「やってる感」が虚構の「健全性」を信じさせる

5月17日の毎日新聞夕刊に、政治学者・白井聡氏へのインタビュー記事が
掲載されている。
著作『国体論 菊と星条旗』(集英社新書)が話題を呼んでいる、
新進気鋭の政治学者だ。
この内容が、非常に興味深い。

白井氏は、2年前にヒットした映画『シンゴジラに熱狂している観客に、
「安倍さんを支持する人たちの姿が重なった」
と言う。
両者の共通点は、
「『統治機構が実はこんなに頼りになる』というファンタジーを信じたい」
という心理なのだそうだ。

シンゴジラ』を見て感じたのは、
東日本大震災、とりわけ原発事故で統治エリートの無能がさらけ出された
ことへの『反動』」
だという。
「(震災の混乱を見て)統治機構がもう少しまともだと思っていたが、
そうではなかったと。この映画はその逆を描いている
と解釈している。
そして、安倍政治を支えるのは、統治機構の漠然とした「健全性」を
信じたい人なのだ、
と。

「信じたい人」に「健全性」をアピールするのであるから、それはすなわち
ファンタジーなのだそうだ。
そして、ファンタジーを信じさせる「装置」について、白井氏はこのように
語っている。
「安倍さんは名言を残しました。『何かをやっている感じが大事だ』と。
(中略)本当にやっているかではなく、そう見えることが大事だと」

安倍晋三のこのスタンスについて、記事では以下のようなプルーフ
提示している。
御厨貴らの著書『政治が危ない』によると、御厨氏が安倍晋三に対して
アベノミクスは本当に成功したんですかね」と尋ねると、
「『やってる感』なんだから、成功とか不成功とかは
関係ない」

と答えたという。
為政者として、驚くべき発言である。

『国体論 菊と星条旗』では、日本はアメリカの属国であるにも関わらず、
その状態を認めたくない、なおかつ経済が低迷しているにも関わらず、
アジアのリーダーでありたい、というアイデンティティの喪失に直面した
日本人らが「集団発狂」している状態なのだ、と現在の日本を分析している。
これは同書の書評で仕入れた情報なので、詳しくはいずれ同書を読んで
みなければならない。

ともあれ、「集団発狂」している連中が、正気を保つために自国の統治機構
「健全性」がある、というファンタジーを信じこみ、それで自信を回復して
いる
のが現状らしい。
ネトウヨやエセ保守が、中韓に対してヘイトを吐きつつ、アメリカには一切
批判を加えない
理由が、よく分かる。

そして、この度の西日本豪雨における政府の対応を見ても、安倍晋三
「やってる感」スタンスという見方は説得力があることが分かる。
散々批判されている「赤坂自民亭」という飲み会の不適切性については、
全く触れることがない。
その上で、
「プッシュ型支援」「早め、早めの対応」
という、相変わらず威勢の良いフレーズだけを用いる。
実際に、何かを「早めにプッシュ」した形跡は、今のところ見受けられない。
それも当然、「やってる感」が大事だから、実際に何かを実行しなくても
よいのだ。

また、安倍晋三は被災地を視察に訪れたが、股関節を痛めたという理由で
視察を中断
してしまったらしい。
「いずれ、必ず訪問する」とは言っているが、全く信じられない。
国会で平気で嘘をつき続けている人間だからだ。
そもそも、避難所で膝をついて被災者と話す、という天皇陛下の真似事を
するのであれば、股関節が痛い程度で視察を中断してはならない。
「苦しい思いをしている国民が、多数存在する。その方たちを励ましたい」
という気持ちが強いのであれば、車椅子を使ってでも強行するだろう。

これまた、「やってる感」である。
強行するのはしんどいから、必ずしも全て実行する必要はない、という
スタンスだ。

安倍晋三「やってる感」を出している間、国会では「定数6増」が可決され、
カジノ法案」の審議が続行中。
国土交通大臣石井啓一は、被災地の交通網の復旧には全く関心がないらしい。
防衛大臣小野寺五典は、「赤坂自民亭」に参加していながら、
防衛省から随時連絡を受け、指示を出していた」
と言うが、記者から
「酒を飲みながら、飲み会から指示を出し、飲み会で報告を受けていた
ということでいいですか」

と問われると、
「会合の最中に連絡があったとか、会合の最中に連絡をしたということは
ありません」

と、明らかに相反する矛盾した回答をしている。
「随時連絡」と「指示」が、ちょうど飲み会が終わってから行われた、
などと都合の良い話など信じられない。

官房副長官西村康稔は、
「週末の大雨の被害が出ている最中に会合をやっているかのような
誤解を与えた」

と言うが、あの時間帯において、既に大雨の被害は発生していたのだ。
「誤解」という表現で責任を回避するな!

こうした不祥事とその醜い取り繕いを見ていると、統治機構の「健全性」が
いかに虚構に満ちたファンタジーであるか
がよく分かる。
白井氏は、このように語る。
「日本はディズニーランドなんですよ。夢の国の中にいれば、外の世界は
見えない」

確かに、ディズニーランドを囲むセットは、それ自体は「作り物」ではあるが
見事に「現実」から目をそらさせてくれる。
ただし、ディズニーランドと安倍政権の決定的な違いが存在する。
ディズニーランドは、いつだって「お客様ファースト」なのだ。
「利己主義」に陥ることがない。
ファンタジーを見せておいて、裏で粛々と自分勝手な行動をとり続けているのが
安倍政権である。

フェイクの温床となりうる「ネットの評価」

先日、当ブログにいただいたコメントで知った事実に、驚いてしまった。
何でも、ブラウザのGoogle Chrome拡張機能「WOT(Web Of Trust)」で、
このブログ、もしくは特定の記事が「閲覧するのは危険」との評価が
下されている
のだとか。

このWOTとは、「オンラインで検索やショッピング、閲覧をする際、
そのウェブサイトを信頼できるかどうか、情報に基づいて決定するのを助ける、
ウェブサイトの評判評価ツール」という説明が成されている。
恐らく、フェイクニュースや詐欺サイトへの対策となるツールなのだろうが、
その評価が下される仕組みやプロセスについては、私は全く分からない。
Googleアカウントを持つ人間ならば、誰でも好きなだけ投稿することが
出来るのかもしれない。
もし、「5段階評価」のみ、コメント入力は任意(もしくはコメント投稿
そのものが存在しない)のであれば、当ブログを苦々しく感じている人間が、
一方的に「ゼロ評価」を送信し続けていれば、「危険サイト」に認定される
レベルにまで貶めることが可能なのだろう。

当ブログを敵視する人間といえば、間違いなくネトウヨである。
一貫して安倍政権の批判を続けているし、安倍政権を擁護するエセ保守の
批判も書いた。
さらに「男系固執派」のイデオロギーを、「反天皇」として糾弾した。
ネトウヨらにとって、苛立つ内容だったのだろう。

ところが、こうした批判記事に対して、まともな反論コメントが入力された
ことが一切ない。

「ちょちょんがちょん。チョンの階段を駆け上がれ」という、バカ丸出しの
雑言が来ただけだ。
思い上がるのは危険なのだが、きちんとした情報ソースを元にして、
理路整然を心がけた記事に仕上げているので、ネトウヨは反論できないのでは
ないだろうか。
ただ、目障りなのに変わりはないので、「この記事は危険。信頼性が低い」と
喧伝しているのだ。

ここまで来ると、ネトウヨに対して「卑怯」と憤る気持ちなど一切生じず、
むしろ哀れに思えてくる。
何しろ、発想が、一党独裁の中国や北朝鮮の「ネット規制」と同じだからだ。
ネトウヨが忌み嫌っている中国や北朝鮮と、同じことをしていながら、
本人たちはそれに気付いてない。

これが「哀れな愚者」と呼ばずに、何と呼べばよいのか。

そして、ネトウヨに敵視されるということは、真っ当な庶民には当ブログの
内容が届いている可能性が高い、と考えられるので、逆説的に「自分が書いて
きた内容に間違いはなかった」と自信を深められる。
ネトウヨが、こちらの正しさを証明してくれたようなものなので、
これまた「哀れな愚者」の所業と言うほかない。

さて、以上はやや個人的な内容ではあるので、もう少し一般的な内容に
踏み込んでみる。
「ネットの評価」は鵜呑みに出来ない、ということだ。

日本人はランキング好きと言われ、あらゆるウェブサイトでカスタマーレビュー
に基づくランキングが掲載されている。
ただ、ほとんどのランキングは、レビュアーによる「5段階評価」を集計し、
その平均値によって並べられている、ということは留意しておかなければ
ならない。
つまり、悪意あるレビュアーや、マナーを守れないレビュアーが、極端な
評価を送信している可能性は、常に存在する。
Amazonのような巨大なサイトになれば、運営者は細かなチェックが
出来ないため、規約違反レビューはいくらでも可能だ。

つまり、「ネットの評価」にはノイズが付きまとっているのだから、
鵜呑みにしてはならないのだ。

さらに「ネットの評価」を、「集団知」の一種と考えれば、さらに警戒すべき
コンテンツがウェブには存在する。
「ウィキサイト」と言われるものだ。
代表的かつ巨大なものが、有名な「ウィキペディア」である。

ウィキサイト」の文章は、誰が書いているのか、一般的には分からない。
アカウント名もニックネームも明かされない。
だから、レビューサイトよりも、さらに自由に投稿できてしまう。
もちろん、管理人が「適切に編集」するのだが、その過程は全く不明だし、
誰が編集しているのかも分からない。
よって、「特定の方向性」を志向しているのかどうかも、判然としない。

一昔前まで、「集団知」として、管理人が提供する情報を閲覧者が補う、
という機能は、サイトの掲示板が担っていた。
当然ながら、匿名というかたちではあるが、「誰が書いたか」ということは
明示されていたし、有効な情報は管理人がアップデートした上で、
「更新履歴」などで伝えてきた。
そういったプロセスが、完全に伏せられているのが「ウィキサイト」の
特徴である。
恐らく、ウェブの閲覧者が、一昔前に比べて格段に増加したため、
従来のようなプロセスをとるのが難しくなってきたのだろう。

これが「ウィキペディア」になると、フェイクの宝庫と化してくる。
ネトウヨやネット民が、自分に都合の良いデマを書きまくっているので、
信頼性は非常に低い。
その好例が、今年2月23日の毎日新聞の記事だ。
ウィキペディア」の「エンゲル係数」の項目が凍結され、編集できない
状態に陥ったのだという。

理由は、第二次安倍政権が誕生してからの2013年以降、エンゲル係数
高止まりしている点を野党に追及された際、安倍晋三
「これは物価指数のほか食生活や生活スタイルの変化が含まれている」
と答弁し、それを受けて、「エンゲル係数」の項目に
「現在では(係数の)重要度が下がっている」
と書き込まれたことだ。
その後、他のユーザーがこれを削除したが、新たに「一概に値が高いほど
生活水準は低いとは言えない」
と書き込まれ、さらなる応戦が展開し、
編集合戦」が19回にも及んだという。

これが「ウィキペディア」の現実である。
個人的には、「ウィキペディア」の記事は、固有名詞の表記と時間・場所以外は
信用しないことにしている。

いまだに「ネットしか伝えない真実」というものが存在する、と信じている
人が存在するらしいが(信頼できる良質なネットコンテンツも、当然ながら
存在する)、実際には「ネットにしか流通しないデマやフェイク」が多数
存在する、
というのが正しい。
ネットの巨大化による、「集団知」の限界である。
「ネットの可能性」を信奉している、Windows95&98世代は、いい加減に
ネットを客観視して、見切りを付けるべき所は見切らないと、いずれ若者に
旧人類」として見放されるだろう。
「執着」は「意地でも変わらないこと」だから、後は時代に取り残されて
劣化するだけなのだ。

政府は「やりたいこと」しかやらない

この度の「平成30年7月豪雨」で、広島県呉市陸の孤島と化している。
交通網が寸断されているのだ。
しかし、国土交通大臣石井啓一は、カジノ法案」を審議する委員会への
出席に余念がなく、ライフライン問題に注力する様子がない。

国の一大事だというのに、何を考えているのか。
国民の間でも反対が多く、そもそも将来的な政策である「カジノ法案」の審議
など、後回しでよいではないか。
これが現在の政府の姿である。

安倍晋三は、初動体制の立ち上げの遅れを指摘されても、「政府は適切に
対応している」といった類いのコメントを発したのみで、決して政府の不手際を
認めない。

気象庁の緊急記者会見を軽視して、飲み会に興じてしまったのは否定しようの
ない事実である

総務会長の竹下亘は、「どのようなご批判もお受けする」と反省の姿勢を
見せているが、安倍晋三はそれすらも突っぱねるようだ。
能力は低いが、プライドは天より高い。

そもそも、国会の審議が遅々として進まず、最終的に与党が強行採決を行う、
という構図が続いているのは、政府が過ちや失態を認めないからである
特に安倍晋三の答弁は酷く、「平気で嘘をつく」「訊かれたことに答えて
いない(答えになっていない)」といったものばかりで、議論以前に
会話が成立しない。
そこまでして、自らの過ちを認めようとしないのだ。

このように、「愚かな政府」は自分のことしか考えないので、盲目的に
信用するのはどうかしている。
「まあ、大丈夫だろう」では、取り返しがつかないことになるかもしれない。

例えとして挙げるのが適切かどうか分からないが、今回の豪雨において、
自治体の「早めの避難指示」に対して、「以前、大丈夫だったから、避難する
程ではないだろう。死にはしない」と、楽観していた住民に通じる感覚かも
しれない。
「権力」と「自然災害」は全く異なるものではあるが、穏便に楽観して
よいものではない。

ちなみに、安倍晋三のポリシーは、実際に何かを行う「実行力」ではなく、
雰囲気を醸し出すだけの「やってる感」なのだという。
これは晋三本人がそのように語っているのだから、間違いない。
これについては、またあらためて書く。

危機管理の意識が低い政府

今回の「平成30年7月豪雨」は、先週の7月5日の午後あたりから、
激しい雨が降り出したことに端を発している。
気象庁はその日に緊急記者会見を行い、今までに経験したことのない豪雨になる
恐れについて言及していた。

しかし、その晩に安倍晋三は、自民党の若手議員との交流のために
宴会を開いていたことが分かった。
官房副長官である西村康稔が、その模様を撮影した写真をツイッター
投稿していた
のだ。

危機管理の意識が著しく低いと言わざるを得ない。
この宴会は、一般の飲食店や料亭ではなく、赤坂自民亭で催されたので、
スケジュールはいくらでも調整が可能なはずだ。
国の省庁である気象庁が、災害の危険性を訴えていたにも関わらず、
定例の宴会の方を優先させ、準備態勢をとることを後回しにしてしまった。
結果的に、災害対策本部が設置されたのは、それから3日後の7月8日である。
また、こんな時に、写真をツイッターに投稿する西村康稔の感覚は、
非常識極まりない。

これで、大きな自然災害に即座に対応する、という「緊急事態条項」の
大義名分は完全に崩れた。

今の自民党は、自分たちが「やりたいこと」にしか興味がない。
定数の「6増」や「カジノ法案」など、公共の観点から全く不要なものを
ごり押ししている。
「緊急事態条項」も、災害にかこつけて、政府の権限を強化したいだけである。

ところが、NHK世論調査では、安倍内閣の支持率がまたもや上昇し、
44%に達したという。
何と不支持率を上回ったのだそうだ。
調査時期にもよると思うが、有権者の意識も相当におかしい。
考えるのが面倒になって、権力者に下駄を預ける感覚か。

災害からの復興は、主に自治体が主導することになる。
国は法律によって、それをサポートすることになる。
強い権限は不要だ。
よって、ごく常識的に政権運営をできる政治家であれば、首相の座に座るのは
誰でもよい。

非常識な安倍晋三は、総裁選のためのポイント稼ぎに繋がることしか
行動しないだろう。
そんな首相を信用しているのが、この国の有権者の実態である。

「緊急事態条項」の不要

平成で最大の豪雨による被害が発生している。
「数十年に一度」というレベルの豪雨が、ここ近年に何度も観測されて
いるような気がする。

この状況に対して、政府は何か具体的な対策をとっているのだろうか。
一応、安倍晋三は記者会見をしてはいるが、単に「人命救助を最優先に」と
述べていただけである。
被災者を支援するための特別な政策を採ろうとした様子はない。

先月の北大阪地震では、「一部損壊」という家屋が多かった。
「全壊」や「半壊」ではなく、「一部損壊」では国からの補助金はおりない
のだという。
そのため、大阪府の松井知事は、超法規的に府から(あるいは市から、かも
しれない)補助金を出すことを決定した。
維新の会も松井知事も大嫌いだが、この決定は支持する。

結局のところ、大きな自然災害が発生しても、即座に国が出来ることなど
ほとんどない。
「人命救助が最優先」というのは当然なので、まずは各自治体が自衛隊
出動を要請するのが先決となる。

何が言いたいのかというと、自民党が提示している改憲案の中にある
「緊急事態条項」は全く無意味である、
ということだ。

この改憲案は2012年に作成されたので、「緊急事態条項」の項目は
東日本大震災が念頭に置かれていたのだろうと思われる。
しかし、その東日本大震災を含め、その後のあらゆる災害においても、
「緊急事態条項」が無いばかりに、実行できてしかるべき政府の方策が
制限されていた、という状況が全く思い浮かばない。

ましてや、今の安倍晋三は、秋の総裁選の三選しか頭にない。
権力が「公」に寄り添う状態が、これまで非常に少なかったことを考えると、
いたずらに権力を強化してしまう「緊急事態条項」を憲法に明記するのは
非常に危険である。

安倍政権は、「腐敗した権力」という姿を、国民にまざまざと見せつけて
くれている。
国民よ、刮目せよ!
今の権力は、国民のことなど全く考えていないぞ!

野党と国民、奮起せよ!

働き方改革関連法案」が成立してしまった。
もはや忘れられているかもしれないが、政府は元々「裁量労働制」の拡大も
盛り込む予定だった。
それが見送られたのは、厚労省が提示した労働時間データがデタラメだった
ことが発覚したからである。
さらに、批判が集中している「高プロ」に関しては、厚労省はたった12人に
しかヒアリングを行っておらず、そのうちの1人に関しては、国会で野党からの
追及を受けてから事後的に行ったものであることが判明している。
つまり、政府が言う「自由な働き方の必要性」という、法案の根拠が
全く存在しないのだ。

これでは全く議論にならない。
前提とすべき「信頼性のあるデータ」がないのだから、後は「必要だ!」
「いや、過労死を助長する!」という噛み合わないやり取りが続くだけである。
こうして政府は、国会の会期を延長し、徒に時間が経過するのを見据えて、
「議論は尽くした」という体で採決するだけである。
多数派にあぐらをかいた国会運営であり、これを一般的に強行採決という。

ただ、今回の採決に関して、政府だけを責めればよいのかというと、
そうでもないと思う。
「それ以外の要因」について触れてみる。

■野党
立憲民主党を始めとする野党は、少しでも採決を遅らせるために
参院議長不信任決議案を提出した。
ところが、それに乗っからなかったのが、国民民主党である(維新はもはや
野党とは見做さない)。
代表の大塚耕平は、「不信任には当たらないから、賛同しなかった」という
理由を述べている。

しかし、こういう時に、野党が足並みをそろえなくてどうするのだろうか。
もちろん、決議案や法案に対する賛否は、党によってそれぞれ、あるいは
議員によってそれぞれであるのが本来のかたちではある。
だが、そんな「理想論」を掲げている場合ではないだろう。
こんなことだから、旧民主党は学級会民主主義と揶揄されるのだ。

野党が一枚岩ではない、という状態は、有権者を失望させてしまう。
高プロ」に反対で、安倍内閣不支持という有権者でも、野党を応援して
よいのかどうか逡巡してしまう。
そうした「野党の弱み」につけ込んできたのが安倍政権ではないか。

そもそも国民民主党は、「森友・加計問題」への批判が再燃し、
福田前事務次官の「セクハラ問題」もあって、麻生太郎財務相辞任が
叫ばれていた矢先に立ち上げられている。
最初から、国会が休みであるゴールデンウィークを念頭に置いていたのかも
しれないが、流れが読めていないことこの上ない
この大事な時に、選挙対策と数集めか? と有権者から批判されても仕方ない。
「細部は一旦棚上げし、今は共闘すべき」ということが分かっていない。
有権者が安心して野党を支持できるような体制をつくらないと、
すぐに内閣支持率が回復し、結局安倍政権がやりたい放題を通してしまう、
ということの繰り返しになってしまうのだ。
いい加減、学習して欲しい。

■国民
とはいうものの、本来、政治をコントロールするのは国民である。
ポカンと口を開けて上を向いていたら、お上が「善政」を授けてくれる、
という甘い話が常に成立するとは限らない。
「与党は傍若無人だ」「野党は頼りならない」と斬って捨てるのは簡単だが、
そのような事態を招いたのは、国民にも責任の一端がある。

何でも「米朝首脳会談」の後、安倍内閣の支持率が上昇したという。
毎日新聞世論調査では「支持する」が36%。
40%を越えたという結果もあるらしい。
トランプは、北朝鮮の「金王朝体制」の護持を認め、さらに核保有も事実上
容認した上で、「後の非核化の費用は、日本と韓国が全額負担せよ」
言い残してアメリカに帰っていった。
安倍晋三は、全幅の信頼を寄せているトランプに、またもや後ろ足で
蹴り飛ばされるという格好となったのだが、4割近くの国民はそれを見てもなお
安倍内閣を支持する、
と回答したことになる。

世論調査の結果については、またあらためて記事を書きたいと思っているが、
ともあれこの数字は単なる指標以上の意味を持っている。
安倍晋三政権運営は、明らかに「高い支持率」をバックボーンにして
いるため、「支持する」と回答すること自体が、政権をますます傍若無人
してしまうのだ。

単なる人気投票のように、感情で回答するのは考えものではあるが、
容認できないものに関しては、きちんと「NO」と回答しなくてはならない。
「本当はNOだけど、仕方ない。何とか頑張ってくれるだろう」などという
甘っちょろい考えではいけない。
そういう「丸投げ思考」が、政治を劣化させるのである。

健全な政権運営のためには、力のある野党が不可欠である。
そして、野党を育てるのは国民なのだ。
地元の国会議員や候補者の元に、自分の考えを文章にしたためて送っても
よいし、今ならばメッセージを受け付けている公式サイトが存在するケースも
あるだろう。
街頭演説に足を運んで声をかけるというのは、昔ながらの手法である。
そのために、自助努力として読書で知識を付ける、というのも大いにアリだ。

有権者にできることは、たくさんある。
それを放棄して、ニヒリズムに陥るのは最悪である。
ニヒリズムが蔓延した社会は、弱者が虐げられる。
長時間勤務や過労死も、その範疇に含まれる。
少なくとも「自分にとって大切な人たち」を守りたいと思うのであれば、
自分の頭で考えなければならない。

子や孫が虐げられる社会を作りたくなければ、今考えなければならない
後で悔やんでも遅いし、そもそも後になってみれば「何が問題だったか」も
分からなくなっているだろう。
無自覚で「自分にとって大切な人たち」を追い込んでしまうのであれば、
これ以上悲しい事態はない。

公共心なき「腹心の友」

ブログの更新を停滞させていたのは、やはり怠慢であったと言わざるを得ない。
忙しく仕事に集中していたが、残念ながら退職の運びとなり、転職活動を
行いつつも、将来の進む道として考えている「就農」に向けて座学講座に
通っていた。
だから、ブログ更新を休むのは仕方がないと考えていた。
しかし、甘かった。
日本を取り巻く事情は、待ったなしだった。
問題意識を持っていて、発言できる人間は、どんどん自分の意見を公表して
いかないと、現在の悪夢のような安倍政権を倒せない。
忙しくても、スッポンやブルドッグのように、ズボンの裾にでも噛みつき続ける
態度が必要だ。

ところで、私は高槻市民である。
よって、このたびの北大阪地震で、少々ではあるが不自由な生活を強いられた。
とはいっても、家屋の目立った損傷はなかったし、家族や近所の人間は無事で、
数日間ガスの供給が停止しただけだったので、「被災者」を名乗るのは
おこがましいレベルだ。
ただ、やはり人生は、いつ何時何が起こるのかが分からない、ということを
実感した。
だから、何かを「残す」「主張する」というのは、出来る時にやっておかねば
ならない、
と思った。
いずれじっくりと文章をまとめてブログを再開、という考えは、あまりにも
悠長すぎるのだ。
それぐらい、事態は切迫している。
決して、このブログの注目度は高いとは言えないが、記録として残しておく
必要があるし、誰かの目に止まった結果、何らかの変化が生じればそれでよい
と思う。

前置きが長くなった。
この地震の最中に、こっそりと記者会見を行い、既成事実だけを取り付けた
人物がいる。
加計学園の理事長である加計孝太郎だ。
安倍晋三の「獣医学部新設という考えはいいね」という発言について、
加計孝太郎本人は「記憶にも記録にもない」と否定した上で、
学園の職員が「先走って虚偽の報告を記した」という従来の説明を踏襲して、
形式的な謝罪コメントを発した。

とんだ茶番である。
これまでマスコミから散々逃げ回っていたくせに、地震が発生したという
タイミングで急遽会見を敢行。

この会見、マスコミに告知したのは開始2時間前だったため、全国放送の
マスコミは間に合わなかったという(場所はもちろん岡山)。
テレ朝の記者が急行したが、シャットダウンされた、との報告もある。
最初から、地元マスコミしか相手にしないつもりだったのだ。
しかも、会見時間はたったの25分間。
事の大きさに比して、あまりにも短い。
記者からの質問を遮るかたちで、会見は強引に打ち切られてしまった。

誰が見ても、地震のどさくさに紛れて、会見を大きく報道されたくない、
という意図があったのは明らかである。

地震の被害を受けて、「困った時はお互い様」という公共心が発揮され、
被災地で助け合いの動きが見られる中、加計孝太郎はこの災害を利己的な
私心のために利用したのだ。

災害に配慮して、結婚発表を遅らせた宮里藍とは大きな違いである。
こんな我利我利亡者が、学校法人のトップなのだ。
蔑ろにされたマスコミは、この点を徹底追及すべきである。

私はこの会見の映像を見て、怒りを通り越して吐き気を催した。
全く悪びれることなく、後ろめたさのかけらも見せずに、
「すいません」と傲慢極まりない態度で「謝罪」をした加計孝太郎。
理屈からくる「怒り」よりも、生理的嫌悪感からくる「吐き気」
を催したのは、余震の恐怖が払拭されていない時に見たので、
本能が鋭敏になっていたからなのかもしれない。
安倍晋三にも同じものを感じるが、権力の亡者に共通する「醜悪さ」を
たたえもっている。

ただし、一つ指摘しておきたい点がある。
今回の一件、もし学園側の説明通り、職員が「先走って虚偽の報告を
上げた」ということであるならば、安倍晋三と加計孝太郎は被害者で
あるはずだ。

ところが、安倍晋三も加計孝太郎も、全く怒りを露わにしていない。
加計孝太郎にしてみれば、部下の勝手な行動が、「腹心の友」である
一国の首相の信頼を大きく傷つけ、学園も補助金詐欺と追及されても
仕方のない事態を招いたのだから、あんなに平静でいられるはずがない
ところが、処分は減給という極めて軽いものだった。
つまりは、全てが「予定調和」で終始している、ということを
物語っている。

この心理は、安倍晋三も同じである。

これではっきりした。
公共心のかけらもない人間が、被災者を尻目に私的な都合で
自己保身に走り、権力者と口裏を合わせたのである。
国民は、傍若無人な権力に問題意識を持つべきである。
「公」の意識のない権力は、国民を守らない。
私的に縁のある人間しか守らないのだ。