「男系固執派」の愚 ~Y染色体信奉~

「男系固執派」が男系継承を是とする根拠として持ち出しているのが、
Y染色体だ。
性染色体として、Y染色体は男性にしか存在しないため、それを継承する
ことが大事だ、というのである。
元々は八木秀次が言い出したことだが、自民党古屋圭司
動物行動学研究家の竹内久美子らもこの考えを支持している。

古屋圭司「何百年、何千年前は遺伝子工学の知識はなかったと思うが、
先人の素晴らしい知恵だったと思う」
竹内久美子「我々は千数百年間も受け継がれてきた皇室のYを決して
手放してはいけない」

こんなバカげた発言に惑わされてはいけない。
一つずつ反論していく。


■先人の知恵
今も昔も皇室について日本人が考えてきたこととは、皇統が途絶えない
ようにすることである。
「信じて、じっと待つ」なんて不確実で無責任なことをやっている場合
ではない。
医学が未発達であった時代ならば、病にかかってあっさりと亡くなって
しまう、という事態は容易に想定することが出来た。
戦乱の世の中であれば、不慮の事態で命を落とすという可能性も
あっただろう。
そこで先人が知恵を絞って考え出したのが「側室制度」である。


皇位継承者の数を多くしておく。
これによって途絶えることを防ぐことが出来る。
出産は女性にとって大きな負担なのだから、たやすく何人も産むことは
できない。
だから天皇に嫁ぐ女性の数を増やすことによって、この問題を解決
したのだ。


これが結果的に「男系継承」に繋がるということは、お分かりいただける
だろう。
天皇と複数の女性」の間で生まれる子は、皆「男系」になる。
先人は「男系」と「女系」の区別などしていなかった。
「側室制度」を採用した以上、生まれてきた皇位継承者は必然的に
「男系」ばかりになる、というだけのことである。

そして、「側室制度」は女性天皇にはそぐわないということも明白だろう。
女性天皇とは別の女性が産んだ子が皇位継承者と目されれば、
後に禍根を残すことになる(持統天皇の時は、相当に厄介な事態に
陥ったらしい)。


つまり、先人の知恵とは「側室制度」のことである。
それを無視して、「男系」の部分だけクローズアップするのは、
まさに「木を見て森を見ず」である。
「女系」は存在しない、女性天皇は8人しかいない、という主張も、
「側室制度」ありきになったから、という説明で事足りる。

そして、昭和天皇が「側室制度」を拒まれた以上、「男系」に
こだわる理由は皆無である。
「側室制度」なしの男系継承というのは、昭和天皇以降の3代のみであり、
こちらの方が「過去に前例のない事態」なのである。

皇位継承の安定性を無視した「先人の知恵」など存在しないのだ。


■皇室のY
曲がりなりにも遺伝子について研究してきたはずの竹内久美子が、
このような発言をするというのは、もはや噴飯ものとしか言いようがない。
天皇は「血統の論理」だから、遺伝子を重視するというのならば
分からないでもないけど、染色体、それも性染色体を大事にしろ、
というのはどういう意味なのだろう?


Y染色体はX染色体に比べて、変化が少ないため、同じものがずっと
継承されているのだ、と「男系固執派」は主張する。
近年ではY染色体もかなり変容する、という研究結果が発表されているが、
仮に「変化が少ない」として、その染色体を尊重する意味は何だろう?
そこに皇室のアイデンティティや稀少なルーツを見出すことが
できるのだろうか?
繰り返し言うが、遺伝子ではない。
22対ある染色体のうちのたった1本、それも他よりも短いY染色体に、
何の価値があるのだろう?

恐らくそのY染色体だけに注目すると、天皇、皇族、その他国民、
それぞれ比べても大した違いはないはずだ。


いやいや、「皇室で長きに渡って伝わってきたY染色体」だから、
それだけで価値がある、
という人もいるだろう。
では、天皇というのは、突然発生的にゼロの状態からこの世に現れた、
とでもいうのだろうか?
仮に神武天皇が実在したとしても、「その前」が存在するはずだ。
それを遡れば、人類誕生の地・アフリカにまで行き着いてしまう。
Y染色体という「科学的な存在」に着目している以上、
神武天皇以降のY染色体だけが尊い」などという言い分は通らない。

神武天皇以前と以降のY染色体に、科学的な違いは存在しないからだ。
つまり、天皇の権威の根拠を科学に求めてはいけないのだ。
それをすると、極論を言えば、誰もが皇位継承者にもなりかねない、
という事態に陥る。


■皇祖神
そもそも皇祖神は天照大神という女神である。
もし本当に先人が「男系」に価値を見出していたならば、
何故女神が皇祖神になったのだろう?

当然ながら、天照大神は神話の中の存在であり、民間伝承である。
よって、「男系」という価値が存在する世の中であれば、
そちらに都合の良いように伝承内容が変化するはずである。
しかし、そこに変化はなく、8人の女性天皇も誕生した上で、
日本人はずっと天皇中心の社会で協調生活を続けてきた。
明治の皇室典範で初めて「男系」という概念が取り沙汰されたが、
まさかY染色体に根拠を求めるような事態は想定していなかったろう。
何しろ、明治天皇は「側室制度」は継続されていたのだから。


「男系」は「側室制度」とのセットである。
天皇のルーツはY染色体ではなく神話である。

このシンプルな事実を理解出来ないのが「男系固執派」である。

「男系固執派」の愚 ~男子強要の非現実性~

恥ずかしながら6月まではダブルワーク勤務だったのだが、7月から
1箇所の職場でフルタイム勤務となり、ガンガンに働きまくっているので
ブログを書く時間がなかなかない。
自分がネット民へと落ちぶれた遍歴を書いていく予定をしていたが、
今のところそれらをまとめる余裕がない。
ただ、仕事や家庭に一定の満足感を得ていて、そこに安心して集中できる
人間は、ネットで暴言や妄言を吐くようなメンタリティには陥らない、
ということは身をもって実感できる。


さて、令和に入ってから、悲惨な事件や事故が多発しているが、
その裏で地道に活動しているのが、皇位継承における「男系固執派」だ。
改元時にワイドショーなどでも皇統問題について取り上げられ、
現時点において皇位継承者が3人しかない、という事実が明るみに出た。
元より世論調査では「女性女系天皇に賛成」という回答が80%を
超えているため、「次は愛子さま」「眞子さまや佳子さまはダメなの?」
という声が世間の中で強くなってきている。
「男系固執派」が、こうした状況に危機感を抱き始めている。


そんな中、3ヶ月ほど前に放映された『NHKスペシャル 日本人と天皇
では、今までになかったぐらいに皇統問題に深く踏み込んでいて、
視聴者に大きな衝撃を与えた内容になっていた。
今まで漠然と「男系継承がよい」と思っていたけど、この番組を見て
考えが変わった、というヤフコメ投稿者もいた。


個人的に興味を引いたのは、右翼団体日本会議」の「男系を守れ!」
と拳を突き上げる集会の映像だった。
男系固執の権化・平沼赳夫が壇上に立ち、「古来からの伝統である
男系継承を遵守せよ」
と訴えていた。
参加者はジジイばかりだった。
団塊の世代が多いのだろう。
家父長制と男尊女卑を信奉することが心の拠り所、という
ほとんど「反社会的」と言ってよい集団である。
この集会の異様な雰囲気は、テレビ画面を通してでもしっかりと
伝わってきた。
アングラなカルト集団そのものだった。
「世間の常識は間違っている! 俺たちこそが正しいんだ!」という
共通認識でまとまっていて、客観的に自分たちの姿を見つめるとか、
他者の意見に耳を傾けるということはもはや不可能な状態なのだろう、
ということが容易に見て取れた。
ジジイだから頭がコチコチに固まっているのだろう。


ただし、現実的に男性皇族は減少している。
秋篠宮さま、悠仁さま、常陸宮さまの3人だけである。
このうち、常陸宮さまはもう83歳になられているので、皇位継承
非現実的である。
そして、秋篠宮さまは「今上陛下が80歳になると、自分は75歳」という
主旨の発言をされていて、皇位継承の意思がないということを示唆
されている。
そもそも秋篠宮さまは皇太子ではなく皇嗣であるため、天皇の側で
祭祀に携わる機会が極めて限られている。
つまりは天皇になるための「帝王学」について、学ぶことができない
ままなのだ。
そのため、現実的な皇位継承者は悠仁さまお一人だけということになる。


この点について、同番組ではでは平沼赳夫にインタビューしている。
平沼「悠仁親王に男子がたくさん将来お生まれになることが望ましい」
インタビュアー「一般の我々にしても女の子がずっと生まれるというのは
ある。天皇家だけ例外があるかというと、それも(難しいのではないか)」
平沼「(かなりの間の後に)誰にも結論は出ないでしょうけど、
じっと待つしかないな、それを信じながら
これぞ「男系固執派」の無責任かつ独りよがりな態度そのものである。
ドキュメンタリーでしっかりと記録され、放映されたというのは、
画期的かもしれない。
多くの視聴者が、平沼赳夫の発言に違和感や拒否感を抱いたのでは
ないだろうか。


「男系固執派」にとって皇室は、自分たちの「思想」を正当化するための
道具に過ぎない。

陛下や皇族の方々を、一人の人間としてみていない。
ダビスタ』などの競馬シミュレーションゲームをプレイしている
感覚で、天皇陛下種牡馬としてでしかとらえていないのだ。
だから、男子が生まれるまで、ポンポン子供を産み続ければよい、
と本気で思っているのだ。
そこには出産という命懸けの行為に臨む女性(当然ながらお妃さま)
に対する思慮がないし、かけがえのない生命を男女で差別する
男尊女卑の概念が横溢している。


こうして暗躍している「男系固執派」は他にも存在する。
平沼赳夫の発言はあまりにもアナクロだから、もう少し理解されやすい
表現で男系継承を説く者もいる。
科学的見地で「Y染色体」を継承する価値を説く者もいる。
旧宮家男子」に正当性を求める者もいる。
これらの立場のいずれもが、著しくいびつで非現実的かつクレイジー
主張であることを示すことが私には可能であると思う。
なので、数回に渡って、男系継承にNOを突きつける記事を書いていく
予定である。
極めて「公」に資する度合いの強い言論だから、なるべく時間を捻出して
早めに更新していきたいと思う。

「外交成果」が中東に敵を作る

日本船籍のタンカーがホルムズ海峡で何者かに攻撃を受ける、
という事態が発生した。
今のところ詳細は不明であるが、アメリカは「イランの犯行」と
断定した声明を発表している。
ならばこれは「我が国の存立危機事態」ということではないのか?
アメリカのイージス艦が攻撃されても「存立危機事態」なのだから、
日本の民間船舶が攻撃されたのならば当然それに該当するだろう。
安保法制を適用し、集団的自衛権を行使して、アメリカと一緒に
イランと戦わなければならないのではないか?
安保法制国会で、あれだけ「ホルムズ海峡で自衛隊の命が危険にさらされる
ことはない」
と強弁していたのに、民間のタンカーが被害に遭ったのだから、
放置しておける事態ではないだろう。


イランと戦うって、つい昨日首脳会談が終わったばかりだぞ? と
お思いだろうか。
だったら、日本はアメリカの声明についての態度を早々に表明しなければ
ならないし、真相の追究や事態の打開についてイランとコンタクトを
とらなければならない。
イラン側の「我が国とは無関係」との主張を信じるのであれば、
アメリカの声明を信用しないということになる。

それをきちんと公言できるのか?


マスコミは事態の重大性を認識していないのか、もしくは認識している
からこそ深く踏み込みたくないのか、実にざっくりとした扱いで
終始している模様。
左翼コメンテーターが「安倍首相のイラン訪問に泥を塗るかたちになった」
と言うのが精一杯のところだった。


仮に今回の攻撃が、イランもしくは中東地域の武装勢力によるもの
だとしたら、それを誘発したのは安倍晋三のイラン訪問だろう、と思う。

そもそも日本が、アメリカとイランの緊張緩和に一役買って出る義理など
最初からなかった。
イランと日本は友好関係で結ばれており、民間の船舶がホルムズ海峡で
攻撃されることなど今までにはなかったからだ。
40年以上、日本の首相がイランを訪問していていなかったのは、
その必要がなかったのだ。
恐らく、中東情勢には日本は余計な口出しをしない、という不文律が
存在していただろうと思う。
その代わりに、ホルムズ海峡を安全に航行できていたのだ。
その良好なバランスを崩したのが、今回のイラン訪問ではなかろうか。


安倍晋三の意図は見え見えである。
選挙対策アメリカへの点数稼ぎだ。
それは日本国民だけでなく、イラン国民にも見え見えだったろう。
情報に聡い武装勢力であれば、なおのこと。
安倍晋三が「アメリカの手先」として、イランに対して「我々のボスである
アメリカ様の言うことを聞け」と余計な口出しをしに来たと感じられる
のは至極もっともである。

せっかくの親日感情を蔑ろにし、反米感情を募らせてしまったのが、
安倍外交である。


ところがマスコミは情けないことに、今回の首脳会談に「一定の成果」
があった、という事にしておきたいらしい。
両首脳の「反戦」や「非核」に言及した部分だけを強調し、
成功裡に終了したというイメージを強調している。
しかし、新聞に掲載されたイラン側の発言要旨を読むと、
そのイメージはまるで変わってくる。
ロウハニ師もハメネイ師も、友好国・日本に気を遣いながら、
うまく断定を避けた表現を用いている。

ロウハニ師:
「我々は戦争を追求しない。アメリカとの戦争も追求しない。
しかし、もしイランに対する戦争があれば厳しい答えを出す
「地域の緊張は、イランに対するアメリカの経済戦争が原因だ」


ハメネイ師:
「(イラン)イスラム共和国はアメリカを信頼していない
「自由で賢明な国は圧力をかけられた状況で交渉には応じない」
核兵器には反対するし、宗教令で核兵器製造は禁止されている。
しかし、我々に核兵器を作る意思があっても、アメリカは何もできない
だろう。

大量の核兵器保有しているアメリカが、どの国が核兵器保有すべき
だとか、保有すべきではないとか言う資格はない

読めば分かるとおり、「やられたら、やり返す」という姿勢であり、
アメリカに対する強烈な不信感を抱いているし、核兵器保有していない
とか作らないとは断言していない。

しかし、これを受けた安倍晋三の発言は、
「誰も戦争を望んでいない」
ハメネイ師からは、「核兵器を製造も、保有も、使用もしない。
その意図はない。すべきではない」との発言があった」

となっている。
勝手な解釈を加えて、ふわっとまとめ上げた感じだ。
一方で安倍晋三は「日本はイラン核合意を一貫して支持」とも発言
しているが、だったら日本はイランとアメリカのどちらの立場を
尊重するのだろう。
「いい人役」を演じる主体性なきコウモリに、不信感が向けられて
しまうのはこれまた至極もっともである。


今回のタンカーへの攻撃が、上で述べたことと関連があるのかどうかは
もちろん分からない。
しかし、これだけの問題をはらんでいるのは事実である。
ひょっとしたら、日本を敵視する中東地域の武装勢力がますます
増えてしまったかもしれないのだ。
やはり親日国家として有名なバングラデシュダッカで、日本人が
テロリストに虐殺された事件を忘れてはいけない。
安倍政権の対米従属姿勢が、あらゆるところにひずみを生じさせている。
マスコミは現実を直視した報道を心がけてほしい。

議論を拒みただ微笑みかける財務大臣

金融庁が発表した「老後の生活資金は公的年金以外に2000万円必要」
という報告書を、麻生太郎は「受け取らない」のだそうだ。
そして、これまでに見たことがないにこやかな表情で、
「国民に誤解と不安を与えるような報告書ですから」
と説明してみせた。
あの強面でふてぶてしい態度がデフォルトの麻生太郎が、笑顔で優しく
語りかける画。

なるほど、報告書の内容は的を射たものだったのだ、と実感できた。


もし、内容に誤解を招くものがあるのであれば、それを精査して議論
すればよい。

国会でも取り上げて議論してもよい。
それが民主主義というものだ。
しかし、麻生太郎は受け取りを拒んだだけではなく、何と報告書の
前文しか読んでいないことも発覚した。
中身を理解していないのに、勝手に誤解と不安を与える報告書と
断定してしまったのだ。
だったらお前が自力で試算してみろ、と思う。


二階俊博
「我々は選挙を控えている。候補者に迷惑がかからないように注意した」
と発言した。
つまり、数字の正確性よりも、選挙の勝利の方を優先させる、
言っているのだ。
驚いてしまう。


両者の言動から読み取れるのは、報告書を作成した有識者会議は
「結論ありき」として認識していたということである。
安倍政権が掲げる「人生100年安心」という社会保障政策を
裏書きするような報告を期待していたのだろう。

しかし、それが裏目に出てしまった。
安保法制国会で2人の憲法学者を招致し、2人供が「違憲」と回答した
のに似ている。


ただ、麻生太郎は当初は事態の重大さを理解していなかった。
囲み取材で記者達に対し
「俺が生まれたころの平均寿命はいくつだったか、知ってるか? 47(歳)。
(記者団を指さして)だいたい(寿命が)終わっているよな。
戦後53になって、この間まで81とか言ってたのが、100だってんだろ?
そうすると、人生設計を考えるときに100まで生きる前提で退職金って
計算してみたことあるか? 普通の人はないよ、多分。
いきなり100って言われて『あと20年間ゴルフ続けられるのか』って
『そんな体力ねぇな』とか『金がねぇな』とか考えるだろうから、
そういったようなことを考えて、今、きちんとしたものを、今のうちから
考えておかないかんのですよ

と、いつものようにふてぶてしく喋っていた。
ここから読み取れるのは、「2000万円必要」という報告をこの時点では
麻生太郎は受け入れていたのではないか、
ということだ。
しかし、その後マスコミや野党からの反発を受けて、たちまち火消しに
奔走した、というのが本当のところではないか、と思われる。


断っておきたいが、私は専門家ではないので、金融庁の報告書の内容を
評価できる知識はない。

専門家が2年間で12回に渡って議論を重ねて作成されたものなので、
相応に尊重すべき内容だろうと考えるぐらいである。
問題視しているのは、報告書の中身如何ではなく、それをろくに読みも
せずに「なかったこと」にしてしまい、選挙対策に腐心する政治家の
態度である。

安倍政権で何度も繰り返されてきた「議論拒否」だ。
今回はそのダメ押しとして、麻生太郎の笑顔が付いてきた。
権力者が国民に対して「安心して下さい」と微笑みかけることほど
恐ろしいものはない。
鈍感な人間にその恐ろしさが理解できるだろうか。
日本を人治国家にしてはならない。

ネット民には生産性がない

前回のブログ更新から1ヶ月以上も経ってしまった。
さすがに放置はまずいと思い、ちょっとした更新をさせていただく。


何故、更新が滞ったかというと、仕事が充実してきたからである。
忙しくもなってはいるのだが、同時にやり甲斐も感じているので、
完全に「人生の楽しみ」のメインに据えられるようになった。
そうなると、ブログ更新は日常生活における優先順位としては、
下位に落ちてしまう。
仕事をよりレベルの高いものにするため、自助努力としていろいろな
ことに時間を割き、そして趣味にも興じていると、ブログを書いている
時間がなくなってくるのだ。


一昔前、ネットで「リア充」「意識高い系」という言葉が流行った。
2ちゃんねるでは、「働いたら負けだと思っている」という退廃的な
AA(アスキーアート)も人気を博していた。
今思えば、これらはネット民の僻みに過ぎないと分かる。
私自身もかつては「そちら側」だったから、よく分かる。
ネットへの接続料だけで、他はノーコストで楽しめるネット空間は、
経済的にも気力的にも貧困層であるネット民にとっては、
この上ない楽園だったのだ。
その状態は、今もかたちを変えながらでも続いていると思う。


もし、仕事や家庭できちんとした居場所があり、「人生の楽しみ」や
「生きがい」を感じることができているならば、ネット民にはならない
と思う。

何故なら、マイナスの感情を募らせることが、この上なく無駄である
ということが分かるからだ。
ニュースについて憤りのツイートを投稿したり、他人のツイートに
噛みついたりといった行動は、極めて非生産的なものであり、
自分の「人生の楽しみ」「生きがい」の邪魔でしかない、ということも
理解出来ているはずだからだ。


ツイートという行為は「生産」に属する、と考えておられる方も
多いのかもしれないが、全くの誤りである。
ツイートは「消費」である。
目の前のネタ(エサ)に食らいついて、自分なりに満足感を得ようと
する行為だから、食事や買い物と同じようなものだ。
仕事や家庭できちんと「生産」をしている実感を得ている人間は、
それが分かる。
だから、SNSを利用するにしても、節度が守れるのだ。


だから、ネット上にはノイジーマイノリティによる罵詈雑言が
跋扈する。
それを見るのは「知の貧困層」であるネット民だから、ますます
バカが増幅する。
まともな「生産者」であるサイレントマジョリティは、そんなものは
見ない。
そもそも、関わっている時間がない。
そして、「生産の現場」で自分はしっかりと評価・承認されているので、
ネット上で「いいね」や「フォロー」にこだわる必要性がない。


さらに言うと、人間の脳はそこまでマルチタスクを得意としている
わけではない。
だから、仕事に本気で取り組んでいる時は、それ以外のことに頭が
回らないということがほとんどである。
つまり、SNSに首ったけな人間というのは、仕事に身が入らず、
ヒマであることが多いのだろう。

非生産的な消費活動という点においては、喫煙と同じようなものでは
ないか、という気がする。
まとまりがない文章ではあるが、ひとまずの更新ということで。

ネット民は「知の貧困層」である

前回のブログ記事にコメントをいただいた。
「ネットリテラシーの大切さ」について触れておられたので、
「ネットリテラシーはネットと距離を置かなければ身につかない」と
コメントをお返しした。
非常に重要なポイントだと思うので、あらためて本文で取り上げておきたい。


ネット世論に流されやすい、ネットリテラシーがない人間は、
ネット記事しか読んでいない。
ネット記事は玉石混淆であるが、その中でも石コロばかり追いかけている
のがネット民である。
だから、「本物の情報」と「ネット世論」を区別できないのだ。
「芸能人格付けチェック」というバラエティ番組で、1000円ワインと
10万円ワインを見極められるか、というような企画をやっているが、
1000円ワインばかり飲んでいる人間が確実にそれらを区別することは
不可能である。
日頃から10万円ワインやその他の一流品に接しているGACKTのような
人間でなければ、10万円ワインを「美味しい」と感じることは出来ても、
両者を見極めることは出来ない。

同様に、「ネット世論」ばかりに接していては、それが石コロである
ことにすら気付かないのだ。


ネット民は、テレビや新聞は「オワコン」だという。
私からすれば、「ワインは1000円で充分。万単位のワインなどオワコン」と
言っているに過ぎないように感じる。
それはそれとして、テレビや新聞は「本物の情報」に接するための
窓口である。
だからテレビや新聞に目を通さない人間は、「ネット世論」に流される
リテラシーがないネット民に堕落してしまうことになる。


いやいや、テレビや新聞は事業者によって内容に偏りがあるではないか、
自分でソースを選べるネットの方が必要な情報を得やすいではないか、
と言う方がおられるだろう。
ごもっともであり、昔の私もそのように思っていた。
しかし、偏りがあり、時に必ずしも自分が必要とはしていない情報も
流れるからこそ、テレビや新聞には価値があるのだ。
理由がお分かりだろうか。


「偏り」に関しては、自分の頭で考える余地が生じる、という良さが
ある。
そもそもネット記事だって偏っているのだが、圧倒的に情報量が少ない。
記事の主張や結論について、きちんと論理的な根拠が示されているものは、
仮にそれが左や右に偏っていようと、読む価値がある内容ということになる。
自分と異なる立場の思考回路が分かるからだ。

それを受けて自分の考えを振り返り、必要であれば微調整していけばよい。
その作業を死ぬまでずっと継続していくのが「保守」の本分である。


「必要とはしていない情報」に関しては、今回の池袋の事件に即して
指摘できることがある。
主にテレビのローカルニュースでは、一週間に2~3回は交通事故が
取り上げられている。
あれを見ていれば、特に興味がなくとも、警察がその都度どのような
対応をしているのか、漠然と理解出来る。
「上級国民」などでなくとも、被疑者が重傷で病院に搬送されていれば
逮捕に到らないケースが存在するということは、ニュースを見ている
人間にとっては常識中の常識なのだ。
つまり、「必要とはしていない情報」であっても、漠然と頭の中に
取り込んでいくことで、世の中の常識というものが身につくのである。

そもそも、自分にとって「この情報は不要」などと、そう簡単に
自分で判断できるはずがないではないか。
やっぱり必要だった、と思い直しても、それで石コロだらけのネットを
検索し、フェイクをつかまされるのでは目も当てられない。


この世の中、どんな情報が役立つのかなど、ピンポイントで指摘できる
はずがない。
これは情報化社会だからということではなく、遙か昔からそういうもの
だったと思う。
だから先人は、自身の知的好奇心のおもむくままに、書物と見聞で
知識を深めてきたのだ。

ネット界は、「これが今、役に立つ情報だよ」という分かりやすいエサが
あちこちにぶら下げられている環境である。
検索関連ワードやハッシュタグというものが普及してから、その傾向が
顕著になった。
これらに飛びついているだけの状況が、如何にバカバカしい、ひいては
危険な状態であるか、想像できるだろうか。
極論すれば、全てを分かっている「勝ち組事業者」が池に投げ込む麩を、
夢中でパクついている鯉
のようなものだ。
ネット民は麩で満足している貧困層なのだ。


このブログのタイトルは、かつてネトウヨであった自分を戒め、
きちんと勉強して「知の富裕層」へと駆け上がらなければならない、
という意識でつけたものだ。
同時に、多くのネット民も意識をあらためて「知の富裕層」を目指す
ようになってほしい、という願望の意味も込められている。
だから、このブログを読んで何かを感じとっていただいたのであれば、
即座にネットと距離を置いて、テレビ・新聞・本の世界へ回帰して
いただきたい。
このブログに依存するようなことは、絶対に避けていただきたい。

私がブログを更新しているのは、自己承認欲求などのためではなく、
よってアクセス数も全く気にしていない。
むしろ、このブログがもはや不要になるぐらい、自分の頭で物事を
考えられる人間が増え、「ネット世論」が陳腐化する世の中になることを
望んでいる。

そもそも私にとっては仕事の方がはるかに大事なので、ブログを更新
せずに済むのならばそれに越したことはないのだ。
出来ることならば、やめてしまいたい、とさえ思っている。
しかし、それでも続けようと考えているのは、ネトウヨとして
こじらせていた失敗を伝えておきたいと考えるからである。
それが私にとっての、せめてもの罪滅ぼしなのだ。

性的快感に取り憑かれているネット民

羽鳥慎一モーニングショー』で知ったのだが、池袋の暴走事故の容疑者が
逮捕されていないのはおかしい、元官僚だから特別扱いしているのでは
ないか、とネットで物議を醸しているらしい。
実にバカバカしい話だ。
番組でも伝えていたが、あの事件で容疑者も負傷しており、すぐに病院に
搬送されたので、逃亡や証拠隠滅の恐れがないのは明らかであり、
事件の解明には容体が回復してから取り調べをする方が良い、と判断した
から逮捕する必要がないだけである。
事情聴取が任意で行われている、という点に疑問を呈する向きも
あるらしいが、警察が「逮捕」という強制力を発動させていないので、
「任意」という表現になるだけだろう。


過失運転致死傷罪で警察は捜査しているのだから、警察内部での取り扱いは
「被疑者」である。
だから、マスコミが「容疑者」という表現を用いないのには違和感が
あるが、「容疑者」自体がマスコミ用語なので、何らかの内規が
存在するのだろう。
そこまで目くじらを立てることではない。
「上級国民」だから特別扱いしているのだ、というのは、
まさにゲスの勘ぐりというやつだ。
捜査が進めば、危険運転致死傷罪への切り替えだって有り得るだろう。


こういうことは、少し考えれば分かることだし、知らないことは
調べればよい。

ところが、ネット民はそれをしない。
一方的に「不謹慎狩り」をして楽しむ方を優先するのだ。


先日、中野信子著『シャーデンフロイデ 他人を引きずり下ろす快感』
幻冬舎新書
という本を読んだ。
それによると、「不謹慎」や「不適切」を糾弾して得られる快感の
ことを、脳科学の用語で「シャーデンフロイデ」と言うらしい。
人間は組織や集団の秩序を保ちたいという本能がある。
そのため、その秩序を壊そうとする人間に対しては、憎悪の感情が
芽生える。
これは必ずしも犯罪行為に限ったことではない。
何らかの分野において優秀な能力を発揮する人間、あるいは大したことが
できるわけではないのに何故か他者から愛されてしまう人間などに
対しても、「妬み」の感情が高じることによって、糾弾の対象に
なってしまう。
そういう人間を引きずり下ろしたり、非難することによって、
自分の足下を固めておいて満足感を得る、というのが
シャーデンフロイデ」のメカニズムであるらしい。


本来、こうした糾弾や非難には、リスクが伴うものだった。
相手に対する攻撃は、下手をすれば自分に降りかかってしまう可能性が
あったからだ。
だから、そういったネガティブな感情が内部に湧いてきたとしても、
そう簡単に発露するものではなかった。
しかし、現在のネット環境はそれを変えてしまった。
匿名で発信できるので、自分が反撃されるリスクがほぼゼロだからだ。
もし自分が炎上したとしても、そのアカウントを削除してしまえば
それ以上のダメージを防ぐことが出来る。
アクセスブロックという手段もあるだろう。
そのため、SNSをはじめとするネット環境は、「シャーデンフロイデ」の
温床になってしまった。


池袋の事件に限らず、日々伝えられるあらゆるニュースに接して
「不謹慎狩り」を行うネット民は多い。
彼らは自分たちの秩序を守るために「不謹慎狩り」を行っている
のではない。

シャーデンフロイデ」の快感を得るためにやっているのだ。
その快感は、性行為で得られるものと同質なのだそうだ。
つまり、彼らは性的快感に取り憑かれて、「不謹慎」や「不適切」を
叩きまくっているのである。

まるで理性の無いサルではないか。


そういうお前はどうなのか? と問われることにもなるだろう。
このブログの最初の方で、かつて私はネトウヨぶりをこじらせていた、
と書いている。
それ以外にも数々の愚行を犯している。
今になって振り返れば、ネット環境、ひいてはパソコンという道具は、
きちんと自制しながら使用しないと、実に簡単に人間の理性という
ものを奪い取ってしまうものだ、ということを痛感させられる。


今後、折に触れて、自分の数々の失敗談を、このブログで紹介して
いく予定である。
匿名なので、恥を忍んで、というほどのことではない。
いまだネット界にうごめく、理性なきサルやゾンビのような存在に、
このブログが一つの教訓として機能すれば幸いである。