞を熟読しろ」という
大問題となる発言である。

そもそも、ビデオメッセージと読売新聞のインタビューは
自民党総裁」という立場で言葉を述べており、国会では「首相」という
立場となるので真意を述べられない、という理屈がよく分からない。
「首相」ならば公の場で持論を展開してはいけない、ということなのか。
ならば施政方針演説などはどうなるのか。

それに伴う「読売新聞発言」は、行政府の長である最高権力者が
特定のメディアにしか真意を語らない、と明言した
も同然である。
恐らく出来上がった原稿も校正したのだろう。
正しく真意が書かれている、と確認したからこそ、ここまで自信満々に
「熟読しろ」と言えたのだ。

権力者がインタビューを受けるメディアを恣意的に選択する(恐らく
思想的立場を考慮して)ということは、あってはならない。

権力者とメディアが「ずぶずぶの関係」として結びつくことの
始まりである。
戦時日本がその状態であり、当時の新聞は政府と大本営の広報紙と化した。

本来ならば、読売新聞は安倍の発言に抗議しなくてはならない。
しかし、主筆渡辺恒雄が安倍と「ずぶずぶの関係」だろうから
無理だろう。
安倍の発言を受け入れた時点で、読売新聞はメディアとして死を迎えた。

同時に、安倍は国会での議論を無視したのだ。
ビデオメッセージもインタビュー記事も自身の考えを一方的に述べたものだ。
「自分の言いたいことは既にこちらで述べてある」というのでは、
議論が成り立たない。

恐らく、野党には力がないから、うまいこと自身の答弁を避けておけば
あとは憲法審査会の方で「忖度して」くれるだろう、
という思惑ではないか。

安倍は、「9条を改正した」というレガシーさえ残ればそれでよい、という
考えを持っているのみである。
自民党改憲草案の「2項削除・国防軍の規定追加」は簡単に議論が決着する
ものではなく、自身の任期終了までに間に合わない可能性が高い。
だから、比較的賛同の得やすい「自衛隊の規定追加」に変更してしまった。
ポリシーもへったくれもないスタンスだが、そういった打算的な考えを
見抜かれては困るので、真意の明言を避けるのだ。

そのために利用したのが、読売新聞である。
別に産経新聞でも良かったのだろうが、読売新聞は独自の改憲草案を
たびたび紙面で発表しているので、自身の意図が伝わりやすいと
考えたのかもしれない。

日本国民は、民主主義国家の国民として、
権力者の安倍晋三に抗えるだろうか。

日本国が死を迎えるかどうかの瀬戸際が、この平成29年に一点集中している
ように思う。

「改憲」という名の自衛隊容認に反対できるか

安倍晋三がいよいよ憲法改正への意気込みをビデオメッセージという
かたちで発表した。
改憲派集会という「公の場」ではないところで、自分と同じ立場の人間にのみ
メッセージを送るという極めて「私的」な演説であり、2020年という自分の
任期以内を目標時期と設定するなど、問題点は多い。
しかし、ここでは「自衛隊の規定を加える」という点のみについて
私の考えを述べる。

そもそも自民党は「改憲草案」において、自衛隊に代わる「国防軍」なる
組織の創設を提言していた。
その項目を9条2項「戦力不保持」と差し替える、という草案である。
一方、安倍が提示した案は、自衛隊の規定を9条3項に加える、というもの
である。

これは非常に巧妙な策を練り上げてきやがった、というのが
私の実感である。

新聞やニュースを見ると、護憲派が安倍のメッセージに反対の意を表明し、
改憲派が勢いづいている。
厳密には「加憲」ということになるだろうが、事実上の「憲法改正」と
見なされる。
しかし、これは本当に「憲法改正」と言ってよいのだろうか。

というのは、現状において自衛隊が合法的に活動している以上、
この「憲法改正」は現状追認でしかないのだ。
自衛隊が創設されて以来、9条2項に抵触するのではないか、という
議論は交わされてきたが、その都度の拡大解釈で実質的に「合憲」と
言える状況にまで持ってこられてきた。
その存在が曖昧なまま放置されてきたのだ。

議論を回避してきた、あるいは思考停止を決め込んできたツケが
ここで噴出した。
安倍の改憲案は「自衛隊違憲か、合憲か」という命題を突きつけた
ものである。

「合憲」と考えるならば、自衛隊の規定を盛り込むことに反対する理由は
なくなってしまう。
この改憲案に反対するのであれば、自衛隊は「違憲」である、という立場で
なくては説得力はない。

現状においては、自衛隊は「違憲」と一貫して主張し続けている政党は
日本共産党だけである。
社会党は元々は「違憲」を主張していたが、村山富市が首相に就任すると
自衛隊専守防衛だから戦力ではない」と言い出して、その存在を
あっさりと認めてしまった。

社民党になっても、その見解は変わっていないのだろう。
民進党は議員ごとにバラバラで、党としての統一見解がはっきりしないのだが、
自衛隊が「違憲」だと主張しているのは聞いたことがない。

では、国民はどうなのか。
自衛隊の活動範囲が拡大することに危機感を覚える国民は多いだろうが、
自衛隊そのものは「合憲」だと判断してしまってはいないだろうか。
日本国内では災害救助の場で活躍しているので、その存在に感謝こそすれ、
危険視する国民はいないだろう。

安倍はそこを突いてきた。
曖昧な存在として放置されてきたが、実際に国民の生命を守る任務を
担っている、というジレンマ
に着目し、簡単に反対できない改憲案を
持ち出したのだ。

自衛隊「合憲」派は、この改憲案に賛成せざるを得ない。
今後とも自衛隊の活動を容認していくのであれば、
つまり「現状維持」という意味での「護憲」がこの改憲案の骨子である。
この構図にどれだけの国民が気付いているだろうか。

平和憲法を守れ!」と叫ぶ護憲派は、自衛隊が「違憲」であるということに
直面できるだろうか。
9条を全うするということは、自衛隊を置くことすら拒むということである。
それとも旧社会党のように「戦力ではない」という解釈でお茶を濁す
つもりだろうか。

もし、災害救助のための公的機関が必要なのであれば、それに特化した
組織を創設すればよい。
自衛隊は、あくまで朝鮮戦争の時に警察予備隊という名で創設された
ものだ
、ということは肝に銘じておかなければならない。

専守防衛」や「PKO活動」のために武器を所持する組織が必要なので
あれば、それは自国軍隊ということになる。
「軍隊ではなく防衛だけする組織」という曖昧な概念は、世界には
通用しない。

自衛隊は軍隊ではないため、国際法上は「テロリストや山賊」と
同じ扱いになる。

もし自衛隊が相手の軍人を負傷させたり死なせたりしたら、
傷害や殺人等の容疑がかけられる。
場所が外国であれば(その可能性が高いだろうが)、その国の法律で
裁かれることになるかもしれない。
他方、軍人は自衛隊に対する攻撃においては、相手が民間人ではないため、
国際法違反にはならない。
「殺るか、殺られるか」という極限状態において、自衛隊員は自由に武器を
使用することが出来ない。

私は人道的立場から、自衛隊をこのような不自由で
理不尽な環境から解放すべきだと考えている。

命を賭けて日本を守ろうとする気概をもつ人たちなのだから、なおさらだ。
現状で、「国を守ってね」「国際協力に貢献してね」という要求を
国民が突きつけるのは、あまりに身勝手だと思う。

「他に類を見ない平和憲法を守れ!」というのは聞こえがいいが、
現実から目を背けている。
「戦力は保有しないけど、守られたい」という欲求は、甘ったれた
ワガママであることにさっさと気付くべきだ。

平和主義を貫くのであれば、リスクも必要である。
自国軍隊を抱えつつ、それが暴走したり悪用されたりしないように、
国民がきちんと監視し、その都度議論をしていけばよい。
「絶対に戦争に巻き込まれない、起こさない」などというワイルドカード
ような憲法など有り得ない。

平和主義だからこそ、軍隊を持つべきなのだ。
国家として一人前にならなければ、平和をつくり出すことなど出来ない。

安倍晋三は、国民にはそれを受け入れるだけの度胸はないだろう、
見透かしている。
怖いからドレイのままでいる方を選ぶだろう、と確信している。
だから、満を持してこの改憲案を提示してきた。

本当にそれでよいのか?
リスクと闘いながら秩序を生み出す気概のある国民はどれだけ存在
するだろうか。
うまいこと懐柔しようとする権力者にしっかりと「NO」を突きつけられるか、
国民の意識が試されている。

憲法に対して国民が敏感になれるか

本日は憲法記念日ということで、NHKでは『施行70年 いま憲法を考える』
という討論番組が放映され、毎日新聞憲法の特集記事に多くの紙数を
割いていた。
読売新聞は、恒例となっている独自の「改憲草案」を今年も掲載した
らしい。
ちなみに毎日新聞世論調査では、憲法改正について
「賛成:48% 反対:33%」
という結果だった。

もちろん議論すべきテーマは山ほど存在するが、それにしても国民は
憲法についてどのような認識を抱いているのだろうか。
単純に「法律の親玉みたいなもの」と思っていないだろうか。
あるいは金科玉条のように不変であるべきもの」と思っていないだろうか。

私は団塊ジュニア世代であるため、小中学生時代は日教組御用達の
左翼教育をたっぷり受けていて、その洗脳は社会人になるまで
なかなか抜けなかった。
9条に疑問を呈するだけで右翼扱いされていた時代なので、
思考が膠着するのも仕方がなかった。

そこに風穴が開けられた時代が到来したが、では憲法に対して真剣に
熟考したかといえば、そのレベルには到底及んでいなかった。
9条に「NO」と言ってもよい、戦争は外交の一手段である、という
これまでには有り得なかった自由な考え方に触れて、
単に浮き足立っていただけであったような気がする。

あるいは、保守系論者が言う「GHQ押しつけ憲法」という表現に
「反米」の心理が反応して、日本は独立国家なのだから自主憲法を、と
いう論理に簡単に丸め込まれていた。

結果、調子に乗って、大して勉強もせずに天下国家を論じていい気になる、
というネトウヨへと転落していったのだが、それはまた別の話。
ともあれ、私の世代では、憲法の議論は「9条」か「GHQ」ばかり、という
状態が長く続いたという感覚がある。

そのため、「そもそも憲法とは何なのか?」という問いについて考える
ことがすっぽり抜け落ちていたと思う。
大人たちはは、子供からこのように問われて即答できるだろうか。

憲法は、権力を縛るものである。
別の表現を用いると、
憲法の名宛人は権力者、法律の名宛人は国民」
となるらしい。
つまり、憲法と法律は全くの別物だし、時代に応じて改正していくことで
国民の権利を保障していくもの
でなければならない。

ここ数年、安倍政権の暴走がすさまじい。
腐敗しているが、それをものともせず、安保関連法案、TPP法案、
カジノ法案といった国民の過半数が反対している政策を次々に
通しており、今また共謀罪も可決に持ち込もうとしている。
そんな私利私欲まみれの権力が、憲法改正を目論んでいるのだ。
危険視しない方がおかしい。

しかし、「9条」と「GHQ」についてばかり考えてきた国民は、
権力の暴走はともかく時代に応じてそろそろ改憲、と考えてしまう。
権力を縛ることに鈍感なのだ。
いくら何でも滅多なことにはならんだろう、と楽観視しているのかも
しれない。

自民党の「改憲草案」は全く容認できない内容だが、
その中でも「緊急事態条項」は看過してはならない。
戦争、テロ、大規模自然災害のいずれかに直面した際、
首相が一方的に「緊急事態」を宣言することにより、国民の権利を一時的に
制限
して中央集権体制をつくることができる、というものだ。
権力を縛るはずの憲法が、逆に権力の行使範囲を拡大してしまっている。
そして、憲法に護られるはずの国民の権利が制限されてしまうのだから、
「権力者のための憲法となっている。

さらに許しがたいのは、要件にテロと災害を挙げていることだ。
「緊急事態条項」がなしでは、テロと災害から国民の生命や財産を守る
ことができないかもしれませんよ
、と言っているのだ。
国民の不安を煽る、もっと言えば脅しを突きつけているだけである。
霊感商法による詐欺犯罪者よりもたちが悪い。

また、「改憲草案」には「道徳」に関する文言がある。
「家族は助け合うこと」と、国民の生活に縛りをかけている。
憲法上の国民の義務は「労働・納税・教育」であり、これらは国家と国民の
間での「契約」のようなものである。
家族の有り様は人それぞれであり、ましてやそこに国家が入り込む
余地などない。

児童虐待児童相談所、DVは地方自治体や家庭裁判所といった
公の機関が対処しており、国家に「助け合うこと」などと命令される
いわれはない。

「9条」と「GHQ」しか考えてこなかった国民は、上記のような
国家権力の肥大について書かれてもピンとこないかもしれない。
連休明けに審議が予定されている共謀罪にしても、「テロ等準備罪」と
名称を変更しただけで、「海外でテロが頻発しているので賛成」という
短絡的思考に基づく意見が続出してしまう。
勉強すべき若者が本や新聞を読まず、スマホネット世論に同調してしまう
だけなのだから、どうしようもない。
ネットさえあれば幸せ、という連中は、自分たちの権利や行動が
制限されることに無関心なのだろう。

私個人は、「将来的には」という但し書きを付けた上で、
憲法は改正すべきだとは思う。
9条が「世界一美しい」「ノーベル平和賞を贈るべき」といっても、
ここまで拡大解釈されて形骸化してしまっては保守する価値がない。
「9条」が一人歩きして、「9条を守る」ことが目的化してしまっては
何の意味もない。

安保法制が可決されたので、9条の下で戦闘行為(安倍や稲田が
言うところの勢力の衝突)が可能になっている
のだから。
よって、無為な「侵略戦争」を行わないためにも、9条の文言を改正して
権力をがっちりと縛らなければならない。

その他、首相の選任事項である衆議院解散権、参議院の立ち位置、
知る権利や環境権など、考慮すべきテーマはたくさんある。

ただ、安倍政権の下では改憲させない。
というか、現在の自民党そのものが不支持であるので、当分の間は
改憲に賛成することは出来ない。

民進党が一体となって力を付けるにはまだまだ時間がかかるだろうし、
共産党自民党に対する攻撃は良いけど信用できない。

権力の横暴を阻止するのは、国民の意識である。
「ゴー宣道場」で師範を務める倉持麟太郎弁護士は、
映画「JFK」で述べられた次のフレーズを聞いて弁護士を志したという。

「真の愛国者というものは、政府から国を護るものである」

今の国民に、自分たちが国を護る、という意識があるだろうか。
「やってもらう」という意識しかなければ、ドレイになるだけである。

国民の意識は政治とマスコミに反映される

自宅のネット環境が良くないため、更新が久しぶりとなった。
その間、国会や政局では様々な動きがあり、例によって文章をまとめるのが
追いつかない。
よって、個別のニュースについて取り上げるのはやめておいて、
我々国民が今考えるべきことについて述べてみる。

頽廃した政治家や官僚に憤りを感じる人は多いだろう。
彼らが「公」の仕事や責務を担うに値しない連中であることは明らかだが、
果たして彼らが謝罪して辞任すればそれで事は済むのだろうか?
公共心のかけらもない人間が政治や行政の現場に続出する傾向に
おいて、我々国民は責任を感じないままで良いのだろうか?

例えば、「森友問題」について政府の説明に納得していないと感じる国民は、
世論調査では70%を超えるという。
しかし、同時に安倍内閣の支持率は50%以上なのだ。
安倍晋三や閣僚連中の言動には不満を憶えるが、引き続き支持するから
しっかり職務を全うして欲しい、という意識の国民が多数存在する、
ということ
だろう。

安倍晋三も閣僚連中もそれを承知の上で、強引な政権運営を行っているのだ。
何をやっても支持率が落ちないのだから、そりゃあやりたい放題である。
民進党議員が共謀罪の瑕疵について質問しても、
安倍晋三は「内閣支持率の高さ・民進党支持率の低さ」を引き合いに出して、
世論は我々の側にいるのだから議論の余地などない、といった傲慢さを
表出していた。

ここまで権力者をのぼせ上がらせてしまったのは、国民の責任である。
もちろん、民進党共産党を支持しろ、という話ではない。
権力者を監視し、彼らに緊張感を抱かせるというのは、国民の役目である。
「しっかりやってほしい」と「思う」だけでは駄目なのだ。
世論調査投票行動などにおいて、国の行く末を思案しながら
自分の立場をしっかりと表明していかなければならない。
与党や内閣を支持するということは、権力者が自由に振る舞うための
「論拠」を与えることなのだ、
と意識しておかなければならない。

以前、私は「マスコミが権力を批判しなくなった」という文章を書いた。
その時は、マスコミにはもっとしっかりしてもらわないと困る、という
気持ちがあったのだが、少し認識が変わった。
マスコミ、特にテレビ番組はやはり視聴率の論理からは逃れられない。
民放であれば、なおさらだ。
いかに我々が「安倍昭恵を追及せよ」「共謀罪についてもっと議論せよ」と
言ったとしても、視聴者が関心を寄せなければその報道は続かない。

現状では、分かりやすい「悪役」である中川俊直元経済産業政務官
山本幸三地方創生担当相、今村雅弘元復興相らの不祥事ヒストリーを
扱っていることが多い。
これは政治問題と言うより、スキャンダルネタの一種として認識されて
いるのかもしれない。
だから特に何も考えなくとも、彼らを糾弾しておけばそれでよい、という
ことになる。

しかし、安倍昭恵共謀罪がテーマとなると、色々と考えることが多くなる
という意識があるのだろうか。
タブーとまでは言わないが、どうも腫れ物に触るような扱いになっている
のではないか、という気がする。
本来は大きな議論に繋がるテーマであるはずだが、視聴者がついてこない
のでは、と訝っているのかもしれない。

近年は安倍自民をひたすら礼賛するネトウヨやエセ保守の存在が
取り沙汰されているが、彼らがネットで何を書き散らかそうとも
さほどマスコミが気にするとは思えない。
反応があれば、それ自体が手応えであるからだ。
しかし、怖いのは「無関心」である。
どのような報道を行っても、それに対する反応がないというのは、
作り手としてはやり甲斐を感じられないだろう。

国民の過半数を占めると思われる「政治に無関心な大衆」が、
報道を薄っぺらいものにしてしまい、ひいては政治を私利私欲まみれの
ものにしてしまった。

これは決して、犯人捜しではない。
政治に対する意識の高い国民も、その責任からは逃れられないだろう。
民主主義の基礎は「議論」であり、その「議論」が不活発になって
いるのであればその責任は全員にある。

政治はその国の民度を表す鏡かもしれない。
国民はしっかりしているが政治は堕落している、ということは有り得ない。
日本国民には、韓国の朴槿恵スキャンダルを笑う資格などないだろう。

世論調査について言えば、気に留めていたことがある。
アメリカのトランプ大統領の支持率は低落傾向にあり、現在は46%程度だと
いうことだが、一方で「就任100日で政権について判断するのは早すぎる」
との回答が60%以上に上った
のだ。
NHKの「あさイチ」で有働由美子アナのインタビューに応じたイスラム教徒が
私はトランプ不支持だが、まずは彼にチャンスを与えてやろうと思う。
もっとも、4年後には彼のことをボロクソに言っているかもしれないが」
とコメントしていたのが印象的だった。
アメリカ国民は、「権力者は我々の代表」「だからこそ、何をやるか
我々の目で見届ける・監視する」という意識
が強いのだろう。
大統領選挙が、単なる「人気投票」ではない、という証左かもしれない。

日本国民に、ここまで強い意識が持てるだろうか。
権力者の好き放題を封じるため、自分たちの力で「マスコミや野党に
要求をぶつける」という行動がとれるだろうか。

「他に支持できる政治家がいない・政党が存在しない」という理由だけで
安易に安倍内閣を支持するというのは、単なる「お上に丸投げ」という
態度である。
「丸投げ」しておいて、現在のような不祥事が出来したときだけ当事者に
文句を言う、というのでは単なる駄々っ子・餓鬼である。

国民が大人になれなければ、国家はいつまで経っても未成熟のままである。

「北の脅威」について考えるは自主防衛

16日放送の「ワイドナショー」に出演していた国際政治学者・三浦瑠璃氏の
コメントが面白かった。
連日マスコミで報道されている北朝鮮情勢について、「何を今になって
騒いでいるのか」と皮肉っていた。
金正恩体制の危うさは以前からずっと続いてきたことであり、
三浦氏は「北は既に核武装している」と既に明言していたそうだ。
つまり、危機的状況の水位が急に著しく高くなったということではない、
という見方であるようだ。

これには非常に納得出来る。
北朝鮮が核実験を行ったりミサイルを発射したりといった軍事行動において、
明確な予兆が見受けられたわけではない。
強いて言えば、国家的な記念日が集中する4月に何らかの動きがあるのでは
ないか、と推測できる程度である。
それ以外の要因、例えばここ数年間の北朝鮮の動きなんかをわざわざ
おさらいしたところで、何かが見えてくるわけではない。
様々な要因が絡んだ上で、ボタンが押されてしまうか、北朝鮮が壊滅するか
の二者択一状態は、今に始まったことではないのだ。

こうした冷静な判断の出来る専門家の見解に基づくものでなければ、
北朝鮮情勢の報道はいたずらに視聴者の不安を煽るだけのものに
なってしまうだろう。
安倍晋三の「サリン搭載ミサイル」発言にいちいち付き合っている場合
ではない。

しかし、現に日本はあらゆるリスクに直面しているのだから、
それを報道する意味はあるだろう、との反論は予想される。
そういった方にお聞きしたいのは、敵についての情報ばかりかき集めて
何になるのか、ということだ。
己の現状についてきちんと認識しているだろうか。

私がこの件で最も知りたいのは、安保法制との兼ね合いがどうなるのか、
ということだ。
アメリカの空母、カール・ビンソンが朝鮮半島に接近しているという。
もし、この空母が北朝鮮から何らかの攻撃を受けた場合、集団的自衛権
行使されることになるのだろうか。

2015年の安保法案国会で安倍晋三は「アメリカのイージス艦が他国から
攻撃された場合、日本国の存立危機事態となって、アメリカの後方支援を
行えるようになる」といった説明をしていたように思う。
カール・ビンソンはイージス艦ではないが、状況は同じ事だろう。
日本の領土は何ら被害を受けていなくても、アメリカ軍が被害を受けた
だけで「日本の存立危機事態」と見なす、という安保法制の大きな矛盾点

一つが現実化するかもしれない。

本来ならば米朝対立だけで済んでいた所に、わざわざ日本が「我々は
アメリカの同盟国なので、自国の秩序を護るためにアメリカに協力して
北朝鮮に対抗する」と宣言して、自衛隊を派遣するのだろうか。
中立の立場をとっていれば、何のリスクを背負うこともなかったかも
しれないのに、敢えて北朝鮮の標的になるような行動に出るのだろうか。

これはあくまで基礎知識だが、国際法上「後方支援」という専門用語は
存在しない。

日本の官僚か学者が造った四字熟語に過ぎず、「後方支援」をしているだけ
だから自衛隊は攻撃対象にならない、ということではない。
弾薬や燃料の供給であっても、それは立派な「戦闘行為」と見なされる。
よって、北朝鮮自衛隊へ攻撃しても、国際法違反には当たらない。
しかし、自衛隊は「攻撃を受けるまでは何も出来ない」という制限が
存在することは留意しておかなければならない。
あと、「存立危機事態」というのも、シンプルに外国語に訳出できない
造語であったような気がする。
要するに、「存立危機事態」なのだから「後方支援」した、といっても
国際的には理解されないのだ。

己の現状、とはこういうことである。
安保法制という大きなリスクを己の内に抱え込んでしまっているのだ。
金正恩もトランプも不安定要素ではあるが、それらに受動的に左右され
なければならない立場に日本を追いやっているのが、安保法制なのである。

マスコミは、この問題についてきちんと報じなければならないのではないか。
2015年にあれだけ安保法制の危険性について議論していたのだから、
想定しうる事態に以上のような視点を組み入れるのは、決して見当違いでは
ないように思う。
「北の脅威」で想像をたくましくするよりも、現実に日本に存在する法に
よってもたらされるリスクについて、今こそしっかりと議論すべきでは
ないのだろうか。

さらに付言すると、左翼がよく展開している「平和憲法9条こそ抑止力論」は
何の説得力もない、ということも今回の件で実感できるはずである。

北朝鮮のような「ならず者国家が、日本には平和憲法があるから
攻撃しないでおこう、という判断を下すとはさすがに誰も思わないだろう。
自国軍を保有して、自主防衛を可能とするように憲法を改正しないと、
こうした矛盾は永続的に続く。

ただし、改憲は真っ当な保守政権の下でなければ駄目である。
もちろん、安倍政権は論外である。
自主防衛はアメリカから日本が独立するためのものだが、安倍はアメリカに
従属することしか考えていない。
アメリカのために自国民を犠牲にする、という事態に陥りかねない。
現在の自民党自体、以前に発表した改憲草案を一切変更するつもりが
ないようだから、任せられない。
憲法とは何か」について、分かっている人間が少なすぎるので、
真っ当な保守ではないのだ。
結局、改憲はずっと先の話になるだろう。

「北の脅威」について考えてみても、私のような一個人でもこれだけの
論点に思い当たるのだ(的外れのものもあるかもしれないが)。
プロの報道記者ならば、取材内容や専門知識を生かしてもっと深く論点を
掘り下げることが出来るだろう。
目先の視聴率などにとらわれることなく、国民に「考えさせる」
「議論させる」報道を切に求める。

そうでなくては、漠然とした不安が横溢した膠着状態の社会は
一向に改善されないのではないだろうか。